1990/10
No.30
1. インターノイズ90[Science for Silence] 2. インターノイズ90'に参加して 3. 水 晶 4. 1/3オクターブバンド リアルタイム アナライザー SA-27型

5. 50周年記念祝賀会にあたって

6. 小林理研設立時の思い出 7. 小林理研と私

 去る7月27日に東京・国分寺Lホールにおいて『財団法人小林理学研究所設立50周年記念祝賀会』を催しました。120名の参加者を得、盛会のうちに終えることができました。その時の五十嵐寿一理事長の挨拶、三宅静雄元主任研究員、河合平司理事のスピーチを掲載します。

 50周年記念祝賀会にあたって

理事長 五 十 嵐 寿 一

 昭和15年、この国分寺の地に誕生した小林理学研究所が、設立の翌年から始まった太平洋戦争はじめ多くの試練を経て今年50周年を迎え、ここに御関係の皆様と御一緒に記念祝賀会を開催することができました。本日は小林理研に御在籍された役職員としての先輩の方々と、長い間研究所を支えて戴いたリオン株式会社の役員はじめ幹部の方々という、ごく内輪の方をお招きして、現役員及び職員一同とともにご歓談戴くことにいたしました。

 この会場は昨年完成した駅ビルのLホールで、以前御在籍の方には予想できなかった国分寺の変化であろうかと思います。私も終戦後、一年程研究所に通いましたが、当時は駅も北口だけで、研究所までの道は人家も少なく、途中が雑木林や田圃であったことを思うと、まことに隔世の感がいたします。

 50周年につきましては、昨年から準備を進め、いままでの歴史を克明に記録して後世に残すため、50年史の編纂にとりかかりました。まず、沿革編として、研究所運営の経過、その間の研究の概要、研究設備、研究者の動き等を中心にまとめてみました。設立から昭和40年に至る前半の25年については、残っている記録と研究所報告の15周年記念号に記載された各研究室報告、及び小橋先生が克明にまとめられた創立以来の記録を参考に、時田理事の協力と河合先生の監修をいただいて作成致しました。とくに終戦後、素粒子論研究室が作られた経過については、朝永先生がこの記念号に詳しく述べておられますので、その原文も掲載致しました。また資料編には、研究業績としての論文題目、在籍者名簿、年表、各年度の研究及び事業概要、図書蔵書一覧等を収録いたしました。しかし、沿革編では紙面の都合で皆様の業績を十分記述できなかったことをお詫び申しあげます。

 50年間に発表された研究業績は、学術論文の数が約500編、学術講演発表が約700編、単行本約80冊、学術解説200編以上になります。その内容としては、液体、高分子、 生命現象に関する理論、X線電子線による結晶解析、物性、超音波、音響振動等広範囲にわたっており、これらの論文題目は資料として収録いたしましたが、この分だけで約70ぺ一ジになっております。最初、論文の別刷りを集めて50年史の別冊をつくることを計画いたしましたが、約5000ぺージ以上という膨大な量になることが分かり、一部だけ作成して図書室に保管することにいたしました。

 さて、50年を振り返ってみますと、創立が太平洋戦争の前年という時で、戦中戦後の大変な時代を経過いたしました。その中で、基礎物理という最も地味な学問の研究を継続された先輩各位のご苦労は計り知れないものであったと想像されますが、一方、関係学会への貢献は非常に大きなものでありました。また、研究所設立の準備期間から戦争中、戦後にかけて物理談話会が行なわれてその記録が残っておりますが、終戦時の約1ケ月間中断しただけで毎週継続されたこと、特に終戦後の数年間、大学や研究機関が戦災や疎開のため研究が中断していた時期に、これらの機関の研究者がこの談話会に多数参加されて、一時、小林理研が物理学研究の中心的役割を果たしていたということには深い感銘をうけるものであります。この談話会には戦後食料不足の頃、おやつに研究所でできたさつまいもが提供されて、来所された方々に喜んでいただきました。

 ここに研究所が50周年を迎えることができましたことについては、創立者で初代理事長の小林采男先生と、設立の準備から戦後の激動の時代を乗り越え、30年以上にわたって運営にあたられた、恩師佐藤孝二先生の御苦労があったからこそ今日の研究所があるものと思われます。佐藤先生は、戦後の困難な時代に、後にノーベル賞を受けられた朝永先生を研究所に迎えて素粒子研究室をつくり、あるいは磁性や化学の研究者を招くなど、幅広い構想によって研究所の再建と発展をはかられましたが、昭和40年頃になって経済基盤を確立するため、やむを得ず、音響関係の分野に絞って運営することを決断されました。

