1999/10
No.66
1. 全身振動の規格 2. レコード盤型録音機[リオノコーダ] 3. 津村節子著 星祭りの町(新潮文庫) 4. 第5回ピエゾサロンの紹介 5. フルデジタル補聴器 デジタリアン HI-D1/HI-D2
 
 津村節子著 星祭りの町 (新潮文庫)

理事長 山 下 充 康

 終戦間近における小林理学研究所の有様が詳細に記述されている文学作品、津村節子著「茜色の戦記」(新潮社)をこのニュースで紹介させていただいたのが1993年7月(小林理研ニュースNo.41)。それから6年を経た今年の7月、「星祭りの町」が新潮文庫で発行された。「茜色の戦記」では戦時中の小林理研、「星祭りの町」では終戦直後の混乱期の小林理研が登場する。

 「八月十五日、天皇陛下の玉音放送があるということで、私は勤務先の小林理学研究所を休んでいた。伯父は、いよいよ本土決戦だ、と言ったが、研究所の研究者たちや、勤労動員で来ていた一高生たちが、ポツダム宣言の受諾だ、と言っているのを私は耳にしていた。

 研究所の庭に、何枚ものビラが舞い落ちてきたのは、八月六日に広島に強力な新型爆弾が、九日には長崎に同様の爆弾が落ち、敗色明らかになった日本にソ聯が一方的に宣戦布告をして、ソ満国境を越え攻撃を開始して間もなくのことであった。

 研究所の人々はみな空を仰ぎ、それぞれにビラを拾った。私も、その一枚を手にして目を通した。一面には、机に向い電話の受話器を手にしたトルーマン大統領の写真が載っており、日本國民諸氏という呼びかけで始まっている。(後略)」(この実物は骨董品展示室にそのまま保存展示されている。添付写真参照。)

 日本国が総てを失い食料はもとより生活物資が極端に不足した時代、装身具や衣類が芋や大豆に変わる物々交換、生きるために進駐軍兵士たちとの間で展開される庶民の様々な知恵。戦後の混沌の中で展開される日本の悲しい姿が作品の随所に克明に書き込まれている。そんな時期に、多感な青春期を迎えた一人の少女の心は、「星祭り(入間の七夕祭り)」の物悲しいほどに控えめな賑わいの中に、黒雲に覆われた廃虚の中から日本国が不死鳥のように立ち上がらんとする底力を鋭く感じ取ったのではなかろうか。父親のインバネスを仕立て直したコートを着て臨んだ女子学習院短期大学の入試に合格するところで稿が結ばれているが、戦前から戦後にかけての小林理学研究所の様子が興味を引くとともに、終戦直後の困窮時代に遭遇した様々な出来事を振り返ると、繁栄に浸りきった今日、身の引き締まる思いにとらわれる次第である。地べたに座り込んで携帯電話にじゃれついている暗い目つきの若者たちがこの作品を読んだらどう感じるか興味深いところであるが、終戦期の日本を知る還暦を過ぎた人々には心にしみる作品であるように思う。小林理研の歴史を理解していただくにもこの上ない参考書である。

 著者からご快諾を得ることができたので、「茜色の戦記」に続いて素人文芸評論を試みさせていただいた。

 「茜色の戦記」、「星祭りの町」の両作品に登場する小林理研の研究室であるが、著者が勤務していたのは「三宅靜雄博士」の研究室である。三宅靜雄先生は7月31日に他界された(享年八十八歳)。ここに謹んで三宅先生のご冥福をお祈り申し上げます。

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