2002/1
No.75
1. 迎 春 2. Popular Science 3. inter-noise 2001 in Hague 4. 第17回国際音響会議(ICA) 5. P T B 訪 問 記

6. 第14回ピエゾサロン

7. 多チャンネル分析処理器SA-01 8. ISO News 1998-2001
 
 迎 春

平成14年 元旦

理事長 山 下 充 康

 世紀末の混沌たるトンネルを抜け出して新たな世紀を迎えたとたんに発生した常軌を逸した大事件に全世界の人々が驚愕させられ、誰もが心を痛めました。それらの多くが自然災害ではなく、人為的なものであったということが残念でなりません。

 科学技術は人類の豊かな生活環境を創生するために大きな貢献を果たしてきたところでありますが、残念なことに人類の幸せを実現するための科学技術が怪物と化して人類に謀反の牙をむき出している現実を認めざるを得ないのではありますまいか。人類が抱く科学技術万能の想いに人類の驕りと大きな油断があったのではないかと考えます。

 ふとしたきっかけで関東大震災の直後に刊行された科学雑誌「科学知識・新年復興号(大正13年)」に掲載された「後藤新平子爵」の巻頭言を手に入れました。「二十世紀は科学の世界なりといふ。予は之に対して固より何等の疑惑を挟む者ではない。」という書き出しの文章で、旧い活字を使って書かれた大正時代の文体の論説ですが、現代に通じる興味深い指摘がなされていますのでここに紹介させていただこうと考えました。

「・・・おもふに、近世科学の発達が人類生活上に顕著なる進歩改善を促したる事実は、昭々として何人も之を拒むことは出来ない。しかし我が科学者の業績たる、概ね分析的傾向に偏して微を穿ち細を究め、其の研究の精緻を競う点に於いて異常なる努力を認め得られるるに拘はらず、未だ綜合的なる大知識大貢献に乏しき傾向あるを見のがしてはならない。・・・(中略)五十年百年の後に想到し、後世子孫の憤りを買ふなきかを考慮すれば、科学常識の缺乏より生ずる罪悪は、恰も一種の文化悲劇に類せざるやを虞る。」(原文のままを転記しました)

 後藤新平氏は満州鉄道会社(満鉄)初代総裁で日本帝国主義確立期の代表的政治家と目された人物ですが、元はといえば水戸藩の医者でしたから科学技術に対する見識には高いものがあったと思われます。

 [学びて思わざれば則ち罔し。思いて学ばざれば則ち殆うし(論語・爲政)]

 平成6年(1994年)の秋、私が当研究所の理事長の職に就いた折に私なりの想いを込めた基本的な理念を掲げさせていただきました。新たな年を迎えるにあたり、健全で優れたバランス感覚の科学者の活動の場である小林理学研究所のあらまほしき姿を確認するために、いま一度ここにそれを掲げさせていただくことといたしました。

小林理学研究所は
 風格と活力を感じさせる研究所を目指す
 尊敬と信頼を得るに足る体質の研究所を目指す

小林理研にあっては
 優れた内容の研究成果を社会に提供する
 良識を備えた研究者を育成し、社会に対して人材的な貢献をする
 職員にとって魅力ある研究環境と労働条件を整備する

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