1999/7
No.65
1. 吸音材について 2. 昭和7年発行の計測器カタログ 3. ISO/TC43/SC1プラハ会議報告 4. 2nd Joint Meeting of ASA and EAA会議報告 5. 寄 り 道 6. 第4回ピエゾサロンの紹介
7. 健康影響に基づいた騒音評価の方法 8. 低周波音レベル計NA-18の概要
 
 第4回ピエゾサロンの紹介
理 事 深 田 栄 一

 1999年4月8日に小林理研で第4回ピエゾサロンが開催された。京都大学医学部の大森治紀教授“聴覚の受容機構”について明快な講演を行われた。音響や圧電材料の研究者にとって音の聞こえるメカニズムは最も興味のあるテーマである。大森先生は蝸牛の生理学についてご自身の研究を含めて最近までの研究の進歩を分かりやすく説明された。筆者が先生のお名前を知ったのは、共立出版から刊行された“生物のスーパーセンサー”という本にある“音のセンサー”の一章であった。耳の構造、音から電気への変換を行うコルチ器官、その中にある有毛細胞、イオンチャネル中枢に信号を伝達する求心性神経、中枢からの信号を伝達する遠心性神経などが平易に述べられているので、関心のある方は一読をお勧めする。

 音を電気信号に変換する主役は有毛細胞の細胞膜に存在するイオンチャネルたんぱく分子である。この蛋白分子は細胞膜を貫いて存在し、その中央に孔が開いている。その孔の扉(ゲート)が音の機械的刺激で開くと、K+イオンが細胞の外から内に流入する。そのため細胞内の電位がプラス方向に変化し脱分極の状態になる。脱分極するとカルシウムイオンを通すチャネルのゲートも開き、細胞内のCa2+イオン濃度が増大する。その結果、有毛細胞に神経細胞が結合するシナプス部分に神経伝達物質であるグルタミン酸が放出され、求心性神経線維を介して電気信号が脳に伝えられる。

 大森先生のお話は、有毛細胞の頭に生えている感覚毛がV字型に並んだ走査電子顕微鏡の美しい写真から始められた。感覚毛の長さは大体7−8ミクロン、細胞体の長さは大体50−100ミクロンである。パッチ電極という先端の直径1ミクロンぐらいのガラス管に細胞膜を吸着すると、その部分の細胞膜に存在するイオンチャネルを通る電流を観測することが出来る。チャネルが開いたときに流れる電流は一定の大きさであり、オールオアナンの現象である。刺激時間の間に多数のチャネルが確率的に開くので、その電流の総和が刺激量に比例する。また電極を膜を通して細胞の内部に入れ、感覚毛の先端をガラス棒で曲げると、細胞内へ流れる電流を観測することが出来る。電流の大きさは感覚毛の傾きの角度に比例しており、最小の刺激量は約0.1度であり約10度で飽和する。約100倍のダイナミックレンジをもつので、約100個のイオンチャネル分子が関与していると考えられる。

 イオンチャネル分子が感覚毛の何処に存在するかについては諸説がある。数十本の感覚毛が背の低いものから背の高いものへ順序良く三角形の形に並んで細胞の頭部に生えている。電子顕微鏡の観察によると、それぞれの感覚毛の間を結んでいる紐状の構造に見える。この紐状の構造がチャンネルのゲートに結びついていると想像されている。

