1999/1
No.63
1. 謹んで新年のお慶びを申し上げます 2. 自然の静けさ(Natural Quiet) 3. インターノイズ98に参加して 4. 航空力学教育用「卓上煙風洞」 5. 第2回ピエゾサロンの紹介 6. 振動分析計VA-11/データレコーダVA-11C
       <骨董品シリーズ その32>
 航空力学教育用「卓上煙風洞」

理事長 山 下 充 康

  音の伝搬性状を解明したり騒音対策方法を検討するのに縮尺模型実験が効果的に使われ、当研究所でも縮尺模型実験用によって数々の研究成果が生み出されている。

 目で見ることの出来ない現象を模型を用いて物理的に把握しようとする実験手法は音響研究以外の様々な分野でも古くから利用されてきた。

 今回の骨董品シリーズでは音響実験とは直接関係するものではないが、大層興味深い模型実験装置を入手したのでこれを取り上げることとした。

 黒いレザー紙の貼られた木箱に得体の知れないガラクタが収められている。木箱と言っても形が崩れかけていて、古物商の倉庫ではゴミ扱いのシロモノであったと想像する。正体不明の中身に興味を感じて箱ごとそっくり譲り受けた。後日、埃を払ってみて驚かされたのは外観に似合わず欠損部品が全く無く、未使用に近い品物であったこと、さらに渋紙色になってはいるが箱の底から取り扱い説明書が出てきたことであった。

 説明書の表紙に「煙風洞」とある。いわゆる流体実験用の風洞装置であることが判明した。説明書の表紙裏に 「陸軍教育總監部、陸軍航空本部、同航空司令部、海軍航空本部、其他陸海軍各学校に採用せらる」とある。

 
図1 煙風洞装置の外観(翼型を取り付けた状態)と
添付されている製造元のラベル

 図1は木箱から取り出して組み立てた本体の外観である。長さ50cm、高さ22cmの木枠に二枚のガラス板が10mmの間隔を保って取りつけられている。取り扱い説明書には、「(イ)発煙室、(ロ)整流室、(ハ)観察風洞、(ニ)吸気室」と記されている。ガラス板以外は全体が軍艦色に塗装された木製で、いかにも物資不足の時期に製作された実験器具といった雰囲気を感じさせる。観察風洞のガラス板には中央に小孔が在って、実験にあたってはそこに付属の翼型などをネジ止めする。

 さて、煙風洞は流れの状態を可視化して観察するために考案された実験装置で、今日でも航空機や自動車などの高速移動物体の空気抵抗の様子などを把握するといった実験に使われている。観測対象の上流に等間隔の細管を並べ、そこから煙を噴出させて流線の振る舞いを観察する装置である。現在の技術では高速気流での実験も可能になっているがここに紹介する風洞で行われたのは専ら微風速での実験であったらしい。

 発煙室に束にした線香を立てる。発煙室に充満した線香の煙は平行に並べられたガラス管(14本)を経由して一旦整流室に溜められ、その後等間隔に開けられた小孔を通 った煙は観察風洞のガラス板の間をたなびくように流れる。整流室は円筒状の布製で、「ココガ本装置ノ心臓部デアルカラ布ニ手ヲ触レヌ様ニスルコトガ大切デアル」と特記されている。

 整流室の反対側に観察風洞の空気を吸い出すための吸気室がある。説明書には減圧の方法が丁寧に記述されていて、その内容は大変興味深い。

 「 煙風洞を運転するには次の三通りの方法がある。

  (1)鞴(ふいご)で運転する方法
  (2)水道の排水にて運転する方法
  (3)電動排風機で運転する方法

 以上三種の方法の内(1)と(2)の方法は本機付属の特殊ポンプで運転できるが、第三の方法は電動排風機を有する場合に限ることは勿論である。而して刻下の情勢に於いては電動排風機は入手できないので(1)と(2)の方法に依る外はない。」

 物資不足の時代、モーターによる吸気ポンプは入手困難で、代替品として手動の鞴と水道の流水が使われている。因みに鞴については「本社提供のものは蓄気タンクが取り付けられていて便利である、一組18円で御注文に応ずる」とある。

図2 木製の吸気用の特殊ポンプセット
(発煙用の線香が箱ごと添えられていた。)

 図2は本体に付属の特殊ポンプセットで、木製のT字管構造になっている。T字の縦棒にあたる管を本体の吸気室に取り付け、T字の横棒にあたる管に水道の蛇口からの水をホースで流す。すると吸気室の空気が吸い出されて観察風洞に緩やかな気流が生じることになる。水流の代わりに鞴による気流を用いることもできる。説明書にいわく、「単にゴム管を口で吹いて実験しながら教授を進めるならば簡単である」。(実際にこの方法を試したが余程の肺活量 が必要である。水道水を利用する方法が最も安定した気流を実現することができるようである。)

図3 様々な形の実験用試験体のセット

 図3はこの煙風洞装置に付属している実験用の模型セットで、翼型をはじめ様々な形状の試験体が準備されている。これらも総て木製である。

 説明書では各試験体について、たとえば風下に発生する乱流の観察や飛行機の翼型を用いた揚力の発生、失速時の乱気流の説明などが丁寧に記述されている。木立と家屋の実験や富士山タイプと三笠山タイプの山型の比較実験はグライダー操縦の教育用であろう。記述の一部をそのまま紹介させていただく。

「富士山の様な斜面を有するものと三笠山の様な斜面を有するものと二種類を付属させてあるがどちらの場合にも風上に面する方では上昇気流を生じ風下に面する方では下降気流を生じるのみならず乱気流が出来ることがある、こう言う具合であるからグライダーに乗って風に向って山を降ろうとしてもなかなか降ることが出来ないが反対に風下に面 した山の斜面の方へ出ると吹き下げられることになる、此れは模型飛行機を飛した時にも風上から木に向って飛んで行く時には衝突するかと思われる樹木をうまく飛び越して行く事があるのと同じである。

また風上に向かって斜面を降ろうとするグライダーは目で見た迎角よりも大きな迎角になり易くなるから思ったより早く失速角に陥るものであるから初心者は注意すべきである。(原文のまま転記)」

 文章がいささか古めかしいがこのような内容の説明が23ページにわたって記述されている。流体力学の専門書ではないが、難解な内容が理解しやすく説明されていて教材として優れたもののように思える。

 販売元は「東京市神田区神保町一丁目23番地 三省堂商事株式会社」。この装置について関連資料を調べようとしたが一向に見当たらない。何か御存知の方が居られたら御一報願えれば幸いである。

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