1996/1
No.51
1. 謹賀新年 2. 音と振動を科学する−研究活動のあり方と課題 3. 公害振動の評価と研究の動向 4. 環境にやさしい鉄道であり続けるために

5. 道路交通騒音の予測と対策に関する研究の課題と方向

6. 音響材料試験に関わる測定精度の追求
7. ダンピング試験と制振材料 8. 航空機騒音問題の歴史(1)
       −特集:21世紀に向けた研究の展望−
 音と振動を科学する−研究活動のあり方と課題

所 長 山 田 一 郎

1.はじめに
 年頭にあたり、謹んでお祝い申しあげます。旧年中は皆様から多大なご支援を賜り、研究ならびに委託業務を滞りなく遂行できました。心からお礼を申しあげます。本年も全力を尽くして取り組む所存でございますので、さらにお引き立て下さるようお願い申しあげます。
 さて、理事長が冒頭でごあいさつ申しあげたように、小林理研ニュースは前号で50号というひとつの区切りを迎えました。気持を新たにして皆様に当所の活動状況や音と振動に関する様々な情報をお届けしてまいります。本号ではこの区切りを契機に研究所を支える室長たちが新世紀に向けて小林理研の研究活動がどうあるべきかに思いをはせた結果を展望というかたちでご紹介します。それに先立ち、本稿では当所のこれまでの活動の経緯を簡単に振り返り、今後のあり方や役割、課題を全般的に考察します。さらに騒音振動第一研究室長として常日頃から関与することの多い航空機騒音問題の今後の課題について考えてみます。

2.小林理研の活動の経緯
 小林理学研究所は、理事長のあいさつにもある通り、設立以来、理学の基礎と応用を研究し、社会に貢献することを目的に活動してきました。当初は、研究の範囲が非常に広く、音響学ばかりでなく、物質構造から物性、高分子と理学の全般にわたる研究が行われ、その活動はわが国の物理学の発展に大きく寄与しました。その後、昭和三十年代になって、社会の要積に応じた研究課題をさぐる方向へ運営の方針が変わり、音響学を中心とする研究を目指すことになりました。ちょうどわが国が高度成長期に入り、高速交通網が整備されるにつれて、騒音振動の公害が顕在化する頃のことです。その結果、昭和四十年代には当所の研究活動は騒音、振動、建築音響、音響材料、圧電材料の面に絞られ、これらに新たに補聴研究を加えて、現在に至る研究体制ができました。それ以来三十年間、外部からの委託を受けて騒音振動の屋外測定や実験室実験、縮尺模型実験、騒音予測計算、音響材料試験、振動ピックアップの開発、等々、音と振動に関する様々な研究と調査を行ってきました。補聴研究についても補聴器装用や聴能訓練方法、難聴乳幼児の教育等の研究を実施しました。これらの業務の大半は委託を受けて行ったものですが、人の生活に密接に関わる仕事ばかりで、正に応用に重きをおいて活動し、社会の要請に応え、その役割を果たしてきたと言えます。

3.今後の研究活動のあり方と課題
 当所の研究活動は単に騒音の実情を調べるだけというものではなく、実験、理論考察、計測手法やセンサーの開発、対策の手法や材料の試験と開発、発生源対策まで含んでいます。調査の対象も道路・鉄道・航空機と主な交通機関の騒音振動の問題はもちろん、工場や屋物内、一般環境での騒音振動、建築音響から音響材料、低周波音、圧電や超音波、補聴関係まで音と振動に関わる広い範囲をカバーしています。
 なによりも第一に今後もそれを押し進め、音と振動の問題を包括的に扱う研究機関として活動していきたいと考えます。辞典を引くと「科学」とは一定領域の対象を客観的な方法で系統的に研究する活動であると記されています。ちょっと耳慣れない言い方かもしれませんが、「音と振動を科学する」、そういう研究機関を目指していきたいと考えて、この雑文の題目をつけたわけです。
 もう一つは研究成果の社会への還元をより多様な形で行うことです。これまでも研究活動の成果からエキスを取り出して、研究発表、論文投稿、研修事業や講習会、学会活動、小林理研レポートなどを通じて、社会へ提供し続けてきましたがさらに強化したいと考えています。より良い環境を実現するために音と振動の評価の方法や規格、基準の制定などの作業に積極的に関わりを持ち、社会をリードしていくことにボランタリーに取り組んで行きます。また、ここ数年、当所では蔵書を中心とする音と振動の情報データベース構築に取り組んでいますがいずれはこのデータベースのオンラインの利用も含めた形の情報発信基地となることを目指したいと思います。さらに、当所は少人数のため組織的に柔軟性を欠く所があるかと思いますが、広く内外の研究組織等との交流を図り、補っていきたいと思います。

