1985/9
No.10
1. 老年と聴力

2. 低周波音に対する可聴音のマスキング

3. 軽量高感度バイモルフ型圧電加速度ピックアップ  4. 液中微粒子計の開発 5. 土地利用計画の指針
       <研究紹介>
      ―低周波シリーズ5―
 低周波音に対する可聴音のマスキング

騒音振動第一研究室 織 田  厚

1. はじめに
 これまでにも、このニュースの誌上でのべられたように、われわれの周囲には、さまざまな要因で励起された20Hz以下の低い周波数の空気振動が存在します。

 低周波音が、われわれの日常生活におよぼす影響としては、窓や建具がゆれたり、ガタガタ鳴ったりする二次的な音も含めて考えると、"うるさい"とか"考えごとの邪魔になる"といった心理的なものや、"頭がいたくなる""気分が悪くなる"といった生理的な支障をもたらすなどの苦情が見られます。

 居住空間に低周波音がある場合に、普通は、20Hz以上の可聴音をともなっています。このため、人体への心理的、生理的影響を論議する場合には、低周波成分のみではなく、可聴音成分との複合について考える必要があるように考えます。ここでは、道路橋の周辺で観測される低周波音をモデルにして、共存する可聴音が、どのように影響しているかを聴覚の面から検討することにしました。

 普通の騒音によって低周波がマスクされる現象を考えた場合、マスクのされ方としては、低周波音の聞こえ方が小さくなったように感じられる"Partial Masking"と、低周波音の閾値が上昇して聞こえなくなってしまう"Complete Masking"がありますが、今回は、後者の"Complete Masking"について検討することとしました。低周波音は、本来聞こえると云うよりもむしろ感じると云った方が適切な感覚であるのに対して、明らかに耳から聞こえてくる可聴音が、低周波音の閾値に対してどのような働きをするのかを調査しようとしたわけです。

2. 実験方法
 マスキングの実験は当所の低周波音暴露実験室で行ないました。被験者には、実験の内容をよく説明するとともに予備実験をくり返し、実験に不安がないようにしました。

 "Complete Masking"とは、着目した音(今回は低周波音です)の感覚閾値が、バンドノイズのためにマスクされて聞こえなくなり、閾値が上昇することですから、まず、バンドノイズがない状態での被験者ごとの感覚閾値を測定します。このため、被験者全員について閾値を測定し、その値をもとにして、マスキングによる閾値上昇を算出します。一人一人の被験者の感覚閾値は皆違うわけですから、一人一人について測定し、各回ごとに全員の平均をして、数値をきめました。

 バンドノイズがない時の閾値の測定結果を、当研究所における過去の測定結果と比較して異状のあるものを被験者から除外しました。

 被験者は、実験室中央の椅子に座らせ着席後約15分間静かにして落着いてから実験をはじめました。被験者には小型の押しボタンスイッチを持たせ、実験音を感じたらボタンを押して合図することとし、実験音は音圧を1dBづつ上昇してゆき、押しボタンの合図のあったレベルを数回記録して平均値を閾値としました。被験者の耳もとに低周波音用のマイクロホンを置き音圧レベルをモニターしました。実験周波数が1回終了するごとに交替して休息をとり、疲労が被験者に蓄積することのないように注意しました。

 実験音をON. OFFする時にクリック音が出ると、それによって実験音の有無を判断してしまい、正確な閾値を知ることができなくなるので、特にクリック音には注意しています。

 一つの純音の閾値がきまるまで、マスクをかけるバンドノイズは一定レベルのまま聞かせておき、純音のみON. OFFしました。測定系列を図1に示します。

図1. 測定系列

3. 被験者
 マスキングによる低周波音の閾値実験は、予備的実験も含めて3回くりかえしました。3回の閾値実験はほぼ一年の間隔をおいて行なわれ、各回における被験者は、人数および男女構成において必らずしも同じではありませんが、各回とも28〜39名で年令は20〜50歳代、男女ほぼ半数づつになるようにし、男女、年令がかたよらないようにしました。

