2000/1
No.67
1. 耳 順 2. 新世紀に向けて 3. 西暦2000年の年頭にあたって

4. 排水性舗装面の音響特性について

5. 桿秤・天秤・分銅

6. 第6回ピエゾサロンの紹介 7. 超音波眼軸長測定装置 UX-30
       <骨董品シリーズ その36>
 桿秤・天秤・分銅

理事長 山 下 充 康

[私が漸く三島博士から自分の仕事を与えられたのは、 それから数日後だった。新館の実験室に斎藤が天秤を持ってきた。その秤で、約1センチ角、厚さ5ミリほどの白い切片の重さを一定時間置いて計り、記録するのである。
「これは何ですか」
「ロッシェル塩の結晶です」
「何に使うのですか」
三島博士はそれには答えず、
「これには防湿の被膜をほどこしてありますが、時間を経過するに従って、わずかに重さが変わります。それを記録して下さい」
と言った。これが、大切な研究の一部であるかと思うと、私は胸がふるい立った。
(中略)毎日出勤して、一日中私は天秤と向かい合っていた。・・・・]

 これは、津村節子著「茜色の戦記(新潮社)」(この作品については小林理研ニュースNo.41/1993年7月に書評として紹介させていただいた。)の記述である。

 女子挺身隊の一人として小林理研に派遣された少女(津村節子氏)は来る日も来る日も天秤の目盛とにらめっこしながらロッシェル塩の結晶のわずかな重さの変化を記録しつづけていたことであった。

 さて、津村氏の作品に登場した「天秤」は研究所にそのままの姿で残されている。ガラスケースに収められた懸垂皿式の化学用高感度天秤で、基本的には今日使われている天秤と殆ど同じ構造であるが、ビスの形状や目盛板の文字などの微細な部分に半世紀を遡るレトロな雰囲気が感じられる。小林理研が研究の軸足を音響・振動の分野に置くようになってから、このような化学用天秤は研究室の片隅に押しやられてしまった観があるが備品室を探すと色々な天秤が見つかる。

 写真1はこれらの天秤とその分銅、携帯用桿秤などである。

 天秤の起こりを辿ると文明の起源にまで及ぶ。古代エジプトの遺跡に残されている「死者の書」(下図)には心臓を計る天秤が描かれ、キリスト教では、天使ミカエルが魂の重さを計る天秤を持ち、また「ヨハネの黙示録」6章に語られる4騎手のうち、3頭目の黒馬に乗る〈飢饉の騎手〉は、〈裁き〉の天秤を手にしているとの記述がある。

 写真2は江戸時代の両替屋が使った天秤で、金属の秤棹の両端から真鍮の皿が紐吊りされている。歴史博物館などの展示ではこれが頑丈な木箱を台にした門型の木枠に吊られているのを目にする。この天秤には20両、10両、5両、4両、3両、2両と刻印された青銅製の分銅が附属している。これらの分銅は腹がくびれた繭型である。これは、紐で括り易い形状であることによるものとも言われているがその形の由来は定かでないらしい。

 天秤で重さを計るとき、棹が水平に釣合っていることを目視で認識することになるが、上記の両替屋の天秤では吊り下げ金具の部分に釣合いを確認するための工夫として「針口」という印が刻まれている。実際にはこれを天眼鏡などで拡大して厳密に釣合を確かめたらしい。

 両替屋は洋の東西を問わず重さを計ることが仕事と言えよう。しかも重さを正確に計らなくては店の信用に関わる。16世紀の初頭に活躍したオランダの画家、クエンティン・マセイスが「両替商とその妻」という作品を残している。ルーブル美術館に所蔵されている作品であるが、鳴門にある「大塚国際美術館」でその陶板複製を見る機会があった(写真3)。両替商が手にする天秤の周囲には金貨が散らばり、小皿の上には真珠が見える。婦人が手にするのは祈祷書であろうか、夫人の指が今まさに開こうとしているページには聖母子の挿絵が描かれている。俗世を代表するような両替商と祈祷書を手にする慎ましやかで敬虔そうな夫人。夫人の眼差しは夫が手にする天秤と金貨に注がれている。机上には正体不明の凸面鏡が置かれ、それには店の入り口扉と両替の客であろうか魔女のような風体の老婆が写っている。俗世間の欲望を皮肉った寓意性を感じさせるような不思議な作品である。

 この作品で興味深いのは天秤と分銅、とくに「入れ子」の分銅である(写真4 部分拡大図参照)。写真5は知人がパリの骨董市で入手したのを贈られた物であるが、いかにも手作り風のズシリと重い真鍮製の「入れ子」細工で、マセイスの作品にこれを発見するまでその正体が不明だった。16世紀の美術作品に、正体不明の物体と全く同じ品物が描かれ、それが入れ子分銅であることを知った次第である。

 今回の骨董品シリーズでは天秤と江戸時代の両替屋の分銅、化学用天秤の分銅、16世紀の入れ子の分銅を紹介した。次回はこれらの分銅について諸元等の詳細を紹介する予定である。

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