2006/10
No.94
1. “中庸の精神”の功用

2. WESPAC \ 2006 SEOUL

3. 汽車の汽笛・鐘 4. 精密騒音計(1/3オクターブ分析機能付) NA-28
 
 “中庸の精神”の功用

騒音振動第一研究室 室長 木 村 和 則

 “中庸”と言う言葉がある。広辞苑では、「かたよらず常に変わらないこと。不偏不倚で過不及のないこと。中正の道。尋常の人。凡庸。アリストテレスの徳論の中心概念。過大と過小との両極の正しい中間を知見によって定めることで、その結果、徳として卓越する」とある。私なりに解釈すると「人の流れの方向を的確に判断して、自らが最も真ん中であると思う事を自分の信条とすることで自ずと徳が生まれる」。事にあたる時に、この言葉を全ての人が心にとどめていれば、何事もスムーズに進むものと考える。騒音の苦情についてもこの言葉は重要な役割を持つ。例えば、近隣の工場から騒音が発生している場合に、たった一人がうるさいと訴えても周辺の人の同意が得られなければ、苦情の対象とはなりにくい。しかし、同じ被害感を持っているが先頭に立って訴えるまでには至らないという人がいた場合、その人は訴えた人に同調し、その数が増えれば地域の環境問題となる。この場合には、中庸の精神を持てば自ずと解決するという訳には行かないが、当事者同士が中庸の精神を持つと持たないとでは解決への道筋で大きな違いがあると考える。
  マンション住まいの場合には、日ごろの生活の中で騒音・振動を感じる側でもあるし、発生する側でもある。人間が日常生活を営む以上、自らが何らかの形で騒音・振動を発生し、誰かがそれを聴く・感じる事になる。しかし、その音がトイレの流水音なのか子供が飛び跳ねる音なのかでその責任の所在は全く異なる。音を出す側か、マンションを作った側か、あるいは被害感を持った人のわがままかである。「私は高級マンションを買ったのだから、隣戸などからの音は聞こえないのが当然だ」という苦情が多いと聞くが、高級なのは土地の価値が高いだけであり、建物が騒音・振動に関して完璧な配慮をしているのとは別だそうである。集合住宅では、階段・廊下の配置によって、苦情となる状況が異なると言われている。例えば、上下階で問題が発生した場合を考えてみると、低層住宅では上下階で階段を共有しており、最低でも日常的に挨拶程度の付き合いはあり、いろいろな解決方法がある。しかし、高層住宅の場合には、廊下は横に配置されており、日常的に接するのは同じ階の住民だけである。他階の住民とはエレベータで会う程度で、集合住宅内での各種活動に積極的に参加したりしない限り、自分と異なる階に住んでいる人とは全く面識がない場合が多く、苦情に繋がりやすい。上下階が知り合いであれば、階下の家族構成、生活パターンなどの情報を基に苦情対象の限界を判断して生活するし、階下の住民もある程度の忍耐を持つ。これも、広く解釈をすれば中庸の精神と心得る。日常生活で中庸の精神を持ち合わせるためには、普段の生活で各種情報を得る心がけを持たなければならない。いわんや、広辞苑にある「徳として卓越する」“中庸の精神”に到達するのは並大抵な事ではない。しかし、中庸の精神を意識しながら物事を判断し、行動することで充実した安らかな日常生活を送れるのではないか。

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