2007/1
No.95
1. 新年を迎えるにあたって 2. 能本乙彦先生と小林理研 3. ECAPD'8参加報告

4. 静電気発生器

5. 第27回ピエゾサロン 6. 1/2インチエレクトレットマイクロホンUC-59
   
 能本乙彦先生と小林理研

顧 問 深 田 栄 一

 小林理学研究所の創設のときに研究所に参加され、超音波研究の権威として著名な学者であった、能本乙彦先生が2005年の秋に逝去された。2006年10月に九州大学で開催された音波と物性討論会で、能本乙彦先生を偲ぶ講演が、筆者と東京電機大学教授の野村浩康先生によって行われた。

能本乙彦先生の経歴
 能本乙彦先生は明治45年(1912)1月20日に東京でお生まれになった。昭和9年(1934)に東京帝国大学理学部物理学科を卒業された。昭和13年から2年間、陸軍気象部技師兼教官をお勤めになり、昭和15年に財団法人小林理学研究所に入所して研究員になられた。昭和19年には理学博士の学位を受けられた。昭和21年から主任研究員として超音波研究室を主宰された。昭和24年に東京農工大学教授に就任されたが、その後もずっと小林理研の兼務を続けられた。昭和47年には防衛大学教授に移られたが、昭和53年に退官され、また小林理学研究所名誉研究員となられた。平成17年(2005)に93歳で逝去された。

初期の小林理研
 昭和29年(1954)に出版された小林理学研究所報告創立15周年記念特別号に所長の佐藤孝二先生が小林理研の生い立ちについて書いておられる。昭和12年頃に、朝鮮の小林鉱業株式会社の社長であった小林采男氏が、将来の科学技術振興のために理想的な研究所を設立することを、東京大学航空研究所教授であった佐藤先生に相談されたのが、小林理研が誕生する契機であった。佐藤先生は東大物理の寺沢寛一先生と西川正治先生と相談され、また友人の坂井卓三東大教授の援助を得て、研究員の人選を始められた。まず理研から三宅静雄先生が、大阪大学から岡 小天先生が、陸軍気象部から能本乙彦先生が入所された。昭和14年から、丸ビル8階にあった小林鉱業株式会社の事務室で、図書の購入や談話会が開催された。昭和15年に国分寺の研究所本館が完成し、文部省から財団法人設立の許可がおりた。
 当初の事業計画は次の諸研究であった。
  1.物質構造の理論的研究(岡 小天)
  2.X線および陰極線による結晶並びに金属組織の研究(三宅静雄)
  3.超音波に関する研究(能本乙彦)
  4.水中音響の研究(佐藤孝二、小橋 豊)
  5.ロッセル塩の圧電気に関する研究(河合平司)
  6.軍部の委託研究
 また昭和19年には、小林理研製作所(後のリオン)が隣接地に設立された。昭和20年の敗戦以後、小林理研は財政的に苦難の時期を過ごしたが、昭和40年頃から研究を音響振動の領域に集中して、特色のある独自の研究所として発展してきた。

談話会
 昭和49年(1974)に出版された『佐藤孝二先生』追悼文集の中で、能本先生が小林理研創立の頃の思い出を書いておられる。丸ビル時代から、週に一回談話会が開かれた。メンバーは坂井(東大)、佐藤、岡、三宅、能本、西村、小橋の諸先生であったという。この談話会は国分寺に本館が建築された後も、戦中戦後を通じて休まずに続けられた。戦後は他の大学などの研究者も参加された。談話会の後は昼休みとなり、弁当を一緒に食べながらいろいろな議論の花が咲いた。例えば、佐藤先生の意見は“物理学は工業に応用するためにある学問である”ということであり、坂井先生の方は“物理学は自然認識のための学問である”ということで、紙一重の差ながらいつも平行線であった、と能本先生は述懐されている。基礎研究か応用研究かの議論は時代を問わず続くように思われるが、能本先生はこの双方に見事な業績を残されたと思われる。事務室に残っている記録によると、能本先生の講演が第351回(昭和28年10月30日)「超音波による光の回折」、第444回(昭和31年9月21日)「超音波の作用における物理的因子」、第488回(昭和33年6月19日)「超音波の光学的影像法の分類」と題して行われている。

