1996/7
No.53
1. 残したい"日本の音風景100選" 2. スリッパが怖い 3. [The Rattle夜警用警報器] 4. 1/2インチ高温度用マイクロホン UC-63L2
  
 スリッパが怖い

建築音響研究室 室長 小 川 博 正

 先頃の朝日新間でふとある記事が目に止った。「集合住宅」という標題のもとに、「何気なく暮らしてきた"わが家"が、時として苦痛に満ちた空間に一変する」という、書き出し。
 すわ、「近隣騒音」、「上階住人の床のリフォーム」を職業柄思い浮べてしまったが、「老人、団地、不便」のキーワードから、その内容は騒音問題ではなく、団地に住む世帯の高齢化に関するものであった。入居が始まって20数年、入居当時に働き盛りであった一家が「高齢化世帯」の仲間入りを始め、生活する上での不具合が深刻な問題となってきているという。例えば、住戸内での玄関、トイレ、浴室などの敷居の段差の問題、室外ではエレベーターが無い(5階建)、あるいは階の間に止まる(中高層)等、高齢者や障害者にとっては不便と苦痛が一杯、という内容の記事である。他人事ではない。

 東京都の住宅総数の中で、3階建て以上に限定しても40%の所帯が集合住宅に住んでいるという。高齢化社会に向かい、昨今よく耳にする年金制度の改革、看護制度などの他に、住まいについても解決しなければならない問題が山積していることが実感させられる。

 人口の集中する都市部において、住宅事情の解決策であった集合住宅が、単に、住むためだけの住宅としての使命は終ったといわれている。これからの集合住宅はマンションライフという言葉でイメージされる個性や趣味を反映させた住まいに変化をとげてきている。室内の床仕上げ一つとっても畳敷きの和室が減少し、ジュータンやカーペットが好まれた時代から、近年の新築マンションでは木質系の床がとり入れられるなど、住宅プランの多様化が進んでいる。一部には玄関を含めた室内の段差を極力なくし、車椅子でも自由に行き来できる仕様を盛り込んで、高齢化社会を先取りしたプランの住宅も出現している。

 しかし、考えてみるに、室内の内装仕上げだけが変化しただけであって、隣同志がコンクリート一枚を隔てて壁や床で接している建築様式に変わりはない。音の遮断であればコンクリートは有効な遮音性能を発揮する。だが上階からの衝撃音については遮断性能が不足する場合も多く、階下の居住者の苦情につながるケースも少なくない。  この様な、コンクリート系の集合住宅における近隣の騒音問題として古今、「ピアノに代表される楽器の音」、「子供の泣き声、遊び声」、「子供の飛び跳ね、物の落下音」等が、住宅の遮音に関するアンケート調査などで常に指摘事項の上位を占めてきた。

 しかし、最近では上下階の騒音問題として「子供の飛び跳ね」に代表される重量衝撃だけでなく、「軽量で堅い物の落下音」、「家具の移動音」等の軽量衝撃に対する問題が、木質系床の普及で新たに増加している。

 足ざわりの良い木の感触、清潔で掃除が容易などの要求の多様化があったが、急速な普及のきっかけは、昭和59年にテレビで放映された「カーペットはダニの巣窟」とのセンセーショナルな報道にもある。その後、こまめに掃除を行えばダニの発生は防ぐことができるとの報告も見られたが、カーペットとダニはつきものとのイメージは強く、喘息やアトピーの子供をもつ親のカーペットに対する拒否反応は解消できなかった。このため、子供がいる家庭が木質系床を積極的に導入したことから、それまでの「子供の飛び跳ね」で代表される、重い衝撃による発生騒音だけでなく、「堅い軽量物の落下音」、「家具や掃除機の移動音」が床衝撃音に関する騒音問題として指摘される機会が増えてきた。

 一般に「音楽や楽器の音」、「子供の泣き声、遊び声」のような空気音であれは、音を出す側にも出しているという認識がある。しかし、床衝撃音については出す側の認識以上に、階下に迷惑をかけているケースが少なくない。また、迷惑をかけるだけでなく自分達の生活状態が、下階の住人に逐一察知されているという認識が比較的薄いのが実情である。

