1990/10
No.30
1. インターノイズ90[Science for Silence] 2. インターノイズ90'に参加して 3. 水 晶 4. 1/3オクターブバンド リアルタイム アナライザー SA-27型

5. 50周年記念祝賀会にあたって

6. 小林理研設立時の思い出 7. 小林理研と私
     <会議報告>
 インターノイズ'90 [Science for Silence]

所 長 山 下 充 康

 今年のインターノイズは8月13日から15日の3日間、スウェーデン第二の都市、ヨーテボリ(Gothenburg)で開催された。ヨーテボリはコペンハーゲンからカテガット海峡をひとまたぎの古い港町である。町の南端に近いカルマー工科大学のキャンパスが会場に当てられた。

 大会実行委員長はこの大学の応用音響学教室のシールマン教授である。教授は1968年に東京で開催された第6回国際音響学会(ICA)に来日されている。その折に持ち帰られたと言う「第六回国際音響学会 日本音響学会」と墨で書かれた色紙が研究室の書棚に飾られていた。縦長の短冊状の古びた色紙がお気に入りらしいが、文字が理解できないから天地が逆に置かれている。Upside-downだと指摘したら、そうだったのかと正しく置き換えたものの、何やら落ち着かないらしく、再び逆転させて納得しておられた。二十年以上も天地逆転の姿を眺めておられたのだから教授の目にはそれなりに馴染んでいるのだろう。

 毛筆で縦に文字の並べられた日本語は欧米人の目に奇妙に映るに違いない。ローマ字と漢字で姓名と研究所の住所とを裏表に印刷した名刺を使っているが、文字の説明を求められると理解してもらうまでに大分苦労する。

 われわれ日本人が国際的な活動に携わろうとする時、最も大きな障害は余りにも欧米諸国と異なっている言葉の壁である。

 インターノイズの最終日、閉会式のパーティの終了後に各国のINCEの代表による会合が持たれた際に、言葉の問題が論議の一つになった。カナダの代表として出席したエンプレトン博士から、インターノイズの公用語を英語だけに限る必要があるかという課題が提言されたのである。

 参加者は私を除いて、英語に不自由していそうもない欧米人ばかりである。司会席のラング会長の目はどうしてもただ一人の東洋人である私に向けられることになった。ラング会長は以前から私を「ドクター・ワイ」と呼ぶ。ヤマシタは発音しにくいらしい。

 「ワイ、意見は?」

 不得意な英語で自分の意見を述べなければならなくなったのには大いに困惑したが、顔見知りの関係者ばかりだし、小人数でもあるから心臓まかせのブロークンで対応した。

 日本からの参加者は、完全ではないけれど、英語の発表内容を理解していること、日本からの英語での発表が理解されているであろうこと、ドイツ語やフランス語を理解する日本人は少ないこと、辞書があれば英語の読み書きは可能なことなどの理由を述べて現在のように英語を公用語とすることに賛成しておいた。

 仙台のインターノイズでは全論文の日本語訳の概要が作成され、一般には便利に使われたようであることも付け加えたが、会合の参加者にそれがどれ程理解されたかは自信がない。

 国際化を目論もうとするとき、個人や団体の名前も発音しやすいものであることが好ましいように感じられた。 KOBAYASHI INSTITUTE OF PHYSICAL RESEARCH・・!?

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