2002/1
No.75
1. 迎 春 2. Popular Science 3. inter-noise 2001 in Hague 4. 第17回国際音響会議(ICA) 5. P T B 訪 問 記

6. 第14回ピエゾサロン

7. 多チャンネル分析処理器SA-01 8. ISO News 1998-2001
       <会議報告>inter-noise 2001,17th ICA 報告
 第17回国際音響会議(ICA)

大久保朝直、木村和則、山本貢平

 第17回ICA(International Congress on Acoustics)は、 2001年9月2日〜7日の6日間、イタリアのローマで開催された。当所からは、山本、木村、大久保の計3名が参加した。開催会場はローマのほぼ中心にあるローマ大学工学部(La Sapienza)であり、ローマの象徴ともいうべきコロッセウム(古代競技場遺跡)から数百mのところに位置していた。今回のICAはオランダのハーグにおけるinter-noise 2001に続いて開催されたこともあり、騒音・振動分野のキーパーソンともいうべき人の参加が少なかった。また、音声分野の国際会議ISCAの開催ともぶつかったため、参加人数は多少とも少なかったかも知れない。しかし、講演論文数は正式な数ではないが1350件前後と聞いている。したがって参加者数は1500名前後と思われ、世界文化遺産を多数持つ観光都市の人気は高いようだ。

ICA会場入り口の風景

 ICAは音響学会研究発表会の国際版ではあるが、日本に比べると音響学の幅の広がりを強く感じさせられた。目についたセッションを拾ってみた。

・Sono-luminescence・Bioacoustics・Acoustic role of bubbles・Acoustro-optical measuring methods and devices・ Acoustics time reversal・Shallow water acoustics・ Therapeutic ultrasound ・Thermo-acoustics・Medical ultrasound bioeffects・Laser acoustics・Acoustics in medicine・Photo-acoustical diagnostics of materials property

 音響学が生活環境のみならず、地球環境(化学、生物学)や医学、安全などの分野に広がりを見せていることがわかる。

 この会議期間中にはICA理事会が開かれ、2004年京都の次は、2007年にマドリッドでICAが開かれることが決まったとのことである。さらにICA総会も開かれ、新たなpresidentとしてカナダのG.Daigleが選出されたという報告があった。

(山本貢平)

 オープニングセレモニーは、会議開始前日の夕刻5時半からであった。会場となった広場にはICA関係者だけでなく観光客も多く見られた。後に判ったことであるがこの会場はカンピドーリオ広場と呼ばれ、ミケランジェロが設計した広場であった。この広場の敷石の幾何学模様が、今回のICAのシンボルマークとなっていた。会場の左右の建物は一般に公開された世界最古の美術館であるカピトリーニ美術館、前方はローマ市長のオフィスと由緒正しき建物群に囲まれてのオープニングセレモニーであったことが後から判った。ただ、驚いたのは会場でイスに座っているすべての人のICAの参加証となるネームカードをICAのコンパニオンがチェックしていたことである、ネームカードを胸に下げていない参加者を見つけると出ていくように指示をしていた。ICA事務局の不備により当日参加証を入手できなかった参加者もいたが、その人たちはかろうじて登録手続きのときに配られたICAのバックを見せて難を逃れていた。イタリア女性はマニュアルどおりに働くのは得意のようだ。さしずめ、日本で言えば交通違反を取り締まる婦警さんのようである。定刻より多少遅れてオープニングセレモニーは始まった。まずGeneral ChairmanのAdriano Allipi氏から歓迎の挨拶があり、続いてソプラノとテノールのアリア、Dr. C. Iannielloの"Acoustics of the Italian-style opera house"の講演、室内でのウエルカム・レセプション、歌あり踊り有りのフォークソング(?)など盛りだくさんのプログラムであった。これが終了したのは21時過ぎであり、当然のように予定時間はとうに過ぎていた。

(木村和則)

