2002/7
No.77
1. 音の評価としてのA特性音圧レベル 2. 低周波騒音計測用防風スクリーンの開発 3. 油圧サーボアクチュエータを用いた低周波音実験装置の開発 4. 補 聴 器

5. 第16回ピエゾサロン

6. 人工中耳(植込型補聴器)
       <骨董品シリーズ その44>
 聴 診 器

理事長 山 下 充 康

 「観音」、観世音菩薩、観自在、観世自在などとも言う。世間の出来事を自在に観察するの意。「音」であれば「聴く」とするのが自然であろうに、「音」を「観る」としたところが興味深い。これは「音を観る」のではなくて「音で観る」と解釈するのが納得し易いように思える。

 漢書(趙充国伝)に曰く「百聞は一見に如かず」。視覚情報が聴覚情報よりも優れているとの意である。とはいえ、実際には我々が得る情報の量は聴覚の方が視覚を遥かに上回るということは良く知られている。

 視覚では捉えることの出来ない現象や事物を認識する手法として人々の知恵は音を利用することを考案した。「利音」である。即ち、「音で観る」ことであり、更に言えば「音で診る」ことである。

 「魚群探知機」や「ソナー」などに応用されている水中音響技術もあれば、医療関連では超音波技術を利用して体内の臓器や組織を診察する様々な装置が実用化されている。

 今回の「音の骨董品」には医療機器の中でも誰もが目にし、また医師といえば必然的に思いつくアイテムであるところの「聴診器」を取り上げることとした。「聴診器」は文字通り体内の音を聴くことによって健康状態の良し悪しを診る道具である。

 骨董市で手に入れたのが図1のような両端がラッパ状に拡がった木製の棒。外見は棒であるが中はパイプになっていて内部で両端がつながっている。ラッパの内側には木工用の轆轤(ろくろ)で成形されたような同心円状の削り痕が残されている。「首の長いエッグスタンド?」、「金管楽器のマウスピース?」、「蝋燭立て?」・・・・・見る者によって色々なことが想像されるようであるが、実はれっきとした「聴診器」である。

図1 木製のラッパ型聴診器
 今日ではコンピュータ処理機能を有する高性能の診察機器が開発されているが、医師が患者を診察する際に基本とされるのは[視診・触診・打診・聴診]の四診である。中でも音を頼りとする「聴診」と「打診」は古来、最も普及した診察手法であった。医師といえば聴診器を白衣のポケットから覗かせているのがお定まりの姿である。

 医療の歴史をひもとくと、始めは患者の胸に直接耳をあてて、心音や呼吸音を聴取していたらしい。患者の身体に耳を直接あてがっていたのでは伝染病の患者などを相手にする場合には大層危険である。そこで考案されたのが伝声管のように管を利用して音を聴き取ろうという発想で、フランスの医師 ルネ・レネックによって考案されたのが「聴診器」である。始めは図2に示すように直管で管の片方を耳に挿入したものらしい。その後、新材料の開発や経験的な工夫によって数々の改良が加えられて今日のような両耳用の聴診器に至った。片耳直管型から今日の両耳型への中間に位置するのが図1のラッパ型聴診器であろう。良く見ると側面に「国立○○病院」と焼印が捺されている。実際に医療現場で使われていた物らしい。

図2 直管型聴診器
 聴診器は主として呼吸音、鼓動音、血管の音を聴取し、これらの病的変化を知るために用いられる。時として体を指先でかるくたたいて、その音を聴くことによって体の異常を知る場合も在るようで、たたいた部分の構成の違いによって、音の大小、高低、音の響き方、などを区別することができる。この音響の違いによって、各臓器や組織の性状の変化を知ることができる。いわゆる「打診」である。打診法は、オーストリアの医師 J.L. アウエンブルッガーが酒屋の主人が酒樽をたたいて音の変化で樽の中の酒の量を調べている様子からヒントを得て考案されたといわれている。

 音を利用して見えない物の有様を捉えるのは医療分野に留まらない。瀬戸物屋は糸底を鑢で擦ったり縁を指先で弾いたりして製品にひびなどの欠損が無いことを音で確かめる。八百屋の店先では西瓜をたたいて音を聴いては美味いの不味いのとやりあっている光景を目にする。西瓜を買うときに聴診器を持参するのも一興であろう。

 ところで、今日のような聴診器になる前、先端が鼓のような形状の聴診器が使われていたことを御存知の諸兄も居られよう。研究所の備品倉庫の片隅から「代用アイボリー聴診器」が見つかった(図3)。本体が納められていた紙箱は埃に埋もれていたが添付の説明書が興味深いので紹介しておく(「上等ゴム管」は欠損)。おそらくは音響研究所として好ましい性能の聴診器を開発しようと試みたことであったものと推測する。

図3 『代用アイボリー聴診器』(左)と添付の説明書(右)

 鼓のような形の先端部分の向きを差し替えることによって音の聞こえ方が変る。今日の聴診器では振動幕面(図4)は呼吸音用、逆側(図5)は鼓動音用と使い分けると聞いたが、ひと昔前の聴診器では目的によって先端部分を差し替えて使用したものであったやに推測する。

図4 呼吸音聴診用面
 
図5 鼓動音聴診用面

 自動車修理工場の職人がエンジンのブロックに長いドライバーの先端をあてがってグリップに耳を押し当てて微妙に変化するエンジンの音を聴きながら点火タイミングを調整している作業風景を目にしたことがある。固体音を伝えるドライバーが自動車整備職人の聴診器であったことであろう。音の持つ情報を聞き分けることのできる聴覚機能の鋭さは驚嘆すべきものがある。この機能を人々は様々な場面で利用してきたことは周知の事実である。さはさりながら、世間が騒音軍団に占領されてしまっている昨今、音が含有している豊かな情報を聴き取ることが困難な状況になっているのは残念なことである。無駄な音の少ない静穏な環境の実現が望まれる。

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