 音は外耳道を通って鼓膜を振動させる。鼓膜の振動はツチ骨、キヌタ骨、アブミ骨を通って卵円窓から内耳の蝸牛器官内部に伝達される。蝸牛は前庭階、中央階、鼓室階と呼ばれる並列に並んだ3つの部屋に分かれている。前庭階及び鼓室階は外リンパ液で満たされ、中央階はKイオン濃度が高い内リンパ液で満たされている。音波で生じた外リンパ液の振動ははじめに前庭階に入り、蝸牛先端部で折り返され鼓室階を伝わり、正円窓から中耳に抜ける。蝸牛の断面を図に示す。中央階と鼓室階の間は基底膜で仕切られ、音波は基底膜を振動させる。基底膜の振動は入り口の卵円窓から蝸牛先端部に向かって進行波として進む。卵円窓に近い部分の基底膜は高い周波数に応じて大きく振動するが、蝸牛先端部付近では低い周波数でもっとも大きく振動する。したがって基底膜の長軸方向の場所によって振動に同調する周波数が異なる。基底膜には蓋膜と基底膜で仕切られたコルチ器官と呼ばれる構造があり、この中に有毛細胞が存在する。有毛細胞には2種類がある。 

図 蝸牛の断面
(T.S.Littler, The Physics of the Ear, Pergamon Press, Oxford, p.5,1965) 
 図はコルチ器官の1ユニットの断面を示している。図の左側すなわち内側に1個存在するのが内有毛細胞であり、多数の求心性神経線維(末梢から中枢に向かう)がシナプスを形成している。図の右側すなわち外側には3個の有毛細胞があり外有毛細胞と呼ばれる。外有毛細胞には主として遠心性神経線維(中枢から末梢に向かう)がシナプスを形成する。音波によってコルチ器官が図の上下に振動し、蓋膜と基底膜の間に生ずる機械的なずりが刺激として有毛細胞の感覚毛部分に加わり、電気信号を発生する。

内有毛細胞の役割
 電子顕微鏡の写真によると遠心性神経と結合している外有毛細胞の頭部にある感覚毛の先端は蓋膜に結合しているが、求心性神経と結合している内有毛細胞の頭部にある感覚毛の先端は蓋膜と結合していないことが想定されている。蓋膜と基底膜の間に振動が起これば、そこを満たしている内リンパ液の流れが起こり、その速度あるいはずり応力が内有毛細胞の感覚毛に機械刺激として働くと考えられる。筆者の個人的感想は、このことは、血管内皮細胞や骨細胞でも膜に働くずり応力がカルシウムのイオンチャネルを開くことと類似しており大変興味深い。

外有毛細胞の役割
 音の信号は求心性神経線維に結合している内有毛細胞から中枢に伝えられる。それに反して、遠心性神経線維が結合し居る外有毛細胞はその先端が蓋膜につながっているのは何故なのだろうか。

 外有毛細胞にパッチ電極を入れて細胞膜に加わる電圧を変化させると,外有毛細胞の長さが変化することが観測されている。例えば、細胞内電位がプラス100ミリボルトになると細胞の長さが短くなり、マイナス100ミリボルトになると細胞の長さが長くなる。量的には、1ミリボルトに対して2ナノメーターの変化がある。蓋膜と基底膜の間の振動によって外有毛細胞の毛が振れてイオンチャネルから電流が流れ込むと細胞の長さの伸縮振動が起こる。中枢からは遠心性神経を通して内有毛細胞からの信号も伝えられる。この両者の信号が相俟って外有毛細胞と蓋膜と基底膜を含む全体の系の振動振幅が鋭い共鳴を起こす。前述のように音の周波数の認識は基底膜の共振の位置によってなされており、求心性神経の中に周波数に比例した信号が伝わるわけではない。

 筆者は聴覚の受容機構は既に十分明らかになっているものと思っていたが、まだ推論や仮説の段階の問題もあり、謎解きの興味深い研究分野であることが分かった。懇談会の際には、東京農工大学工学部の中島晴彦先生から“聴覚への工学的アプローチ”のお話があった。蝸牛を引き伸ばした管で近似し、外リンパ液の流体力学的方程式と基底膜の力学方程式を、基底膜表面で液体のすべりがないという条件をいれて、スーパーコンピューターで計算すると、液体の流速の分布や、基底膜の共鳴振幅が周波数によって変わってゆく様子などが、見事に再現された。二つのご講演に多くの方から質問があり活発な討論があった。

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