4. 実験結果
 3回にわたって行なわれた実験の内容および結果については表1の通りです。

表1. 閾値実験内容

 マスクされる純音の周波数と、その結果上昇する闘位の上昇分との関係をマスキングノイズの周波数をパラメータとして図2、3に示します。図2で、バンドノイズを63Hz、45dBに固定しておき、4Hzから500Hzまでの純音に対するマスキング効果を口印でプロットしてありますが、4Hzから8Hz位まではほとんどマスキング効果はなく、16Hz位からマスクされはじめ63Hzでは二つの音の周波数が同じになるためにマスキング効果は最大となります。もしマスキングノイズがバンドノイズではなく純音だとすると、二つの音の周波数が近づくにつれてビート音が出るために、被験者はそのビート音の有無でマスクされた純音の有無を感知できるために、ビート音が出るような領域では閾値が下がることになり、二つの音の一致する山の部分に、するどい落ちこみができますが、今回の実験のようにバンドノイズによるマスキングの場合には、二つの音によるビート音がないために、そのような落ち込みはないので、こまかく測定はしていませんが、なめらかな曲線で結んでいます。63Hzより高い周波数になるとマスキングの効果が小さくなり、閾値の上昇が少なくなります。ただ、63Hzを中心として、左右対象の形にならないのは、マスクされる純音が、バンドノイズより高くなると聞きとりにくくなって閾値が上昇することを示しています。

図2. マスキングによる閾値の上昇
(バンドノイズレベル35dB)
 
図3. マスキングによる閾値の上昇
(バンドノイズレベル45dB)

 図3では、バンドノイズの周波数を高くして125Hzにすると、ほとんど63Hzの場合の形そのままで横に移動したものとなっています。

 図2は、バンドノイズを35dBに固定した場合ですが、図3の45dBに固定した時とくらべて、山の形が低くなっており、それだけマスキング効果が少なくなっていることを示しています。それ以外のことについては全く同じことが云えます。

 次に、バンドノイズを63Hz、または125Hzとし、レベルを変化させた時の結果について図4、5に示します。

図4. マスキングによる閾値の上昇
(63Hz1/1オクターブバンドノイズ)
 
図5. マスキングによる閾値の上昇
(125Hz1/1オクターブバンドノイズ)

 下の図で、バンドノイズを63Hzとし、レベルを25dBから45dBまで5dBおきに大きくした時に、4Hzから500Hzまでの純音に対するマスキングの効果についての結果をみると、63Hzをマスキングの最大値として、上下が非対象になっています。これは先に述べたように、マスクされる音の周波数が高い方がマスクされやすいからです。 図5は、バンドノイズ125Hzについてのもので、傾向としては、63Hzの場合と同じと云えます。

 ここで、図4については63Hz、図5については125Hzについてみると、バンドノイズのレベルを5dBづつ等間隔に上昇させているにもかかわらず、閾値の上昇の程度が違います。このことを図6に示します。

図6 最大マスキング周波数における閾値の上昇

 バンドノイズのレベルを大きくすると、閾値の上昇があるわけですが、閾値上昇の傾斜は125Hzの方が急です。なお、35dBの所で、マスキングの効果が同程度になっています。このことは、バンドノイズのレベルが低く、25dB程度では63Hz(低い周波数)の方がマスクされやすく40dB以上になると125Hz(高い周波数)の方がマスクされやすいことを示しています。

 周波数の高い方がマスクされやすいと云う結果は、純音どおしの閾値変化についての、これまでの報告1)にもあることですが、バンドノイズのレベルが小さくなった時に逆転する理由については、今の所はっきりしていません。

 このほか、男性と女性とで、閾値変化に違いがあるかどうかについては、強いて云えば16Hz位の周波数については男性の方がマスクされやすく、それより高い周波数については女性の方がマスクされやすいようですが、これだけの実験結果からは明言しかねます。

5. おわりに
 ここでは、可聴音として、オクターブバンドノイズを500Hzから順次63Hzまでとし、4Hz以上の純音について可聴音に対するマスキングについて実験しました。

 低周波音は"聞こえる"と云う感じよりも、"圧迫されるような、押さえつけられるような、また体のどこかが振動するような感じがする"と云うことで可聴音とはセンサーに相異があるようにみうけられます。今まで積み重ねられてきたマスキングに対する考え方、取りくみ方とは違った結果となるであろうことを予想して実験を進めてきたわけですが、今回の実験では今までの研究の延長上にあるような結果となり、特異な現象(例えば、可聴音があった方がよりよく低周波音を感じる、すなわち閾値が下がると云うような)を見ることはありませんでした。

【参考文献】
1) 例えば 日本音響学会編:聴覚と音響心理、音響工学講座(6) コロナ社
2) 時田、中村、織田:低周波音域暴露実験室の構造と音響特性、日本音響学会誌、Vol.40、No.10 (1984) P.701〜706

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