超音波15年
 小林理研報告創立15周年記念号(1954)に、能本乙彦先生は超音波15年と題して、それまでの研究を総説されている。
1.序言
2.超音波による光の回折の研究、音場の映像の研究および関連した研究
 (a) 超音波による光の回折の研究
 (b) 固体中の弾性波による光の回折の研究、水晶の弾性常数の測定
 (c) 超音波の光学的映像の研究
3.超音波の応用に対する基礎的研究
 (a) 超音波の強度と作用の関係
 (b) 超音波の化学的その他の作用
 (c) 超音波のエネルギー密度の媒体による影響
 (d) 超音波の金属熔融物に及ぼす影響
 (e) 水晶板の割れやすい方向、水晶の結晶軸を決める方法
 (f) Langevin型水晶振動子の理論
 (g) 磁歪振動子の超音波出力と円線図の測定
 (h) Hartmann噴気発音器の動作特性
 (i) チタン酸バリウム磁器による強力超音波の発生の研究
4.気体、液体、固体中の超音波の速度および吸収と物質の構造および性質の関係に関する研究
 (a) 気体中の超音波の吸収と分散
 (b) 液体中の超音波の吸収と分散
 (c) 液体中の音速度、分子音速度、分子圧縮率
 (d) 固体の弾性常数および内部摩擦
 これらの項目から明らかなように、能本先生の研究は深く広く膨大な領域を覆っている。超音波による光の回折や超音波の光学的映像の研究は当時の最先端の研究であった。気体、液体、固体中の超音波の速度および吸収の研究は物性物理の最も重要な基礎研究である。超音波の化学作用や超音波振動子に関する研究は多くの工業的応用につながっている。
 文末に約50編のご自分の研究論文が記載されている。その後の論文の数は測り知れない。また著書には、「分子音響学」(能本乙彦 岩波書店1940)、「聞こえない音(現代自然科学講座7)」(能本乙彦 弘文堂1951)、「超音波技術便覧」(実吉純一、菊池喜充、能本乙彦監修 日刊工業社1959)、「コウモリと超音波―エコーサウンディング」(ドナルト・グリフイン著 能本乙彦訳 河出書房1978)などがある。
 また小林理研の能本研究室からは、多くの優れた研究者が現れた。池田拓郎氏は東北大学工学部教授になられた。岸本 匡氏は東京光学研究所からマミヤ光機に移られた。根岸勝雄氏は東京大学生産技術研究所教授となられた。

音波と物性討論会と能本先生
 音波と物性討論会は、1956年に音響化学討論会の名称で創立された超音波に関する全国的な研究会である。表1に能本先生がこの会で研究発表をされた題目を掲げる。
 1968年から1974年までの間は防衛大学の遠藤晴巳助教授との共著であるが、1978年からは小林理学研究所の名誉研究員として、研究発表を続けられた。
 第30回の記念講演「音波物性の歩み」の項目をあげると、
 1.序論
 2.基礎的事項
  (a) 気体の並進分散
  (b) 濃縮流体の状態方程式
  (c) Brillouin散乱と負分散
  (d) 水の負分散
  (e) 混合気体の負分散
  (f) 偏光で観測したRayleigh線の構造と液体の横励起
 3.気体
 4.液体
  高粘性液体、液体の音速度、液体ヘリウム
 5.キャビテーションと超音波化学作用の基礎
 最近の新しい研究について広い展望を行われた。文末の文献の数は約250編に達している。能本先生の論文には、常に膨大な引用文献があり、精力的な勉強の成果に圧倒される。 
 第40回の記念論文「音化学の周辺」の項目は次のようである。
・超音波によるペニシリウムの突然変異
・超音波による化学反応の促進、高分子化合物に及ぼす作用
・超音波の強さと化学反応
・蒸留水に超音波を照射したときの化学反応
・音響ルミネッセンス
 (キャビテーションに伴う発光)
・音響化学ルミネッセンス
 (キャビテーションに伴う化学反応、ルミノール)
・コロイド硫黄生成の遅れ
・超音波の金属結晶化に及ぼす影響
・水晶板の破壊方位
・超音波による光の複屈折、岡理論とPrigogineの理論
・超音波による写真乾板および印画紙の現像促進作用
・超音波の写真乾板黒化作用
・超音波キャビテーション腐食に及ぼす直流電流の影響
・超音波による高分子物質、骨等の発熱
・超音波の電気的化学作用
 超音波による化学反応やキャビテーションなど応用に関する問題が広く解説されている。能本先生が超音波物理の基礎的な研究を深く掘り下げると同時に、超音波の応用分野について強い関心を持たれ、広く研究を発展されたことが伺われる。

