2002/1
No.75
1. 迎 春 2. Popular Science 3. inter-noise 2001 in Hague 4. 第17回国際音響会議(ICA) 5. P T B 訪 問 記

6. 第14回ピエゾサロン

7. 多チャンネル分析処理器SA-01 8. ISO News 1998-2001
       <骨董品シリーズ その42>
 Popular Science

理事長 山 下 充 康

 「音響科学博物館」の扉を開けると最初の展示ケースに収められた一冊の古書が目にとまることであろう。1862年に刊行された「ヘルムホルツ著 音感覚の研究[Die Lehre von den Tonenpfindungen](小林理研ニュース1987年1月/No.15に紹介)」である。

ヘルムホルツ著 「音感覚の研究」
[Die Lehre von den Tonenpfindungen]

 小林理学研究所が保有している音響学を中心にした古今東西の学術文献は我々にとって大きな財産の一つであり、これらの蔵書には外部の関係諸機関の方々からも高い評価を受けているところである。ヘルムホルツが著した「音感覚の研究」もそれらの貴重な蔵書の一つである。

 古書の放つかび臭い匂いのこもる書庫で書棚を埋めている書籍たちを眼にすると先人達の貪欲なまでに精力的な知識吸収欲を感じさせられる。我々の諸先輩が科学技術に関する情報を得るためには海外からの諸文献に目を通すことが必要で不可欠な手段であったことであろう。

 このニュースに掲載している「骨董品シリーズ」を執筆する際に「しらべもの」をするためにしばしば書庫で古文書のページを繰ることがある。そんな時、「しらべもの」である対象とは別に思い掛けない「副産物」のような収穫に出会うことがある。アンティークマーケットで拾ってきた得体の知れない古物の正体が判明するようなことがあるのもそんな「副産物」との出会いの嬉しい瞬間である。

 当研究所の蔵書は邦文であれ欧文であれ専門的な学術書が中心である。「骨董品シリーズ」の材料にでもするつもりで巷のアンティークマーケットで目に付いた品物を仕入れては来るのだが、それらについて「しらべもの」をするにしては研究所の蔵書類はいささか専門的過ぎる。学術的には厳密さに不十分な内容であれ、一般的で広範囲の科学知識を記述したような文献が無いものかと古本屋街をうろついていたら大正年間から昭和年間にかけて刊行されたある雑誌を手に入れることが出来た。

 [Scientific Knowledge/科学知識]。月刊誌である。

科学知識普及会発行 「科学知識 Scientific Knowledge」
昭和3年6月号(左)、大正13年新年号(右)

 発行所は「東京市日本橋区室町三共ビルヂング 科学知識普及会」。先輩諸兄の中にはご記憶にある方も居られるやに拝察する。当該誌の内容は物理、化学、動植物、土木、建築、気象、人文地理・・・いわゆる大衆科学雑誌で、科学技術の百貨店のような観がある。大衆科学雑誌とはいえ内容に関しては侮りがたいものがある。ここではその中で目にとまった二つの記事を紹介させていただきたい。

 その中の一つ、大正13年の新年号に掲載されている記事が「講堂の構造と音響/東京高等工業学校教授竹内時男」。「日本では部屋の音響と言う問題に就いては全く無関心な会堂の建築設計が非常に多く見受けられる。」という書き出しで始まる文章はやがて「建築音響学の問題は、交通運輸の整理の問題等の如く欧米に於いては今や非常に緊要なるものとなって居る。(中略)この対抗策に一道の光明を投じたのはアメリカのサビーヌ教授の研究あって以来である。彼の研究は今より約二十年前に遡るのであるが、漸く今日に於いて始めて実地に応用せらるるに至り、彼の研究は愈々建築学上不朽のものとして認められる様になったのである。(後略)」と続く。

 諸兄におかれては、ここでの「サビーヌ教授」は「W.C.セイビン」であることはお判りであろう。この記事の中には「残響時間」、「吸音力」、「フラッターエコー」、「模型実験技法」などの専門的な音響用語がふんだんに記述されていることに驚嘆させられた。「一個の平均人間は仮想的全吸収性物質(開いた窓)の0.44平方メートルと同じ音響勢力を吸収するのである。」というような珍妙な説明がなされている部分もあるが、全体的に内容は意外に充実している。漢字の多い縦書き文で書かれているのも興味深いところである。

竹内時男著 「講堂の構造と音響」より
Dr.W.C.Sabine(大正13年新年号)
小林庸介著 「軍用としての音の利用」より
聴音機之図(昭和3年6月号)

 二つ目の紹介記事。昭和3年の6月号、「軍用としての音の利用 工学博士小林庸介」。

 「音は聴き取り得るが、その音源が見えない場合、音を利用してその位置或は単に方向なりを推定することは、先ず第一に軍事上必要なことである。例えば潜航艇の音の水中を傳はって来るのを利用してその方向を探知したり、敵が地下道を掘って我軍に近づいてくるとき、土を掘る音を聴いて坑道の位置を知り、又は敵の大砲の音を利用してその位置を測定し、或いは夜間飛行機の音を聴いてその襲来を知るとともに・・・(後略)」

 この記事は今日でも十分に通用する論理で構築されているのが見事である。マイクロホンをはじめとする音響計測装置は今日のように性能が安定したものではなく感度も劣っていたことであろう。記事では、三箇所に設置したマイクロホンで得られた信号の時間ズレを利用した三角測量原理を説明し、続いて飛行機の音を対象にした「空中聴音機」について言及している。直径9メートルのパラボラ型聴音機やラッパ型のポータブル聴音機を紹介し、さらに蝙蝠の聴覚機能を参考にして両耳効果を利用した聴音機など様々な方式の機器を提案している。そして最後に述べられている結語では今も昔も技術的な課題に大きな違いが無いことに気付かされるのである。結語に曰く、「風の影響や、地面から反射されてくる飛行機の音等を防止する方に力を入れた方が何程得策であるかしれない。兎に角以上述べた様な有様であるから、この方面に興味のある方は、低い音に対して極く感度の悪い耳を用ふる様な大戦の遺物を捨てて、電気的或いは光学的或いは機械的に、丁度メーターで電圧・電流を測定する如くに容易に測定し得られる様な新しい原理に基づくものの発明・考案に力を入れられんことを節に希望してやまない次第である。」

 本稿では「科学知識」という偶然手に入れた大衆科学雑誌の記事を紹介させていただいたが、この種の書籍は何処に姿を消したのだろうか。求める情報を電話回線で容易に取り込んでは知識を膨らますことの出来る昨今であるが、書籍の持つ「副産物」的な嬉しい出会いが忘れられているような気がしてならない。

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