 この原因の一つに、住宅供給者側からの情報の提供不足が挙げられる。

 住宅の購入という段階において、非常に高価な買い物であるにも関わらず、購入前にその「品質」、「性能」を的確に判断するために必要な情報はパンフレット数枚程度で、その他の情報の入手の機会が与えられていないのが現状である。まして、居住後の生活環境を左右しかねない重要な課題である見えざる性能、床衝撃音等の「品質」においては言うに及ばない。

 床衝撃音およびその遮断性能について、正確な情報を積極的に購入者に説明すること、また、その説明した音の大きさが現実にどの程度の音であるかを、説明者が認識しているか否かも重要な事であり、それらは騒音問題の発生を未然に防ぐ第一のステップと考えられる。

 ここでは、住宅供給者と購入者との中間的立場に位置する第三者機関として、両者に必要とされる情報、問題点を整理し、騒音問題の解決の糸口としてみたい。

 集合住宅に住むからには、それなりの住まい方の工夫やモデルが要求され、その「啓蒙活動」の必要性が言われて久しい。しかし、その騒音問題が床衝撃音に起因した場合はその「啓兼活動」も容易なものではない。

 これは、上階からの音に悩まされるのは一方的に階下の住人であり、この問題の対策はあくまでも階上の住人が積極的に勧めなければ解決につながらないからである。そこに、この問題を個人のレベルで解決することの難しさがある。

 従って、この問題を解決するためには戸境壁にあるような、「集合住宅の界壁は、遮音上有効な構造としなければならない」といった法的な基準(建築基準法第30条の2)を界床についても導入し、床衝撃音に対して所定の性能を維持したものだけが供給される、という社会的体制の整備を望む声に繁がっている。しかし、技術的、経済的制約などから実現にはまだ時間が掛かりそうである。

 一方、住宅・都市整備公団をはじめ大手の総合建設全社、マンションディベロッパーでは、床衝撃音に対する独自の設計仕様・性能基準・施工要領等を定め、床構造の開発、性能の確保に取り組んでいる。また、これらの諸性能を適性に表示する、性能表示制度についての検討も進められており、導入が期待される。

 しかし、これらはいずれも、新築の分譲マンションを想定した制度であり、分譲後のリフォームによるトラブルの解決策には必ずしも繁がらないことが考えられる。近年、木質系床へのリフォームの実施で、界床の遮断性能が低下したということは、「従来もっている建築性能を著しく低下させた」ことになり、従って「階下住戸の資産価値が著しく低下した」との考え方も取り入られ初め、上下階の住人が裁判で争う例も見られる。

 このような、リフォームに関する騒音問題についての解決策の一つとして、それを当事者間のイザコザとは捕らえず、マンション全体の問題として認識し、管理組合が規制するなどの制度の確立が望まれている。少数のマンションではあるが、リフォームにより木質系床に変更する場合は、予め階下隣戸の住人の承諾を得るだけではなく、管理組合が定めた規制値に床衝撃音が収まるよう、リフォーム会社に指示し、施工後には測定を実施して、性能の確認を義務付けるという厳しい管理を既に行っている管埋組合も在る。なんらかの法的規制ができるまではこの方法が最も望ましい。

 また、リフォームの場合の供給者側の問題として、遮断性能の高い木質系床をメーカーが開発し売り出したとしても、直接住人と接触するリフォーム会社の床衝撃音に対する知織の乏しさ、施工技術の未熟さがあれば、騒音問題はこの段階でも生ずることとなる。

 リフォームを希望した住人は、「カーペットと同じくらい静かです」、「階下へは音は全然伝わりません」と説明を受けたため、この住人は全く注意を払うことなく生活を続け、問題をこじらしてしまった、というような事例は例外としても、「多少聞こえる」との説明を受けても、その多少が実際にどの程度の音であるかを、説明した本人が認識していないため、説得力にかける場合が多い。また、床衝撃音レベルは『L一XX』ですので防音効果は完壁です、「階下に音は伝わりません」とリフォームを勧める折込み広告も見られ、リフォーム会社、施工業者の知織や技術の向上が必要である。

