2007/1
No.95
1. 新年を迎えるにあたって 2. 能本乙彦先生と小林理研 3. ECAPD'8参加報告

4. 静電気発生器

5. 第27回ピエゾサロン 6. 1/2インチエレクトレットマイクロホンUC-59
  
 第27回ピエゾサロン

顧 問 深 田 栄 一

 2006年6月13日に小林理研で第27回ピエゾサロンが開催された。東北大学大学院工学研究科の和田 仁教授が講演され、その題目は「聴覚器官に存在し驚異的な速さで変形するタンパク質モータPrestin: これにより我々の聴覚は鋭敏なものになっている」であった。講演は6つの項目に分けられていた。
  1.内耳の機能
  2.蝸牛の機能
  3.外有毛細胞の運動性
  4.蝸牛の増幅
  5.耳音響放射
  6.モータタンパクPrestin.
 聴覚の基本から始まって、基底板の振動増幅の鍵を握るモータタンパクPrestinの最近の研究成果までを、分かりやすく解説された素晴らしい講演であった。
 会話のときの鼓膜の振動は数nmに過ぎない。この振動はアブミ骨を通してらせん状の器官である蝸牛に伝えられる。蝸牛の内部には基底板が存在し、リンパ液で満たされている。基底板には外有毛細胞(Outer Hair Cell: OHC)と内有毛細胞(Inner Hair Cell: IHC)を含むコルチ器が存在する。基底板振動の最大振幅は、低周波では入り口に近い部分で、高周波では先端に近い部分で起きる。この振動の増幅には外有毛細胞が役割を果たし、振動を電気信号に変換して、聴神経にパルスを送るのには内有毛細胞が役立っている。
 図1は基底板(BM)の上にあるコルチ器官の構造を示す。図の左側にある内有毛細胞IHCの上部には聴毛と呼ばれる細長い毛の束が存在する。基底板が振動すると、上を覆う蓋膜との間にリンパ液が流れて、聴毛が屈曲振動をする。その結果聴毛に存在するイオンチャネルが開いて細胞内にイオンが流入する。そのため内有毛細胞が脱分極してインパルスが聴神経に発生し脳に伝えられる。


東北大学大学院工学研究科 和田 仁教授 講演

 図1の右側には外有毛細胞OHCが存在する。その上端にある聴毛は蓋膜と結合しており、外有毛細胞の伸縮運動は基底膜の振動を増幅し、蓋膜との間のリンパ液の流動を増大する。したがって、外有毛細胞の運動の増幅が、内有毛細胞からの電気出力を増大させる。この外有毛細胞の膜の振動を司るのがPrestinと呼ばれるタンパク質である。

Structure of the organ of Corti
図1 コルチ器官の構造(和田 仁先生の講演資料より) 
BM:基底膜
IHC:内有毛細胞
Stereocilia:聴毛
  OHC:外有毛細胞
Tectorial membrane:蓋膜
Auditory nerve:聴神経

 図2は外有毛細胞とその細胞膜の模式図である。上端面にある聴毛がたわむことによって、リンパ液からイオンが流入して、細胞内の電位を変化させる。細胞膜には図に示すように三つの層が重なっているが、重要なのはタンパクモータの存在する層である。このモータと呼ばれるタンパク質分子を作るDNAの塩基配列が決定され、Prestinと命名されたのである。

Lateral wall
The OHC lateral wall has a unique trilaminate structure: the outermost plasma membrane, the cortical lattice, and the innermost subsurface cisternae. The motor protein is thought to be embedded in the plasma membrane. The source of the somatic length change of the OHCs is considered to be the conformational changes of these motor proteins. In 2000, the motor protein was identified in the gerbil cochlea and termed “Prestin.”
図2 外有毛細胞の膜は三層の構造をもち、その中にモータタンパク質Prestinが埋もれている
(和田 仁先生の講演資料より)

 図3は、外有毛細胞の膜の内外の電圧を変化したときの、細胞膜の長さの変化およびひずみの量を測定した結果である。電圧の変化は準静的に行なわれている。ひずみ零での電位−80 mVは、細胞内にある負電位である。ひずみと電圧の関係は著しい非線形を示す。しかし、ひずみの小さい範囲では線形であり、見かけの圧電率を計算することができる。80 mVで0.8%のひずみとすると、細胞膜の厚さを10 nmと仮定すれば、圧電率(d31)は約1000 pm/V (= pC/N)となる。圧電高分子PVDFの約d31 = 20 pm/V, 圧電セラミックPZTの約d31 = 200 pm/Vと比べて、はるかに大きい。

