1990/10
No.30
1. インターノイズ90[Science for Silence] 2. インターノイズ90'に参加して 3. 水 晶 4. 1/3オクターブバンド リアルタイム アナライザー SA-27型

5. 50周年記念祝賀会にあたって

6. 小林理研設立時の思い出 7. 小林理研と私
     <会議報告>
 インターノイズ'90に参加して

建築音響研究室 吉 村 純 一

 今年のインターノイズは、一年置きに米国以外の地で開催される年に当たり、1990年8月13日〜15日にスウェーデン第二の都市であるヨーテボリで行われた。北欧ということで日本からの参加者も多く、小林理研からは山下所長と私が出席した。この会議の模様とその前後に体験した私にとっては貴重な珍道中を交えて報告する。

 発表のための原稿やスライドもろくに準備が整わない出発約2週間前、航空券の予約の都合から予定より3日早く出発することになった。壇上で喉の奥まで乾く思いをして、発表原稿を読み上げるためだけに投稿したのではない私にとって、旅が多少長くなることは一向に差し支えなかった。だが、「一人で先に行っててくれ。」の一言で、出発前の夏休みを発表の準備に当てるどころではなくなってしまい、3日間を過ごさなければならなくなったパリでの所行について、あれこれ画策して眠れない日々となってしまった。

 国内旅行ですら一人で行動することのない私が、箱崎での出国手続きやリムジンバスの切符の購入など、すでに成田に着くまでに、人には言えない心細さを味わったことは言うまでもない。しかし、間違いなく予定どおりの飛行機に搭乗でき、周囲の座席に何人かの外国人の姿を見掛けるようになってから、かえって落ち着き払った自分を不思議に思った。

 直行便なので12時間半、狭い座席に座らされた上に2回の食事と軽食、それに飲み物のサービス付きで多少体の動きが鈍くなったような気がした。現地時間の夕刻パリ・ド・ゴール空港に着き、まずは両替を済ませないとバスに乗ることすら出来ないのに気付き、大荷物を気にしながら長い列で順番を待つこととなった。迎えのバスにさっさと乗り込むツアー客の連中を羨ましく思った。

 ともあれ、暗くなるまでにホテルのベッドに横になることができ、入り口を間違えて隣のホテルのフロントでチェックインしようとしたり、渡されたキーでは扉が開けられなくて何度も行ったり来たりしたこと、シングルの部屋に変えてくれと言って部屋代はみな同じだと笑われたことなど、これからの3日間を暗示するような失敗を思い出しながら眠りに付いた。

 パリには2度目とはいえ、20年近く前でしかも団体旅行であった。市内観光であれば、地下鉄を利用すれば何処にでも行けることを思い出し、やっとの思いで10枚綴りのカルネ(回数券)を手に入れた。治安の悪さは聞かされていたが、一人旅の気楽さと元来の呑気さで、朝食のフランスパンとコーラを片手に、高々十数年の時の隔り程度では変り様がない名所旧跡を再び尋ねて回った。翌日は朝6時にホテルを出て、前日予約をしておいた列車(TGV)でスイスのジュネーブヘ出かけた。1等車の禁煙席ということもありすこぶる快適で、270km/hのスピードの割に車内騒音は低く、フランスの鉄道技術の高さに感心した。窓からの景色は、見渡す限りの森と畑で、人家は駅の付近だけ、あっという間に擦れ違う列車にそのスピードを実感する程度である。これでは騒音問題の起きよう筈がないし、防音塀や鉄橋、トンネルを抜けて走らなければならない日本に比べて、無響室のような所を突っ走れるTGVは車内も静かなはずだと、営業速度で遅れをとった新幹線を大いに弁護したくなった。

 3日目のパリ滞在も無事に過ごし、8月12日の早朝に空港に着いているはずの所長と待ち合わせるべく、どうにか間違いなく乗れるようになった地下鉄と郊外電車を乗り継いで空港に向かった。駅からターミナルビルまでのシャトルバスの降り場所が違ったため、図らずも空港ターミナルの広さを実感してしまった私は、所長から「おやつれですね。」と声をかけられ、ほっとしたのか妙に口が軽くなったのを覚えた。

 パリからヨーテボリまでは約2時間、空港からホテルまでのタクシーの交渉、運転手へのチップ、ホテルでのチェックインなど、私はぼけっとしているだけで旅慣れた山下所長が一緒だと何と楽ちんであろうか。