 とはいえ、メーカーの技術開発により、防音性能の高い木質系床材の開発が進み、カーペットに匹敵する性能も実現している。特に、カーペットから木質系の床にリフォームが可能な、厚さ10mm〜20mm程度の直貼り工法の開発が目覚ましく、近年では従来の根太組み工法を上回る普及であるという。

 しかし、これら高性能な床構造の場合、高性能なるがゆえの問題もまた派生する。高性能な床構造には、必然的に高い技術を要する施工が要求され、リフォーム会社が通り一遍の教育を受けただけで施工のノウハウが蓄積されていない場合には、ここでも更に問題が生ずる可能性がある。施工性を含めた開発側の細心の注意が必要である。

 また今日、遮断性能の向上を目指すあまり、とても木質系床とは思えぬ柔らかい床の出現による、「歩行感」、「耐荷重性」の問題、ランクの異なる床構造であるにも関わらず、スプーンなどの実際の落下音では違いが認められない、などを指摘する声も聞こえてくる。「歩行感」、「耐荷重性」等の「床の柔らかさ」については、既に研究結果が各種報告され、その研究成果が開発推進の方向性を舵取りしている(ある程度コントロールしている)ものと思われるが、居住者の騒音問題に直結した、利用者の日常生活の実際に則した評価方法、表示内容についても検討が待望される。

 以上、床衝撃音に関する騒音問題について、第三者機関の立場から、その木質系床材および施工性等の問題点について整理してみた。

軽量衝撃音の遮断性能(遮音等級)と生活実感

 それにつけても、ある主婦の語ったセリフが時折印象的に思い出される。

 ……以前の住まいでは、五階の人の騒音にずい分悩まされました。平素のお付き合いでは、お互い煩わされることはとりたてて何もなく、むしろ好意的に朝夕のあいさつを交わす日常でしたが、でも、私が半年間具合を悪くした時、伏せっている頭の上で、掃除をする時のテーブルを移動する音や、一日中、鳴り響くスリッパの音には本当に参りました。

 余程「静かにして下さい」とお願いに上がろうかと思った事も度々ありましたが、ついにとうとう言えませんでした。悪気があっての事ではないと思いますと、どうしても言い辛くて。それに、近くに住む人ですし。

 私は、あれ以来、他人の家を訪れてスリッパを勧められると"ドキッ"とします。ピンクの花柄が清楚で可愛くても、あの時の私の寝床の上を鳴り響いた音をどうしても思いだし、まるで凶器のように思えてしまって

   スリッパが怖い。……

 苦情の相談、処理に関する行政の窓口が必要ではなかろうか。

 共同住宅でも、全戸にわたって木質系床が導入されているのであれば、最上階を除くと、階上からの床衝撃音が聞こえるため、階下へ音の問題が波及しないよう注意を促すことになる。しかし、従来カーペットを敷き詰めた床仕上げであったものを、リフォームで木質系床に改装した場合には、当事者にはどの程度の音を階下に放射しているかを判断できないことは無理からぬことである。このためにも、開発メーカー、リフォーム会社が積極的に情報を提供すること、実際に放射される音の大きさを認識することの必要性を痛感する。

 ちなみに、これらの性能の違いを住宅・都市整備公団の試験所において、体感する機会の得られる事を付け加えておこう。それぞれの遮断性能の床構造が実験室に再現され、床に加えられる衝撃に対して階下ではどのような聞こえ方がするのかを、実際に体験できる施設が公開されている。

 なお、環境庁が木質系床の問題点について調査1)を実施し、その結果を平成5年に報告している。また、この調査をもとにした「フローリング騒音対策技術マニュアル」2)が、インテリアタイムス社から出版されている。一般の人々にとって必要な情報が網羅されており、また、リフォーム会社、施工業者にとっては、知っておかなければならない必要最小限の情報が、技術的な問題にも踏み込んでまとめられている。参考にされることを是非勧めたい。

1)「フローリング験音対策検討調査について」
  安岡正人、落合博明 騒音制御 vol. 18 No. 6 1994

2)「フローリング験音対策技術マニュアル」
  環境庁大気保全局大気生活環境室監修 インテリアタイムス社

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