1996/1
No.51
1. 謹賀新年 2. 音と振動を科学する−研究活動のあり方と課題 3. 公害振動の評価と研究の動向 4. 環境にやさしい鉄道であり続けるために

5. 道路交通騒音の予測と対策に関する研究の課題と方向

6. 音響材料試験に関わる測定精度の追求
7. ダンピング試験と制振材料 8. 航空機騒音問題の歴史(1)
       −特集:21世紀に向けた研究の展望−
 環境にやさしい鉄道であり続けるために

騒音振動第3研究室 室長 加 来 治 郎

 地球温暖化に伴う異常気象、酸性雨がもたらす森林破壊、オゾン層の破壊による紫外線の増大、NOx等による健康被害、等々、昨今の私達を取り巻く地球環境に関しては悲観的な話題が余りにも多い。新春早々から恐縮する話ではあるが、冷戦の終結によって核戦争の恐怖が薄らいだ今日、人類を含む地球上の生物の存続を脅かす最も危険な因子は環境破壊といっても過言ではない。

 環境破壊の主要な原因の一つである石油・天然ガス・石炭といった化石燃料の直接的な消費において、自動車、電車、飛行機等の乗り物は工場や火力発電所等とともに少なからぬ責任を負っている。その中の唯一鉄道については、動力源の電力の生成過程を除けば、排気ガス等を発生することもなく、環境にやさしい交通機関ということができる。物流の主体を現在のトラック輸送から貨物輸送に移行しようとするモーダルシフトの考え方も、環境への影響の度合が大きな背景となっている。

 さて、21世紀において鉄道が旅客輸送とともに貨物輸送の主役であり得るためには、鉄道が環境へ与える負の影響、すなわち鉄道沿線における騒音・振動の問題が解決できていなければならない。とくに、列車のスピードアップに伴って発生する種々の問題に関しては、現在の対策技術では十分な対応が難しいような事態の発生が懸念されている。高速化の最大のネックが、走行そのものに関わる技術的な問題ではなく、周辺環境に対する騒音・振動であることは周知の通りである。

 新幹線や在来線鉄道のさらなる高速化、あるいはリニアモーターカーの実用化等の是非についての論議はさておくこととし、ここでは列車の高速化に伴って発生する騒音問題とそれへの対応策に主眼を置きながら、21世紀の鉄道の未来像についてまとめてみた。

○列車の高速化に伴う問題と対策
 鉄製のレールの上を鉄製の車輪が走行する鉄道では、レールと車輪の衝突によって発生する転動音が大きく、在来線鉄道では依然として主要な騒音源である。新幹線鉄道では、防音壁による遮蔽、あるいはレールや車輪の表面の削正といった転動音の対策が進んだ結果、騒音レベルの上での支配的な音源の座を集電系音に譲ってしまった。一つには列車速度が200km/hを超えるようになっ て集電系音の主音源である空力音が急上昇したことにもよる。

 パンタグラフや列車先頭部の引き起こす空気の乱れが音源となる空力音は、ほぼ列車速度の6乗から8乗に比例して増大する。レールと車輪音の衝突による騒音がほぼ列車速度の2乗に比例することから判断すれば、いかに空力音の速度依存性が高いかが分かる。先にも述べたように高速化の障害となる問題の一つが、この速度に比例して急激に増大する空力音である。ちなみに、列車速度が200km/hから300km/hに上昇した場合の騒音レベルの増加は、2乗則では3.5dBであるが、6乗則では10.6dB、8乗則では14.2dBとなる。

 空力音の対策方法としては出来るだけ空気の乱れを起こさないことが肝要であり、これまでは、流線形の先頭形状、パンタグラフヘの風の衝突を防ぐためのパンタカバー、車体継ぎ目やドア・ガラス部の平滑化、車体下部の機器類のカバー、さらにはパンタグラフの数の削減といった対策が取られてきた。これらの対策の効果を定量的に把握する方法としては、流体音響学に基づく数値計算と高速風洞を用いた模型実験の二つを挙げることができる。流体工学に疎く、風洞施設も持ち合わせていない我々にとっては関わりの薄い問題であり、残念ながら今後とも大きな変化は期待できない。

 列車走行の高速化に伴うもう一つの大きな問題に、列車がトンネルに突入した際に出口側で発生するドーンという微気圧波がある。微気圧波は、列車の突入で入り口に生じた圧縮波がトンネル内を伝搬して出口から放射されたものであり、その発生メカニズムや騒音性状についてはほぼ解明されている。ただし、問題となる周波数が4Hz前後の超低周波音であるため、通常の騒音領域で実施されてきたような対策では有効な効果を得ることが難しく、現在では圧縮波の急激な圧力上昇を防ぐための干渉フードの設置が主流となっている。

 この干渉フードの全長は、新幹線の列車速度が240km/hまでは15m程度で十分であったが、列車速度が270km/h近くなると不十分なものが多数出現し、急いでフードの延伸工事が実施された。この対策方法を踏襲する限り、今後計画されている300km/hや350km/hの列車速度では極めて長いフードが必要になることが予想される。