 翌日からの学会に参加登録のため、ホテルから歩いて20分程度の会場へ向かった。会場のカルマー大学は市の中心部からは2km程で、市内を縦横に走るドラム(路面電車)やバスも利用できる。夏休み中のしかも日曜日であるためか学内はまさに閑散としており、会場への方向を示す立て看板一つで用が足りてしまうところに、日本と、あるいは日本人との違いを改めて感じた。

 登録開始時間までには間があったが、受付嬢に尋ねたら、もう登録出来るとのことで、"inter.noise90"と印刷されたナップサックいっぱいに詰まった書類や予稿集、プログラムなどを受け取った。気になる発表順をチェックして、私と所長の発表は初日のセッションに組み込まれていることを知り、早々にホテルに引き上げることにした。

 学会初日は会場近くのコンサートホールでオープニングセッションと特別講演があり、学会役員やヨーテボリ市長の挨拶に続いて、歓迎の吹奏楽が演奏された。直ぐ後に発表が控えている私には、続くHeckl教授の特別講演も上の空で、今回の学会のメインテーマである『Science for Silence』に関する、映像を交えて分かり易い講演であったそうである。この間のコーヒーブレイクに、私の発表が組み込まれたセッションの副座長であるMrs.Lawrenceに所長から紹介され、以前小林理研に来られた折に、私の下手な説明をにこにこして聞いてくれた優しいおばさん(失礼)であることを思い出し、多少リラックス出来たことが非常に有り難かった。

 今回の会議の実行委員長であるKihlman教授が遮音の関係の研究者であることもあり、材料や測定方法に関する発表がいつもより多い様に感じた。私の発表は初日の3番目ということで、会場の雰囲気もよく分からないまま、とりあえず用意した原稿を読み上げた。座長はやはり透過損失に関する論文を多く出されているNRCのDr.Warnockで、私が以前に五十嵐理事長に言われて床衝撃音関係の資料を送り、代わりに遮音の関係の資料や文献を送ってもらったことのある人物であることなど、気付くはずはまったく無かった。案の定、座長や会場からの質問はなく、Mrs.Lawrenceのお義理の質問になんとか答えると、今度はその質問に対する意見が私にではなく、副座長に向けられた。代わりに答えるだけの語学力はないので、分かってる分かったと眩くだけだった。

 発表はなんとか済んだものの、パリのホテルで必死に考えた想定問答も無駄になり、その場で思い出せない文章を幾つ用意しても何にもならないと反省した。とはいえ、自分が済んでしまえば気楽なもの、その後は文献で出くわす名前とその人の顔を、この機会に一致させておくことに専念した。ところが、決して会場の音響性能のせいにはしたくはないが、発表者の英語がよく聞き取れない。特にNative speakerの講演は早すぎて、訛りのある英語など何年かかっても理解できるようにはなるまいと改めて観念した。

 2日目以降の講演は朝9時10分からで、これに先駆け8時10分から特別講演が組み込まれており、眠いのを我慢して出掛けてみると、いずれも会場は満員で真面目な聴衆が多いのにびっくりした。それに、初日のHeckl教授の講演もそうであったように、ビデオや映画を駆使した視覚的な解説が印象的であった。特に2日目のDr.Flockは、色分けした0HPスライドだけでなく、切り抜かれた図を重ねながら内耳の聴音構造を解説したり、ついにはプロジェクターに付けた偏向レンズを回転させ、動く0HPスライドまで登場させた。また、3日目のCummings教授も、ダクトの減音量を予測するのに、こんなにも異なるサイレンサーの効果をどう見積もったら良いのか、などと何度と無く会場を笑わせ(一緒に笑えないのがなんとも悔しいが)、プレゼンテーションの巧みさに感心させられた。

 3日間の会議は無事終了し、翌16日は研究施設を見学するテクニカルツアーに参加した。会場となったカルマー大学ではKihlman教授自らが見学者を案内し、無響室や残響室で待ち受ける学生さんから、現在取り組んでいる研究内容や施設の説明を受けた。続いて、実行委員の一人として今回の会議を支えたHans Jonassonが所属する『SWEDISH NATIONAL TESTING INSTITUTE』を訪れ、実験室だけでなくその回りの空間や環境に余裕があることを羨ましく感じた。これらの施設は少なからず私の仕事に関係しており、試験室の構成や使用状況など「百聞は一見に如かず。」の例えどおり非常に興味深いものがあった。

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