2000/1
No.67
1. 耳 順 2. 新世紀に向けて 3. 西暦2000年の年頭にあたって

4. 排水性舗装面の音響特性について

5. 桿秤・天秤・分銅

6. 第6回ピエゾサロンの紹介 7. 超音波眼軸長測定装置 UX-30
 
 西暦2000年の年頭にあたって

所 長 山 本 貢 平

 年があけていよいよ20世紀最後の年。西暦2000年を迎えることになりました。いつの時代もひとつが幕を閉じて次の幕が開く。その幕間には人は古き時代を振返っては次の時代を思うものです。いま我々も一つの幕間に到着しました。

 すでに昨年の4月にこの欄に書きましたように、20世紀は急激な科学の進展と技術の革新の時代でした。また20世紀は世界人口の飛躍的な増加の時代でもありました。この二つの変化が地球規模の環境汚染に著しく影響を与えてきたことは誰も否定はしないでしょう。人類による地球環境の汚染と、地球自身の自浄作用による浄化のバランス。このバランスが崩れつつあると科学者は警告しています。地球環境汚染は知らず知らずの内に進んでいたのです。

 もともと人類は自然からの恵みだけを糧に生活を営んでいました。しかし、ある時からは自然の恵みを越えていっそうの恩恵を自然から求めようとしたのです。すなわち木を切り、石炭を掘り、石油を吸上げ、ウランを採掘してエネルギー源の確保に努めました。それは科学・技術が電気のような形を換えたエネルギ−源を必要としたためです。今、電気のない生活を想像できますか?それは阪神大地震後の神戸での生活で代表されます。まず電気がないとコメを炊けないのです。暖房のための石油ヒーターもガスヒーターも今や電気の供給がなければ動きません。テレビやラジオの情報源も使えません。少々贅沢ですが風呂も沸せないのです。稚拙な例を挙げました。20世紀の科学や技術の進展は新たなエネルギーの供給を必要とし、人類にとって多くの「快適さ・便利さ」をもたらしたに違いありません。

 しかし別の見方をすれば、科学や技術は「自然の脅威から人類を守るための手段」を構築してきたと考えることも出来ます。自然の脅威とは異常気象、地震や火山活動などの自然災害。健康や生命を脅かす病原菌の流行などなど。人類は生命を脅かす自然現象をいち早く察知し、可能な限り被害を最少に食い止める技術の開発を行って来ました。世界の天候の長期予測や観測技術も一つです。人は自然と対峙しそれを支配をしようと試みたのです。次の世紀は自然との対峙や支配ではなく、自然との調和や共生を目ざす必要があると思います。

 少々大げさなことを書いてしまいました。身近な問題を考えましょう。この研究所が設立されたのは20世紀の中間よりも少し前の1940年です。まさに、サイエンスからテクノロジーへの変革期。今年で60才の還暦を迎えますが、次の時代にも思いを馳せてみましょう。先にも述べたとおり、次の時代はもはや「快適さ・便利さ」だけに根ざした研究は控えなければなりません。自然との調和あるいは共生を目ざすために、我々に何ができるかを常に考えて行く必要があります。また我々の健康や生命の安全性に関する研究も忘れてはなりません。

 少々話題は変わりますが、次の時代を思う中で私も注目しているものに、国立研究機関や国立大学の独立行政法人化の波があります。ジャーナリストの立花隆氏が文芸春秋の「私の東大論」の中で書かれているように、すでに明治時代にも同じ論がありました。当時の政府は「大学は政府の隷属」と考えていたために、大学と政府との間には多くの事件があったとのこと。そこで旧帝国大学が「学問の自由」と「運営の独立」を真に勝ち得るためには、経済的独立なくしてはなし得ないと考えたのです。すなわち大学・研究機関が一定の基本財産を有し、その運用利益金によって維持する独立の法人を組織することです。おや?これはどこかで聞いたことがありますね。「基本財産を有して運用益で維持する法人」とは、今の財団法人そのものではありませんか。財団法人は政府からは経済的に独立をしており、そのために学問の自由と独立もあるのです。このような独立組織が100年を越えて再び浮上して来たことは興味深いことであります。明治政府は国立大学の独立法人化に難色を示したようですが、平成政府は明治以来の大学人が悲願として来た大学の独立を与えることができるでしょうか?

 しかし学問の「自由と独立」を得たとしても、それは道徳や倫理に基づいて行使されなければなりません。どのような研究者も先に述べた地球環境との調和と共生を忘れるならば、地球は人類を直接浄化してしまうことでしょう。21世紀を生きるであろう我々にとって、そのようにならないように知恵を出しあうことが使命です。

-先頭へ戻る-