 これから新設するトンネルについては、出入り口の形状の変更やトンネル内での圧縮波の減衰装置の設置などの対策が可能であるが、既設のトンネルについてはフードの延伸以外に有効な対策方法を見出だせていない。又、仮にフードの延伸によってドーンという微気圧波は押さえることができても、トンネル内を高速車両が走行することによって発生する低周波音(列車風とも呼べる)は防ぐことは困難である。バラスト軌道によって圧縮波の減衰が大きいために微気圧波の観測されない東海道新幹線においても、一部のトンネルではこのような低周波音が観測されている。

 直流的な圧縮波と極めて低い交流波である低周波音の両方に効果があり、しかもトンネル内壁面に設置するのであれば出来るだけ薄くなければならない、という一見相矛盾するような要望に応えられる材科もしくは装置の開発に対する要望が高まっている。我々の研究室でも、今年度から共振システムを応用した減音装置の検討に着手したところであり、少なくともこの1〜2年の内には実用化の見通しまでを明らかにする予定である。

 高速化に伴う三つ目の問題として、環境への直接的な影響とはいえないが、騒音の計測上の問題を挙げることができる。いわずと知れたドップラー効果による周波数の変化であり、例えば音源近傍でのスペクトル分析や近傍のデータと遠方のデータとの間のコヒーレンスの計算等において大きな問題となる。又、周波数の変化だけでなく、車体回りの空気の流れや渦等による音源の指向性並びに音像の変化などが予想される。

 高速移動音源を対象としたドップラー効果による周波数変化の補正方法、音源の指向性の変化の実態等については、リオン(株)音測技術部と協力しながら研究を進めており、近い将来にその成果を発表する予定である。

○鉄道の未来像
 これまでは列車の高速化に伴う問題とその対策方法について述べた。以下では、在来鉄道を含めた今後の鉄道の姿を若干の希望的観測を取り入れながら考えてみたい。なお、エネルギーの有効利用の観点から浮上式列車以外のほとんどの車両の屋根に太陽電池が取り付けられているはずである。

 先ず、在来鉄道に関しては騒音評価量として等価騒音レベルLAeqが採用され、既設線に対しては受任限度ともいえるLAeq 24hで70dB以上の地域の解消を目指して騒音対策が実施される。この水準は一定の期間を置いて65dBまで引き下げられるが、60dBまで進むかどうかは道路等の他の交通横関とのバランスの上で決定される。騒音レベルの低減において懸案事項であった鉄桁構造区間、線路際に民家の張り付いた平地区間、ジョイントのあるカーブ区間等での騒音対策の内、平地区間やカーブ区間では日照に配慮して透光性の防音壁が沿線に設置されている。鉄桁騒音に対しては有効な制振材料の開発が進んだものの一部の区間では住宅の防音対策が実施されている。なお、踏切での事故や渋滞の解消を意図して都市内の区間で高架化や地下化が進んでいる。

 新幹線鉄道に関しては、暫定的な環境基準75dBが当分維持される。一部の新型車両による速度300km/h運転が行われるが、車両側での音源対策が進んだ結果、旧型車両の200km/h走行時と同等の騒音レベルが達成されている。第二東海道新幹線も軌道はすべてスラブ軌道となって生まれ変わり、軌道面にはバラスト以上の吸音性能を有する特別な処理がなされるとともに、高欄部の防音壁には一重壁の遮音性能を大きく上回る防音装置が設置されている。なお、騒音評価量の見直しが行われ、従来の騒音レベル最大値のパワー平均値に代わって等価騒音レベルが新しく導入される。沿線住民の騒音意織を考慮して基準値は在来鉄道よりも若干厳しい値となっている。

 浮上式走行列車については当面東京〜大阪間に限定して営業運転が開始されている。空力音対策及び微気圧波対策として、民家の存在する沿線やトンネル出入り口には強化ガラス製のカバーが軌道全体を覆っている。とくにトンネルの続く山間部では、トンネル部以外にもコンクリート製のフードが設置され長大トンネルが形成されている。一定長以上の長大トンネル内では減圧が実施され、空気抵抗の現象によるエネルギーの節約が図られている。なお、各トンネルの出入り口には、低周波音用の吸音パネルが一定区間にわたってトンネル内の壁面に設置されている。

 鉄道の未来像と謳っておきながら、別段新しい技術は見当らないとご指摘を受けるかもしれない。発想の貧弱な点はお許しいただきたいが、数十トンの重さの車両を乗せた鉄製の車輪が同じくコンクリート製の枕木上に固定された鉄製のレールの上を走行する現在の鉄軌道システムが続く限りは、騒音振動の大幅な低減はそう簡単に実現できるものではない。21世紀の鉄道に関しては、透光性の全覆いカバーを究極の切り札としながらも、地道な防止対策の積み重ねによって鉄道沿線の環境の改善を進めていくことが望ましく、我々も少しでもそのお役に立てればと考えている。

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