表1 「音波と物性討論会」における能本先生の発表題目
回(開催年)
会 場
演 題
第1回(1956)
阪大理
 音速度と音吸収から推定した溶液中の水分子の会合状態
 綜合講演「音速度と液体の構造及び性質」
第2回(1957)
東大理工研
 音速度と分子間力
第3回(1958)
名大理
 混合液体の音速度と分子構造
第4回(1959)
京大化研
 超音波の吸収・分散からみた気体分子の衝突刺戟確率
第5回(1960)
都立大理
 綜合講演「超音波化学作用の物理的機構」
第7回(1962)
阪大理
 液体の音速度と物性
第8回(1963)
広島大理
 超音波の吸収機構
第9回(1964)
名大理
 有限振幅音波の波形歪と液体の非直線性パラメータ
第10回(1965)
都立大理
  超音波化学作用の機構
第13回(1968)
東北大金材研
 界面活性剤水溶液の音速度(共著 遠藤晴巳)
第14回(1969)
化学会
 有機化合物水溶液の音速度の測定(共著 遠藤晴巳)
第15回(1970)
広島大理
 電解質水溶液の音速度の測定(共著 遠藤晴巳)
第16回(1971)
北大応電研
 アルキル硫酸ソーダ水溶液の音速度と水の構造変化(共著 遠藤晴巳)
第17回(1972)
愛知県産業貿易館
 非電解質水溶液の断熱圧縮率と溶液構造(共著 遠藤晴巳)
第19回(1974)
化学会
 電解質水溶液の音波吸収(共著 遠藤晴巳)
第23回(1978)
国立教育会館
 石英ガラスの音速度と弾性の温度及び圧力変化の機構
第30回(1985)
東大生研
 記念特別講演「音波物性の歩み」
第40回(1995)
名古屋
 記念特別号 寄書「音化学の周辺」

能本乙彦先生の写真
 学者以外の何者でもないと言われた能本先生の温顔を記念するいくつかの写真を掲げた。図1左は小林理研の親睦旅行の際、能本先生が39歳のときの写真である。右は全員の集合写真である。図2は1997年横浜で開かれたUltrasonics World Congressに出席された際の写真である。能本先生の超音波研究の流れは、東京大学生産技術研究所の鳥飼安生先生、根岸勝雄先生、高木堅志郎先生らの研究につながっているように思われる。図3は1998年、小林理研での第一回ピエゾサロンに出席された際の写真である。50年を超える小林理研での超音波研究の思い出話をなさったことが懐かしく思い出される。

  
図1 小林理研松風会旅行(湯本 1951.4.27)
 
図2 能本先生と高木堅志郎先生(東大生研)
Ultrasonics World Congress 1997 横浜Pacific Hotel
図3 第一回ピエゾサロン
1998.6.17. 小林理研

 図4は昭和20年戦争中に、小林理研本館裏庭で撮影した所員と学徒動員の学生達の記念写真である。後列右から二人目が能本先生である。その右は東大物理三年生だった早川幸男さん。前列左から二人目は一高生だった井口洋夫さんである。他の一高生の名前を教えていただいた井口先生にお礼を申し上げる。戦時中にも小林理研が基礎研究を続け、人材の育成にも寄与していたことが見られる。

図4 小林理研本館裏庭、所員および学徒動員の東大生と一高生(1945(昭和20)年3月)
後列左から 高木(久保)ミエ(東京工大)、杉田元宜(一橋大)、峰岸武春(横浜市立大)、大川章哉(学習院大)、岡 小天(東京都立大)、河合平司(横浜市立大)、三宅静雄(東京大)、小橋 豊、深田栄一(理研)、植田精三(東京大)、能本乙彦(東京農工大)、早川幸男(名古屋大)
前列左二人目から 井口洋夫(東京大)、高原誠一、小西正一、国司秀明、金田 茂、荒井昌昭、前田 勇、伊藤薫平、古沢太一
*括弧内は後に小林理研から移られた大学名

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