2002/7
No.77
1. 音の評価としてのA特性音圧レベル 2. 低周波騒音計測用防風スクリーンの開発 3. 油圧サーボアクチュエータを用いた低周波音実験装置の開発 4. 補 聴 器

5. 第16回ピエゾサロン

6. 人工中耳(植込型補聴器)
       <技術報告>
 人工中耳(植込型補聴器)

リオン株式会社 聴能技術部 藤 岡 秀 樹

はじめに(人工中耳とは)
 わが国における難聴者の数は、およそ300万人とも350万人ともいわれている。このうち、慢性中耳炎、中耳炎後遺症や中耳炎術後症など中耳伝音系に疾患のある患者の多くは、治療の一環として鼓室形成術を余儀なくされる場合がある。この手術と同時に聴力改善術も施され、会話に不自由しない程度まで聴力を改善することができる。しかし、病状によっては術後の聴力改善が十分でなく、会話の聞き取りに支障をきたす患者が少なくない。その場合の補償として、人工中耳が開発された。人工中耳は、従来の補聴器に比べて、1)音質が良く聞き取りが明瞭で、2)騒音の影響も少なく、3)外耳道を閉鎖しないので負担が少ないなどの特徴がある。このように人工中耳は、中耳伝音系である鼓膜、耳小骨(ツチ骨、キヌタ骨、アブミ骨)の機能を代替えする植込型補聴器である。図1に外観を示す。

図1 人工中耳の外観 (左:E方式, 右:T方式)

人工中耳の構造と原理
 人工中耳は、体外部と体内部より構成されている。体外部は患者の聴力に合わせて周波数範囲や増幅度などをフィッティングするための機能を備え、耳かけ補聴器と同様に耳介後部の皮膚の上に装着される。また、体内部は体外部で処理された音声信号をアブミ骨に振動として伝える機能を有し、中耳腔に植え込まれる。図2にブロックダイアグラムを示す。

図2 人工中耳のブロックダイアグラム

1.体外部
 体外部は、マイクロホン、増幅器、音質調整器、電力増幅器、体外コイルおよびボタン形電池によって構成され、耳かけ形補聴器と同じ外形をしている。マイクロホンから入力された音は、電気信号に変換され音量増幅や音質調整を受けた後、電力増幅器の出力に接続されている体外コイルによって磁波信号に変換される。これが皮膚を貫通して体内部の体内コイルに電圧誘導される。

2.体内部
 体内部は、体内コイルと耳小骨振動子とから構成される。体内コイルは乳様突起部に、耳小骨振動子は中耳腔に植え込まれる。そして、耳小骨振動子先端の振動素子(圧電バイモルフ形セラミック)はトルプまたはコルメラを介してアブミ骨に接続される。体内コイルは、体外コイルからの誘導磁界を受けて電気信号に変換し、その信号はさらに振動素子によって機械振動に変換される。

1)体内コイル
 体内コイルは、同じ巻き数のものを逆位相に接続した誘導コイルとキャンセリングコイルの2本のコイルから構成されている。通常は片側のコイルで音声信号を受信し、電気製品や変圧器などから発生している漏洩磁界(平行磁界)が雑音となって入らないようにもう一方のコイルがキャンセリングの働きをする。
2)耳小骨振動子
 耳小骨振動子は、固定金具と振動素子とからなる重要な部分である。固定金具は、手術方法の違いにより、E方式とT方式の2種類が用意されている。振動素子は、中耳腔という狭い空間に植込まれるために超小型であるとともに体内環境(温度36.5℃、湿度100%)に置かれるため、高信頼性、長寿命でなければならない。また、低消費電力や外部磁界の影響を受けないことも重要な条件である。これらを考慮して、バイモルフ構造の圧電セラミックを使用している。この圧電セラミックは、ジルコン酸鉛とチタン酸鉛を高温で焼結して結晶体にしたものである。圧電セラミックの薄板を片持ちの梁にし、板厚方向に交流磁界を発生させると、薄板の自由端は長さ方向に伸縮する。バイモルフとは、これらの性質をもった同性能の薄板を逆相で伸縮するように2枚貼り合わせると、結果として板厚方向に湾曲する。湾曲の大きさは、加えられた電圧の大きさに比例する。図3にバイモルフ・圧電セラミックの構造図を示す。

図3 バイモルフ圧電セラミックの構造

 このように人工中耳の信号伝達方法は、中耳伝音器に代わって直接アブミ骨を振動させるために、過渡応答に優れているばかりでなく、歪みも非常に少ないこともあって、歯切れの良い非常にクリアーな自然な音質が得られる。図4に耳小骨振動子の無負荷時と負荷時の周波数特性を示す。