Input-output function
The input-output function of the OHC is not expressed by a straight line but a curved one, i.e., the function is non-linear.
図3 外有毛細胞の膜(Prestin)で観測された電圧と長さおよびひずみの関係
(和田 仁先生の講演資料より)

 外有毛細胞の膜を長さ方向に伸縮させたときの電気分極の変化はまだ測定されていない。またこの見かけの圧電効果の詳しい機構もまだ不明であるが、イオンが膜を透過するときに膜の容積が増加すると言う説もある。通常の生体高分子の圧電の機構では、電界によって分子の内部形態が変化するためにひずみが起こると考えられている。イオンの存在はむしろ圧電効果を阻害するようにはたらく。しかし、Prestinの圧電効果では、イオンの動きとあいまって、分子の大きな変形が起こるように思われる。
 眼の角膜はコラーゲンというタンパク質分子が配向した構造を持つが、水分が多いほど圧電効果が大きいことが最近観測された。水分を含まない生体高分子(タンパク質、多糖類、DNA)の圧電機構とは異なって、水分を含む生体高分子(Prestinやコラーゲン)には、それぞれ新しい圧電機構があるように思われる。
 バイオテクノロジーの最新の技術によって、タンパク質分子のアミノ酸配列の一次構造が分かれば、細胞培養によって、そのタンパク質分子を大量に生成することが可能になった。図4はPrestinが細胞膜に存在する模式図をしめす。膜は脂質の二分子膜からなるが、Prestin分子は、この膜を12回横断している。この横断部分の分子だけを取り出す方法があると言うのには驚かされる。和田先生はPrestinのこの横断部だけを集めて基板の上に配置し、その圧電効果を観測することを計画しておられる。まさに聴覚の中核となる機構が解明されようとしている。

Motor protein prestin was identified in 2000.
Zheng, J. et al., 2000. Prestin is the motor protein of cochlear outer hair cells. Nature 405, 149-155.
Membrane topology of prestin
Prestin-encoding cDNA correspond to a polypeptide of 744 amino-acid residues with a molecular weight of about 81.4 kDa.
Prestin includes 12 transmembrane domains.
図4 Prestinの細胞膜での配置
(和田 仁先生の講演資料より)

 圧電高分子の研究はすでに数十年の歴史があるが、乾燥状態でのタンパク質分子の圧電率は、水晶程度の小さいものである。α‐ヘリックスを巻いたタンパク質高分子を細長い円筒で近似すると、円筒の直径方向に電圧をかけると、円筒の軸方向にずり変形が起こるというのが、普通の圧電効果である。円筒の軸方向に電圧をかけて直径方向に変形が起こる効果は、零ではないが非常に小さく普通は観測されない。Prestinでは、このような圧電効果が、従来のタンパク質分子のずり圧電効果に比べて数百倍も大きいのである。ずり圧電の効果は、タンパク分子の形態が変化し、COやNH などの極性基が内部回転するためと考えられてきた。また水分があると、イオン電導が圧電効果を減少させる。しかし、Prestinの場合は、イオンの存在が圧電効果を助長しているように思われる。電圧とひずみの間の非線形効果も大きく、その曲線の形は電歪曲線を思い出させる。
 聴覚の主役を務めるPrestinの圧電効果は、従来知られている高分子の圧電効果とはまったく異なる新しい機構によるものかもしれない。聴覚の機構は、生物学の重要な研究課題であるが、ときには古典的物理学といわれる音響学にとっても、残された最も基本的な基礎研究の課題である。音センサの実際的応用にも画期的な発展があるかもしれない。バイオテクノロジーとナノテクノロジーを駆使したPrestinの研究の今後の発展には大きな期待が寄せられている。
参考文献
R.Fettiplace and C.M.Hackney: The sensory and motor roles of auditory hair cells,
Nature Reviews / Neuroscience, vol.7, p.19-29, 2006
A.C.Jayasuriya and J.I.Scheinbeim: A study of piezoelectric and mechanical anisotropies of the human cornea,
Biosensors and Bioelectronics vol.18, p.381-387, 2003

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