1996/10
No.54
1. 騒音を測るということ 2. インターノイズ96(リバプール) 3. 斜入射吸音率試験室 4. グラスハーモニカと丼ハーモニカ(?)摺鉦(すりがね)の話

5. 航空機騒問題の歴史(3)

6. M.C.Comp.耳かけ形補聴器 HB-82MC
       <骨董品シリーズ その28>
 グラスハーモニカと丼ハーモニカ(?)
     摺鉦(すりがね)の話

理事長 山 下 充 康

 タイのチェンマイに旅した折り、郊外の山岳民族の部落で古びた金属製の胡銅器(さはり)を手に入れた。丼よりも一回り大きい寸法の椀型の器で、真鍮のような色をした合金製である(写真1左)。チベットからの渡来品とのことで、ラマ僧が神呪の折りに鳴り物として使用するらしい。店の亭主は「すりこ木」のような撞木をサービスに付けてくれた(写真1手前)。

 取り立てて珍しくもない金属の椀に見えるが、この器が意外な振る舞いをするのに驚かされたのは宿の部屋に戻ってからのことであった。

写真 1

 この器を撞木で叩くと長い余韻を残してカーンと鳴る。それだけならば、これは単なる金属椀の音で、日本でも寺の本堂などで木魚の横に置かれている「伏鐘(ふせがね)」の音と変わらない。

 ところで、店の亭主がこれを叩かずに椀の縁を撞木で撫でるように擦っていたのを思い出し、それを真似てみた。するとどうだろう、叩いたときには聞かれなかった低い音が宿の部屋中に響き始めたのである。ウオーン、ウオーンと鳴り続ける低い音は聞きようによっては不気味である。

 器の中に水をはって緑を擦ると、鳴り続けながら水面にひだが現れる。さらに擦り続けると音が強まって沸騰しているかのように水が泡立つのである。

 擦ることによって放射される音は叩かれたときの音よりも極端に低い。叩いたときには高次の振動までが励起されるが、擦った場合には、低次の基本モードの振動が支配的になっているものと推測される。

 この金属の器はどうやら「摺鉦(すりがね)」の仲間らしいと理解した。

 神呪に使われる鉦(鐘)には「敲鉦(たたきがね)」と「摺鉦」とがあると開く。

 鉦は「突く」か「叩く」か「振る」か「打つ」の何れかによって鳴らされるものと承知していた。すなわち、〔jingle bell〕であり〔clapper bell〕であり〔struck bell〕あるいは〔gong〕であるのが一般的な鉦である。

 「摺鉦」と同様な発音メカニズムを持った楽器にグラスハーモニカがある。ブランデーグラスのようなガラスの器の縁を指先で擦って鳴らす(図1参照)。テーブルの上に並べられたグラスに指先を走らせて澄んだ音色のメロディを奏でる演奏の様子は魔術師のしぐさを連想させる。透明なグラスの持つクリスタル感覚と女声のハミングのような音とがグラスハーモニカに特有の雰囲気を醸し出して、これが近年人気をよんでいる。

図 1
 
図 2

 図2に示したのは避雷針の発明で知られるベンジャミン フランクリン(1706〜1790)の考案とされているグラスハーモニカである。水平に置かれた回転軸に寸法の異なるガラスの鉢を固定してペダルでこれらを回転させ、指を触れて演奏する。ガラスの鉢は下の部分が水に浸かっていて、指先が馴染むように常に濡れながら回転するような工夫がなされている。鍵盤楽器に近い形態のグラスハーモニカである。

 ブランデーグラスやワイングラスのように薄手のガラス器であれば大抵のグラスは鳴る。グラスが肉厚だと鳴らしにくい。高級レストランで使っているグラスは一般に薄手で材質も上等なので鳴らしやすい。店で実演をするのは憚られるが、高価そうな気取ったグラスを前にするとついつい鳴らしてみたい衝動に駆られる。

 グラスが鳴ることについては納得できるような気がするが、ここにグラス並みに朗々と鳴り響く瀬戸物の丼がある。

 前掲の写真の中央に置かれている丼がそれである。台湾で求めた白磁の器で「韻碗」と呼ばれている。台北の郊外に位置する焼き物の産地「鴬歌」で焼かれた磁器で、添付された説明書によれば「その聲音は宏壮にして展舒し、その和は清婉にして優美を帯び、餘音嫋々として絶えざること縷の如く、聲音に倚りて音曲を推し度りて悦び得る云々」と記されている。

 この丼はさしづめ、グラスハーモニカならぬ、チャイナハーモニカということになろうか。一見したところ、何の変哲もない瀬戸物の丼であるが、指先を濡らして縁を軽く擦ると実に優雅な音を奏で始める。ガラス製品の場合よりも低く落ち着いた、柔らかな響きを聞かせてくれる。

 ある日、タイからの訪問客があった折りにチベットの「胡銅器(さはり)」と台湾の「韻碗」の不思議な音色を披露した。鉦は叩くだけではなくて、擦って鳴らす場合もあるといったことを得意になって説明したのだが、最近になってタイから一つの鉦が届けられた。送り主は過日、小林理研で「胡銅器(さはり)」と「韻碗」の説明を聞かされた客である。

 それは写真1の右に置かれた仏具の形をした金属製の鉦で、いわゆる「つかみがね」で、カラン、カランと鳴らされる種類のハンドベルの形をしている。送り主の説明ではこの鉦は「摺鉦(すりがね)」であるとのこと。タイではこの鉦を鳴らしながら僧侶が経文を唱えるという。試しに木の棒で周囲を擦ってみた。

 二回、三回と擦るとポーッと鳴り始めた。擦り続けるに従って音が次第に大きくなってきて、その意外さにうろたえさせられた。寸法が小さいくせに大きな音で鳴る。終いには鉦の振動で擦る撞木が跳ね飛ばされるくらいまでになるから、その音たるや耳を覆いたくなる程である。「摺鉦」についての説明をにこにこしながら聞いてくれていたけれど、見事なカウンターパンチの返礼が戻されたものと恐れ入っている。

 京都・大原の三千院から寂光院に向かう小径沿いに実光院という天台宗の寺がある。中国から伝えられた仏教儀式音楽であるところの天台声明を伝承するために建立された僧院の一つで、歴代住職によって古い鉦や楽器類が収集展示されている。地味なたたずまいの大層静かな古刹で、一般の観光客には見落とされがちで、おかげで庫裡の内部や庭園をゆっくり観賞することができる。

 お住職にお願いして展示品の「伏鐘」をいたずらさせていただいた(写真2)。

写真 2

 試しにと撞木の柄の部分で鐘の縁を擦ってみたものであるが、たちまちに鳴り始めた。新緑が眩しい季節、静まりかえった境内にブオーンブオーンと鳴り渡る音が心に染みたものである。

 寸法の大きな梵鐘を擦って鳴らしたらどんな音がするのやら、機会があったら試してみたいと考えている。

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