 昭和47年、私が先生のあとをお引受けしたときは、すでに音響学としてのレールが敷かれており、なんとかいままで無事に運営することができましたが、これには、先輩各位の輝かしい業績による研究所に対する外部の高い評価と、職員の並々ならぬ努力、及びリオンの皆様のご援助によるものと感謝いたしております。

 創立当時は物理学の基礎研究という構想で発足いたしましたが、後半の25年については、音響学専門の応用物理の研究所として運営されて参りました。

 小林先生にお目にかかった際、先生は研究所設立にあたって、生命科学の研究を意図されていたと伺いました。岡小天先生には、本日御出席いただけなかったのは誠に残念ですが、岡先生の高分子や生命物理の御研究はまさにこの構想に沿ったもので、現在のライフサイエンスの出発点といって差し支えないと思います。小林先生は、音響の研究所として運営されていることについては、時代の流れとしてやむをえなかったことで、よくここまで持ちこたえてくれたといって戴きましたが、その後の生命科学の進展を目の当たりにして、先生の先見の明に驚いたものでした。丁度先生が亡くなられる数年前の昭和50年頃のことです。

 本日は小林先生の奥様の代理として、お嬢様の村井さんご夫妻の御出席をいただいております。ご主人の村井様は、天皇陛下が皇太子殿下のとき長い間東宮侍従を務められ、そのときのご活躍のご様子が最近の新聞紙上に報道されました。さて、多くの方はすでにご存じと思いますが、終戦の翌年の昭和21年の秋、皇太子殿下が当時小金井にあった学習院中等科に御在学の頃、御教育係であった、東大物理教室の小谷正雄教授のご案内で研究所の見学にお見えになり、構内に月桂樹の植樹をされました。私も話し言葉の音声波形をブラウン管の画面で御説明申しあげたことを記憶しております。

 創立以来のお話は、後で三宅静雄、河合平司両先生からもお伺いすることとし、ここで、昭和40年以来の音響研究の概要を簡単にご紹介申しあげます。

 まず、圧電材料については、研究所創設以来、河合先生を中心として、ロッセル塩結晶の研究からスタートしましたが、つづいて圧電セラミックの開発によって、リオンの製品としても大きな寄与をいたしました。この研究室では透明な圧電セラミックの開発にも成功いたしましたが、まだ、企業化のめどがたたないのはまことに残念なことです。最近、圧電素子を使った振動ピックアップを校正する装置として、レーザービーム干渉計の設備をリオンと共同で開発いたしました。建築音響の分野では、昭和30年以来、当所に設置された音響材料の試験設備が、学会、業界に大きな寄与をしてきましたが、最近になって牧田理事のご指導により新しい発展をはかっております。また、騒音対策の問題は戦後まもなく佐藤先生がいち早く取り上げられましたが、昭和30年後半になって公害として社会問題になり、外部からの委託研究の要請も急激に増加しましたので、所内に3つの騒音振動研究室を組織し、建築音響研究室とともにその対応にあたっております。これが現在、研究所の活動の中心となってその財政基盤を支えております。これらの研究室では官公庁、公団、企業等からの委託をうけて調査研究を進め、そのなかから研究題目を選択して学会活動をしておりますが、委託業務に大半の時間を割く必要があり、所長、研究室長ともども自主研究の推進に頭を悩ましております。研究内容としましては、騒音振動に関する環境の評価、予測と対策を主要な課題として取り上げておりますが、新しく建設した縮尺模型実験室、低周波音評価実験室及び電算機室が、以前からある残響室とともに、研究所の特色ある設備となっております。

 一方、昭和40年ころ発足した難聴幼児の教育施設、母と子の教室は、20数年にわたり岡本理事のご援助も得て輝かしい研究の成果をあげて参りました。本日この教室の親の会の会長、手塚さんの御出席をいただいておりますが、お嬢さんがこの教室の出身で、大学を卒業され最近ご結婚の式を挙げて新しい人生のスタートをされました。

 さて、近年学問の世界も変遷が著しく、音響の分野としても例外ではないので、研究所としての将来計画を策定する時期にきていると考えられます。特に、自主研究を推進するためには、外部からの受託に対する依存度を軽減する必要があり、皆様のお力もお借りして新しい研究の計画をたてるとともに、将来におけるリオンと研究所間の相互協力の方向も模索してみたいとも考えております。

 何卒、今後とも格段のご援助、ご鞭燵をお願い申しあげて私のご挨拶といたします。

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