2004/7
No.85
1. 武蔵国分寺跡について記した新聞紙面より 2. PE法による騒音伝搬とレベル変動の予測 3. 音声分析器(サウンドスペクトロメータ)

4. 第18回国際音響学会議(ICA2004)

5. 第22回ピエゾサロン 6. 3軸振動計VM-54と人体振動測定システム
      <骨董品シリーズ その52>
 音声分析器(サウンドスペクトロメータ)

理事長 山 下 充 康

 昭和30年代に株式会社小林理研製作所(リオン株式会社の前身)が世に送り出した音響分析器の一つに「サウンドスペクトロメータ」がある。観測船「宗谷」に積まれて南極越冬隊が電離層の研究に使用した音響分析器である。当時の記録によれば450台が出荷されたとのことである。地方の某大学の退官を迎えられた教授から古い整理備品の一つに「サウンドスペクトロメータ」があるので小林理研の「音響科学博物館」の収蔵品に如何かとお声をおかけいただき思いがけなく入手することが出来た。保管状態は良好で、電源を入れると支障なく作動する現役機械である。

 真空管や変圧器やコイル、その他の電気部品で構成されているために寸法が大きくて重たいレトロな装置である。その当時、小林理学研究所がアメリカから一台の音声分析機「ソナグラム」を輸入した(日本国内に全5台が輸入されたとの記録が残されている)。小林理学研究所が入手した一台を見よう見まねでリオン株式会社が国産化したのが「サウンドスペクトロメータ」であった。手造りに近い機械で、開発に当たっては音の記録、再生の方法をはじめ各所に大層な苦心が伴ったようである。完成した装置は図1に見られるように、キャスター付きのラックに電源部、増幅部、周波数分析フィルター部、録音再生電磁ドラムおよび感熱紙記録部分が三段に組み込まれていて、いかにも重々しい外見である。

図1 
  音響科学館に置かれた「サウンドスペクトロメータ」の
セット(上)と製造プレート(下)

 当時、「音の高低」と「強弱」の「時間的な変化」を視覚的に記録するこの装置の機能は他に追従を許さない高性能分析器として高い評価を得た。つまり、記録紙の上に縦軸に周波数を、横軸に時間、そして濃淡で音の強弱を表記するのである。時間の流れを横軸に、音の高低を縦軸に表記するのは音楽で用いる楽譜に似ている。

図2 楽譜による周波数表記
(ヘルムホルツ著「聴感覚論」 )

 音声のように時間的に構成周波数が複雑に変化する音を研究するにはこの分析器は大変役に立ったことであった。めまぐるしく時間的な変化を伴う音の研究に多角的に利用されていたようである。

 当時の記録によれば、音声の分析(認識、合成のための基礎研究、方言や外国語の研究、声と健康状態の関係の究明)、鳥の声など動物の声の分析(家畜の声と健康状態の相関関係、渡り鳥の声、クジラやいるかの声の分析、養殖場で特定の魚を呼び分ける方法の開発)、自動車や鉄道車両などの打音検査の解明(熟練工が判定に用いる音の解明)、循環器や呼吸器などの病理健康診断(電気的な聴診器の開発)、楽器の音色の研究(名器の音色の研究、楽器に使われる材料の研究)などへの適用例が残されている。

 装置の最上部に位置している回転ドラムに指定の感熱紙を巻き付けて周波数帯ごとの音圧レベルに対応する高電圧を接触針に送り、接触針から火花を飛ばして感熱紙に濃淡の縞模様を焼き付けるのである(図3)。
図3 感熱紙を巻いたドラム記録部分

 余談であるが不用意に接触針を指で触りでもしようものなら凄まじいショックを受けて指先に根深い火傷を負ったものであった。実験に夢中になってついつい接触針の曲がりを修正しようとして高電圧のかかっているのを忘れて針先を指で突付きたくなったことであった。

 火花が感熱紙を焼く際に立ち上る異様な臭いの煙にも閉口させられたものである。接触針の根元に吸気ホースを取り付けて煙を部屋の外部に放出するといった工夫を加えたほどであるが、夢中で実験をしながら悩まされた独特の臭気に懐かしさを感じる(図4)。
図4 接触針の部分
 今日ではコンピュータによってリアルタイムで多色表示の分析結果を得ることが出来るが、昭和30年代の分析技術では性能の安定しない真空管で作動する装置を用いて入念な操作を強いられた上に、得られた分析結果は粗末なモノクロであった。

 ここに紹介させていただいた分析装置は長い年月を経たにもかかわらず極めて良好な状態に保たれていて、電源を入れさえすれば正常に稼動する。ちなみに図5は「ア・イ・ウ・エ・オ」の五母音をサンプルとして録音し、記録紙の上に分析結果を描かせたものである。これは女声と男声の二例であるが、各々のホルマント(母音を識別、特定するために不可欠で主要な構成周波数成分)が明確に記録されている。

図5 「ア・イ・ウ・エ・オ」の分析結果

 この分析結果の延長線上に犯罪捜査に利用されて有名になった「声紋」がある。昭和40年代に発生した府中での「三億円事件」や都内で起きた「学童誘拐殺人事件」などでは「科学警察研究所」でこの装置が使われて「声紋」による捜査に大きく貢献したと言われている。声紋は濃淡を等高線的に表示することによって指紋のような姿で声の特徴を特定することが出来ると言われている。

 感熱紙の焼ける異様な悪臭に包まれて音声分析に取り組んで過ごした若い頃の日々を懐かしく思い出したことであった。

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