1985/9
No.10
1. 老年と聴力

2. 低周波音に対する可聴音のマスキング

3. 軽量高感度バイモルフ型圧電加速度ピックアップ  4. 液中微粒子計の開発 5. 土地利用計画の指針
       
 老年と聴力

理 事 切 替 一 郎

 年齢がすすむにつれて身体の老化と平行するかのように聴力もにぶくなってくる。これは誰にでも起ってくる生理的な現象であって、老人性難聴とよばれている。同じく感覚器である眼の方ではどうかというと、40才を越してしばらくすると、大抵の人が判で押したように視力のおとろえを自覚し、眼科医を訪ねて老眼のはじまりであることを指摘され、自分も眼にきたのかと驚きを新たにするのが普通のことであるように思う。このように視力では気づかれるのが比較的ハッキリしているが、聴力のおとろえるのは漸進的であるばかりでなく、自分で聴えが悪くなったと感じるのは60才も後半になってからの方が多い。

 しかし、ヒトの聴力は中年以後から−もっと正確には20才代から−次第におとろえを見せはじめて、とくに高音部の聴えがわるくなってくることは多くの人によって調査されて、年齢別の聴力曲線が示されていることは周知のとおりである。これは年齢を加えることに伴う自然現象であって、世界各国とも一般社会人に共通で、かつ聴力曲線の様子も各国間で差がないと考えられている。

 加齢にともなって聴力が低下するのは何故か?
 一般に、人の加齢現象のおこる原因については多種、多様の説があり、科学の進歩した今日においてもその真因は解明されていないが、それは老化ということにからんで沢山の因子が考えられるからに他ならない。

 まず、その中で重きをなす血管老化説をとりあげて、耳にあてはめてみることにする。「ヒトは血管とともに老いゆく」といわれていて、動脈の硬化度でその老化度を表現する方法がある。

 いま、内耳(蝸牛)の毛細血管にはじまり、内耳に血液を送りこむ内耳動脈や更にそれより中枢側の脳動脈を組織形態学的にしらべてみると、高齢者では動脈硬化像がハッキリ現われているものが少なくない。このような脳動脈硬化の病態から考えると、動脈壁の肥厚によって、狭窄がおこり、内耳へ送られる血流が少くなり、新陳代謝が低下し、したがって内耳感覚細胞の変性をきたすものと思われる。

 さてこの動脈硬化といささか関係のあることであるが、米国のローゼン博士はアフリカで静かなところに住む原住民の聴力検査を行った際に血圧も測定したが、その平均値が高命者と若い人とで余り差がないこと、血中コレステロール値も同様であったことから、その考えを発展させて脂肪に富んだ食物をとることと聴力の関係を調査している。

 フィンランドは最も多く飽和脂肪に富んだ食物をとり、心臓の冠動脈疾患が多いことに着目して聴力をしらべたところ、同じ国民でも低脂肪食の人の方が聴力が良いこと、また不飽和脂肪を多くとるギリシアのクレタの住民ではフィンランドほど聴力低下がひどくないとの結果を得、これは血中ステロール値とほぼ平行であったという。つまり食生活、とくに飽和脂肪を多量にとることは動脈硬化を早め、聴力に関係をもつものと思われる。

 一般にもう一つの老化の大きな原因として神経の退行変化があげられる。これは「ヒトは脳生物」であって、脳の重量が老化度を示すという立場からの考えである。

 耳について神経組織を調査してみると、内耳では蝸牛神経の最末端で感覚細胞(有毛細胞)に到達している細い神経繊維の数が高齢者では減少しており、これは高音を感ずる部分でひどくおこっている。つづいて、この繊維の源である神経節細胞が萎縮したり、数が減っているのが分っている。

 老人性難聴が高音部聴力障害であり、語音(ことば)の聴えが不明瞭になること、耳鳴(みみなり)のおこることがあることなどは、上に述べた変性で説明することが出来る。

 なお、われわれの調査によれば、高齢者では聴覚中枢伝導路の途中にある幾つかの核などにも、神経節細胞の萎縮や減少があり、音響の微細な分析力がおとろえてくる理由も裏づけされた。

 いままで述べてきた血管系、神経系などにみられる老化以外に、老人性難聴に関係がある原因はほかにないか?

 その一つに生活環境騒音の問題がある。適応刺激を大幅に越す強い音を長くきいていると騒音性難聴をひきおこすことはよく知られている。ところで、人が一生のうちに不知不識のうちにきいている生活環境騒音が少しでも聴力を低下させるかどうかである。このことに関連して興味深い研究がある。それは前にも出たローゼン博士が約20年前にアフリカのスーダン地区の原住民について聴力をしらべたところ、高齢者であっても聴力低下は極めてわずかで、欧米人の年齢別平約聴力に比べて聴えがよい事実をみつづけたことである。

 この聴力の違いの原因については、食物生活様式の差異があるとはいえ、生活環境騒音の影響は無視することが出来ないことを思わせ、騒音はたとえ小さくとも年齢的な生理的低下に影響を与えて多少とも助長するものではないかと考えられる。

 これと同じような調査結果が最近また現われたことはわれわれの興味をひく。本年5月にマイアミで開かれた第13回世界耳鼻咽喉科会議でチリのユイクーリア博士により報告されたのがそれである。博士は南米大陸の2,350マイル西にあるIsland of the Great Silenceと呼ばれる孤島イースター島の45才以上の住民90名について聴力を調査した。各年齢層とも島を離れたことのない者は最もよく聴力を保っていたが、本土のチリの現代社会に3〜5年間生活したことのある者では聴力が低下しており、6年以上の者では更に低下していたという。

 物質文明の発達により、とくに都会生活者には好むと好まざるとに拘らず不必要な騒音が耳に入る機会が多くなっているが、老化の促進という意味から一考すべき問題が含まれているように思う。

 このように考えてくると、最初に述べた老人性難聴とは、本来特別に静かな環境に住む人の自然の老化に加えて、文明社会におけるストレス、食生活によって生ずる循環器疾患などの老人病、騒音環境、酒、タバコの習慣などいろいろな要因に影響されて生ずるものと考えざるを得ない。

 平均寿命80歳時代を迎えて
 すでに1983年、日本の女性の平均寿命は79.8才、男性のそれは74.2才という驚ろくべき水準に達し世界一の長寿国になった。定年制延長などで従来ならば引退して家庭にある人も、働らく必要に迫られ、文書を処理する仕事につく人では視力快復のため眼科では白内障の手術が急増しているという。老人性難聴に対する補聴器の需要も増すのではあるまいか。大いに工夫、改善を要するものと思われる。

 人間がこの80才の生涯をどのように輝やかしく充実したものにするか、その設計をどうするかが真剣に問われている。

 耳に関する限り、高齢になってからおこる難聴を少しでも少なくするための予防対策は何であろうか?

 今まで述べてきたように、過剰な聴力低下をひきおこす原因を文明諸国の衣、食、住や精神生活の条件を反映したものと解釈しないわけにはゆかず、自然生活を送っている人々に比較すると、衣、食、住、環境を含めた物質文明、それに加えて精神的ストレスなどが身体を蝕ばんでいる点がないとはいえない。

 われわれは(1)循環器系の老化を促進し動脈硬化をひきおこさないように、バランスのとれた食生活を若い頃から工夫、摂生すること、(2)不必要な、また過剰な精神的、肉体的ストレスを回避すること、(3)平素余り気にしていない生活環境騒音に対しても、もっと神経質になってこれを少くするよう自ら耳を保護することを工夫して生きることが大切であろう。

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