1996/4
No.52
1. もうひとりのエカテリーナ 2. 航空機騒音問題の歴史(2) 3. 計 算 機 械 4. 騒音振動レベル処理器SV-76
       <骨董品シリーズ>
 計 算 機 械

理事長 山 下 充 康

 パリ、ルーブル美術館とノートルダム寺院とのほぼ中間地点に位置するシャトレ広場に面して、1648年にパスカルが気圧の実験をしたことで知られるサン・ジャックの塔がそびえている。パリには観光名所が多いからこの塔は見過ごされがちだけれど、塔の根元にはパスカルの彫象が置かれ通路を通して見事なシルエットを見せているので一見をお勧めする。

 ブレーズ・パスカル(1623〜1662年)は物理学者であり数学者であり宗教思想家でもある。静止流体内の圧力に関する法則で広く知られるパスカルであるが、彼が計算機(計算器)の発明者であることはあまり知られていない。

 歴史書によると1642年、パスカルが19歳のとき、税務裁判所長であった父の徴税計算を手伝う内に自動計算機を考案したとされている。ミュンヘンのドイツ博物館にそのレプリカが展示されている(実物はパリの科学産業博物館に保存されているとのこと)。

 6本の円筒が平行に並べられ、隣り合う円筒が互いに歯車で接続されていて各々の円筒の外周には0から9までの数字が打刻されている。一つの円筒が1回転すると隣の円筒は1/10回転する。その次の円筒は1/100回転、その次は1/1000回転という具合で、作動メカニズムは交通量調査などで使われる押しボタン式の数取り器に似ている。

 掛け算は足し算の繰り返し、割り算は引き算の繰り返しによって演算を進めることができた。

 パスカルはこの計算器を完成させるのに50台を越える試作を試みたとのことである。

 パスカルが計算器を完成させてから約50年後の1694年、ドイツの哲学者であり数学者でもあったG.W.ライプニッツ(1646〜1716年)は歯車式の掛け算機械を発明した。これは各桁ごとに0から9までの数を任意に設定することができるように工夫されたもので、後の「オドナー型計算機」の原形となるものである。これもミュンヘンのドイツ博物館に展示されている。

 オドナー型計算機は1870年代、スエーデンのオドナー(W.T.Odhner)によって設計された歯車式の計算機であるが、その後ドイツの事務機メーカーによって様々な改良が加えられて[ブルンスヴィガー(Brunsviga)]の名称で製造され大量に市販されたとのこと。

 図1は骨重品展示室に残されているオドナー社製の卓上計算機である。

図1 オドナー社製卓上計算機

 [Sweden Goeteburg / Original Odhner]と標されているが、これは前世紀の品物ではなくて、昭和30年代まで実際に研究室で使われていた機種である。電子式卓上計算機、いわゆる電卓の普及によってすっかり姿を消してしまったが、それ以前には手回しの歯車式計算機が計算作業に欠くべからざる事務機械であった。[Tiger Calculater]、通称[タイガー]もその一つで、これは技術計算から金利計算などの会計処理まで極めて広範囲で使われた名器である(図2)。骨董品展示室のガラス棚に置かれたタイガーを目にして、ハンドルを回しては桁送りを報せる「チーン」という音を聞きながら計算をした頃の苦労を懐かしむ方々が多い。

図2 タイガー計算機

 回転するハンドルや歯車が噛み合うリズミカルな音、桁送りのベルの音などは、欧文タイプライターの音とともに当時の研究室や実験室の音風景を構成していた主役であったような気がする。  

 OdhnerもTigerも鋼鉄製の歯車の塊である。頑丈な造りなので現在でも完壁に作動する。重量約6kg、頑丈なだけに重い。

 そんな計算機たちに、今年、図3に示す携帯型の小形計算機[CURTA]が仲間入りした。(偶然、銀座の裏通りの骨董屋で発見したものである。)

図3 携帯型小形計算機 CURTA

 新品同様の上物で、収納ケースとカタログ、取扱説明書が付属していた。

 Swiss-madeと標されていて、いかにもスイス製らしい精巧な造りの機械であるが、販売はLiechtensteinの会社である。

 以下はカタログの一部。
「クルタ計算器は
     重量は、わずか8オンス(60匁目)、
     直径5.5糎、高さ10.5糎、
     鞄や作業服のポケットに楽に入ります。
 携帯に至便ですから、事務所・作業所・屋外で、加減乗除、平方、立方、開平、開立等あらゆる複雑な計算ができます。
 操作は小学生にも簡単に覚えられ、操作上の誤りは機械的に避けられます。
 各部は特殊金属を使用し、且つその取扱、修理は極めて簡単で、防塵防水のケース入りであります。
 性能は20倍の大きさの旧来の計算器と比較して少しも変わらず、他の追随を許さぬ絶対的廉価です。

                     以下省略)」

 計算繰作は原理的にOdhnerやTigerと同様である。操作部分の説明図をコピーして図4に示した。

図4 CURTA操作部分の説明図

 操作ハンドル、置数ノブ、クリヤーレバー、回転ダイヤルなど様々な稼働部分が組み込まれているが、どれを操作しても滑らかな小気味の良い手応えが感じられる。「熱いナイフでバターを切るような」感触とでも言うのか、まことに心地好い。

 置数ダイヤル8桁、回転ダイヤル6桁、回答ダイヤル11桁。数を置いてはあれこれといじり回してみたが、飽きることのない機械である。

 計算器と言うより、計算機械と呼びたくなる。残念ながらいつ頃の製品なのかを正確に知ることができない。当研究所の石井泰理事が同じ型の計算器を学生時代に使用されたことがあって、それは御父上がどこかで入手されたものらしいとのことを伺った。とすれば昭和20年代に渡来したものか?

 収納ケースは黒く焼き付け塗装が施された金属性で防塵防水とカタログに記されている通り大層立派な拵えのものである。蓋をねじ込むと操作ハンドルの回転軸部分が押さえられて中身ががたつかないように工夫されている。操作ハンドルは時計回りにのみ回転する構造である。ケースに計算器を収めるときに無駄にハンドルを回転させることがないように、ネジ蓋は反時計回りで縮まるようになっている。

 細かい気配りに敬服させられる。

-先頭へ戻る-