4.航空機騒音についての研究課題
 さて、空港周辺の騒音問題の現状を俯瞰すると比較的落ちついた状況にあるというのが共通した認識になっているかと思います。昭和34年にジェット機が東京に就航したころから空の交通が活発になり、それに伴って騒音被害が大きな問題になりました。その対策をするために騒防法ができ、航空機騒音に係る環境基準ができて周辺対策が実施されていきました。やがて騒音発生源であるジェットエンジンの対策が進んで昭和五十年代の半ばに低騒音の航空機が導入されると空港周辺の騒音の状況は大幅に改善されました(それでも環境基準制定後十年の状況見直しで基準を十分に満足した空港は少なかったというのが事実です)。家屋に対する防音工事の実施率も95%を越えました。その後も新たな低騒音機の導入が続き、大きさが同じ航空機で比較すると、騒音レベルは三十年前に比べて20デシベルほど小さくなりました。ただし、航空機の運航回数が大幅に増加しているため、最近ではWECPNLで見た空港周辺の騒音の状況は横這いのところが少なくないと思います。
 一方、環境に関する人の認識は大きく変わりました。社会や経済の情勢が変り、生活様式や環境と人の関わりあい方が変わったためです。飛行機と人との関係も同様です。以前は、激しい騒音に暴露されるばかりで苦情の対象でしかなかった飛行機が海外旅行当たり前の時代になってすっかり身近な交通手段となりました。もちろん自動車ほどではないにしろ利用するのが当たり前の時代です。音を聞いた時の感じ方が変わっていることも十分予想されます。ところが今の法律や環境基準は高度成長期に被害の甚大な場所に重きを置いて状況を改善するために作られたものですから基本的な姿勢が違います。時代が変わり環境のとらえ方が変わってきたことを考えると、状況が落ちついている今こそ、キチンと先の準備をしておかないといけない気がします。
 今も激しい航空機騒音に曝されている地域では今後も「健康を保護する」現行基準の基本方針に従い、速やかに対策を講じていくべきですが、それ以外の地域は航空機騒音が環境音の一つの要因に過ぎなくなっているので、音環境全体に対する寄与に応じて責任分担をするという観点に立って航空機騒音対策のあり方を論じるべきではないでしょうか。地方空港の新設・拡張、国際化が一段落しつつある今、空港の生き残り競争が激化する中で、空港へのアクセス交通の確保が重視されており、航空機・道路・鉄道、さらにその他の環境騒音まで含めた総合影響評価が重要になることは間違いありません。
 この半年の間に外国の四つの空港を訪問し、話を聞くことができました(米、独、スイス)。どの空港も騒音の問題を担当する人は長年にわたり技術面まで含めて一貫して面倒を見ていることが分かって驚きました。中でも一番最近訪れたデュッセルドルフ空港の担当者は前からインターノイズで顔見知りですが、十五年以上担当し、騒音監視システムの設計から設置、稼働、観測データの処理、保管まで自ら行っていると言うのです。もちろん業者にやらせる部分もあるようですが、委せっきりではなく、手の足りない部分だけ手伝わせているそうです。驚きでした。収集したデータも設置直後から現在までの全てをデータベース化してあり、何時でも必要に応じて情報を取り出して比較検討に使えるのです(騒音を長期監視するのですから当たり前かも知れませんがコストが掛かって大変なことなのです)。騒音の苦情があっても直ちに必要な資料が揃うわけですからさぞや木目細かい応対ができるだろうと感心しました(住民反応がそれだけ厳しいということかもしれません)。当所もこれまで何度か国などの騒音監視システムの仕様設計を手掛けてきましたが、自分で作製するでも運用するでもないため、必ずしも意図した通りには活用されずもどかしい思いをすることがあります。これらも今後の課題と考えます。
 騒音監視の機能や性能についても国によって考え方に隔たりがあります。音源同定、飛行経路推定、最大騒音レベル算出などについてです。監視の全てを短時間等価騒音レベルの観測に基づいて行うところもあります。国毎に事情があるので単純には善悪を論議できませんが、なるべく各国共通の考え方に捕えていくことが必要で、それの国際的な取り組みも課題です。騒音監視データの取り扱い方にも国による違いが見られます。騒音予測の検証に役立てる考え方もあれば騒音の大きさに基づいて運航規制を行うところもあります。それらも検討すべき課題でしょう。
 最後に騒音予測プログラムの開発・改善について言及しておきます。アメリカには連邦航空局のINMという予測プログラムがあり、誰にでも簡単に入手できるし、パソコンがあれば計算できます。必要なデータベースも内蔵されています。しかもその最新版を見ると、地形や地面インピーダンスの影響、気象の変化まで考慮されています。一方、わが国には公開された予測プログラムがありません。そのため地方公共団体等では自分達の手で騒音予測を行い周辺対策に役立てることができません。誰でも自ら計算してみることができるようにすることは評価の仕組みを理解し、計算された結果の信頼性を確認することに繋がります。これも今後の大きな課題の一つだと思います。

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