 講演発表は2日目から始まった。自分の発表は最終日だったので、それまでは音場の数値解析に関するセッションを中心に聴いて回った。印象に残ったのは、境界要素法やPE法を用いた屋外騒音伝搬予測において、平坦でない地表面や、風や気温分布などの気象条件を取り扱うための手法に関するセッションである。遮音壁周辺の数十メートル程度の範囲における伝搬を考えているものから、長さ数十キロにわたりくぼんだ地形の内外の伝搬まで、講演によって様々な規模の音場が想定されているのが興味深かった。他には、境界要素法の逆問題や音響ホログラフィ法を用いた音源同定のセッションも面白かった。これらの講演の新規性や重要性はよくわからないが、内容は勉強になった。また、講演を聴いているうちに、非英語圏の欧米人も英語での発表には苦労しているようであると感じた。背を丸めて原稿から一時も目を離さない人、時間の経過につれて発音が母国語読みに変化していく人など、それぞれに緊張している様子がうかがえた。苦手に思っているのは日本人だけではないのだという妙な親近感を覚える一方で、やはり緊張も高まっていった。

 最終日の自分の発表は、始めてみると案外緊張せずに終えることができた。いよいよ難関の質疑応答である。同じ人から3つ質問を受けた。幸いなことに、私の発表会場は天井が吸音処理されていて会話明瞭度が高く、質問のうち最初の2つは聞きとってそれなりに答えることができた。しかし、最後の1つが理解できなかった。苦手の電気回路に関する質問であった。後日、その質問と同じ内容であると思われるメールを質問者からいただいたが、文章で読んでもよくわからなかった。ヒアリング力の不足はもちろんのこと、肝心の研究内容についても不勉強を反省した。また、セッション終了後に他の方から呼びとめられ、質問を受けた。わずか二人からではあったが発表に対する反応があり、関心を持ってもらえたと実感できて嬉しかった。ただ、その二人は電気音響が専門のようだったので、遮音や防振の分野の人にアピールすることができたのかどうかわからなかったのが心残りではある。

 ところで、5日目の夜に聖マリアマジョーレ教会で催された演奏会は印象深い。ソプラノ Mariangela Spotorno、テノール Fabio Andreotti、そして Stefano Vignati の指揮による Symphony Orchestra of the New Operafestival di Roma と Coro Lirico Sinfonico Romanoにより、Verdy らの歌曲が演奏された。実は演奏者のこともオペラのこともあまりよく知らないのだが、聖堂に心地よく響く音に、普段信仰心の薄い私も心洗われる想いであった。

(大久保朝直)

 クローズト・セッションは、テルミニ駅の近くのローマ大学構内のホールAula Magnaで行われた。こちらは、ICA会場となったローマ大学工学部とは異なり、授業に急ぐ学生、広場に集う学生、ボールゲームに興じている学生と大学らしい風景が見られた。"Key notes"としてDr. M. Schroeder "Mathematics and acoustics"、他2件があった。Schroeder博士は90才を超える高齢にもかかわらずかくしゃくとされており、海洋音響や室内音響における数学の役割について講演された。

 Adriano Allipi氏から閉会の挨拶があった後、次回の開催地となる京都の紹介が橘先生および桑野先生によって行われた。パソコンとプロジェクターを使って、会場の施設、京都の春の風景などを映し出し、ICA2004への参加を呼びかけていた。イタリアの壮大で荘厳な古代建築物群の次に日本の最古の木造建物群を見ることができるICAの参加者は開催地を決定した関係者に感謝しているに違いない。

 今回のICA会場周辺には多くの観光施設があり、少しの時間があれば徒歩で見て回ることが出来た。そのときに、非常に重宝したのがビィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂である。この建物はイタリア統一の業績を記念して建てられたとのことである。ローマに個人で観光に行く際には、まずこの建物を見学すべきであろう。すべての道はローマに通じるではないが、ローマ市内の道はエマヌエーレ2世記念堂へつながっており、我々観光客にとって徒歩圏内を散策、買い物をするときにはどこからでも見ることができた。このエマヌエーレ2世にまたあえることを願いつつ帰路についた。 

(木村和則)

ビィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂

-先頭へ戻る-