図4 耳小骨振動子の周波数特性

人工中耳の利点(補聴器と比較して)
(音質に関する項目)

(1) 音響ひずみが少なく、特に過渡応答が優れていますので、ハギレが良い音が得られる。
(2) 騒音下での語音明瞭度が優れている。
(3) 4kHzの闘値改善度が優れているので、子音の明瞭度が向上する。
(4) 時間分解能が優れているので、自然で聞き易い音が得られる。
(装用感に関する項目)
(1) 音響的なフィードバックがないので、ハウリングを起こさない。
(2) 耳せんやイヤーモールドを使用する必要がなく、圧迫感や不快感がない。
(3) ヘアーピースを利用すると体外部を隠すことができるので、装用状態を判らなくすることができる。

世界における人工中耳の開発動向
 難聴者の聴力補償機器の一つである補聴器は、近年、小型化、デジタル化が進み、性能も向上している。しかし、すべての難聴者の聴力を補償できないこともあって、その延長線上の聴力補償機器として、人工中耳、人工内耳や人工脳幹インプラントなどの適応の拡大と普及が求められている。

 その人工中耳については、1993年に世界ではじめて製品化に成功した。これは、日本ではじめてのオリジナル人工臓器であり、世界的にも注目を集めた。一方、欧米諸国では、高音漸傾型や高音急墜型の感音性難聴者を対象にした人工中耳が開発され、6年余り遅れて1998年と1999年にECにおいて米国とドイツの製品が市販され、米国の2社が2001年までにFDAの承認を得た。 Symphonix社:Dr.Jack Hough(Hough聴覚研究所)らの協力によりに開発されたSymphonix社(米国)の人工中耳は、半植込型で、電磁式トランスジューサとして、超軽量の電磁コイル(FMT)を使用する。このトランスジューサはキヌタ骨に装着される。低い周波数は耳小骨連鎖によってそのまま内耳に伝達され、高い周波数のみをトランスジューサが伝えることにより人工中耳が補償するといったタイプである。この方式では、耳小骨連鎖に損傷を与えずに使用できることを特長としている。EUおよび米国で市販されている。 IMPLEX社:Dr. H. P. Zenner(チュービングン大学)とHans Leysiefferにより開発されたIMPLEX社(ドイツ)の人工中耳は、全植込型で、円形のヘテロモルフ構造の圧電セラミックにより、駆動されるロッドをキヌタ骨頭に差し込むか、あるは、キヌタ骨長脚を挟んで使用する。これは全植込型で、EUにおいて実用化されている。 SOUNTEC社:Dr. J. V. D. Houghらの協力により開発されたSOUNTEC社の人工中耳は、小型の永久磁石をキヌタ骨長脚に装着し、イヤーモールドの中に納められたコイルを外耳道に挿入する。このコイルにより永久磁石を駆動し、高い周波数を内耳に伝える。低い周波数は、保存されている耳小骨連鎖により、伝えられる。2001年9月に米国内での市販が許可された。 Otologics社:Dr. J. Fredrickson(ワシントン大学)らの協力によって開発されたOtologics社(米国)の人工中耳も半植込型電磁式トランスジューサを使用し、キヌタ骨頭を押す方式である。体外部にデジタル信号処理回路(DSP)を搭載し、感音難聴に効果的なマルチチャンネルでのノンリニア機能のフィッティングができることを特長としている。

 さらに研究段階にあるものとしては、米国で数社、そしてフランス、オーストリアなどで高度難聴者を対象とした人工中耳の研究が精力的に進められている。このように、1998年にリオンが人工中耳を製品化してから8年余の歳月が流れたが、今日、人工中耳に関する研究開発の熱は高まる状況にある。

おわりに
 人工中耳は、植え込み後2週間程度で特別なリハビリテーションの必要がなく、体外部を装用して音が聞こえるようになる。植え込み手術技法も帝京大学、愛媛大学により確立され、現在では、宮崎医科大学、福井医科大学等でも植え込み手術が実施されている。

 薬事法の製造承認を得てから8年が経過し、人工中耳の植え込み症例は、のべ100症例を越えた。また、治験で植え込まれ、現在も使用続けている患者のなかには、使用期間が15年を越えている者もいる。

 市販されている人工中耳は中等度の伝音・混合性難聴者が対象であるが、より高度な難聴者に対しても適用できる性能を持ったものを市販に向け開発中である。また、寿命の長い充電池およびエネルギー供給方法における技術の開発が進み、体外からは見ることができない全植え込みの人工中耳の研究開発を進めているところである。

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