2005/1
No.87
1. 巻頭言

2. Low frequency 2004

3. プラニメータ(面積計測器) 4. 第23回ピエゾサロン 5. リオネット新製品 デジタリアンS/new JOYTON
  
 迎 春

平成17年元旦
理事長 山 下 充 康

 小林理学研究所が設立されたのは昭和15年(1940年)。今年が2005年ですから設立以来65年の長きにわたって理学研究を続けてきたことになります。65年の間には研究機関としての存亡にかかる幾多の出来事がありました。太平洋戦争勃発による混乱とこれに続く戦後の困窮期の苦難もその代表的なものでした。終戦後間もない昭和24年(1949年)、荒廃した日本に新しい教育制度が発足しました。この時期、理工学分野の研究に携わっていた優れた職員たちが小林理学研究所から各地の大学の教員として転出してゆきました。小林理学研究所の創設に当たって中心的な役割を担っていた東大教授佐藤孝二先生は学習院の院長安倍能成先生に請われて学習院大学の理学部の創設に努められました。佐藤孝二先生は日本における音響学の創始者の一人で、小林理学研究所の理事長を務められる傍ら学習院大学の理学部長を兼務、小林理学研究所と音響学会に大きな貢献をされました。

 今日でも毎年、学習院の理学部からの学部生や修士課程の学生を受け入れて音響学に係る卒業研究や修士論文の勉強をしてもらっているところであります。

 私の部屋に古い色紙が残されています。「為不知不知是知也」論語の為政の一文「子曰、・・知らざるを知らざると為せ,是れ知れるなり。」つまり「知っていることは知っていると認識して宜しい。知らないことは知らないと自認せよ。是こそが本当に知っていると言うことだ。」遠い昔に安倍能成先生からいただいたものですが幼い私には意味不明のままで壁にぶら下げていたものです。一文の意味が理解できるようになったのは大学を卒業する頃。そしてこれがいつしか「座右の銘」となっております。

 戦後の混乱期にマッカーサー司令部からの様々な圧力に屈することなく日本の好ましい教育制度を守り抜いた安倍能成先生、そして安倍先生の志に応えて学習院大学理学部の創設に貢献された佐藤孝二先生に敬意を捧げるとともに、かくも偉大な方々が小林理学研究所の支えとなってくださってきたことに対して65年に当たるこの年の初めに思いを馳せる次第であります。

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