1995/10
No.50
1. キーネーシスからエネルゲイアへ 2. ノルウェーの旅 3. インターノイズ95に参加して 4. オーダーメイド補聴器
スーパーミニカナールHI-50K
       <会議報告>
 インターノイズ95に参加して

騒音振動第三研究室 木 村 和 則

 インターノイズ95は、アメリカ・ロスアンゼルスのニューポートビーチ・マリオットホテルで7月10日から12日までの3日間にわたり行われた。我々小林理研からは、山田一郎所長以下、山本貢平研究企画室長、落合博明騒音振動第一研究室主任と私の4名が参加した。

 インターノイズが開催されたニューポートビーチは、カリフォルニア州ロスアンゼルスのダウンタウンから60km以上離れた場所にある。事前にいくらかでも情報を得ようと書店に行き観光案内本をかたっぱしから見たが、ニューポートビーチが少しでも載っているのはダイヤモンド社の"地球の歩き方・ロスアンゼルス"だけであった。この本の情報によるとニューポートビーチのホテル周辺は、高級住宅地ではあるが観光地ではないことが記されていた。ニューポートビーチは、市(シティ)を包括する行政上の区分の郡(カウンティ)ではロスアンゼルス郡(ロスアンゼルス市、ビバリーヒルズ市など)ではなくオレンジ郡とのことである。ディズニーランド、ナッツベリー・ファームも、このオレンジ郡にある。

会場となったマリオットホテル

 私と落合は、開催日前日の9日にリオン株式会社の滝浪氏、福島氏と共にロスアンゼルス国際空港にむかった。ロスアンゼルス国際空港から会場となるニューポートビーチヘの交通手段としては、タクシーあるいは飛行機とのことであった。ニューポートビーチの近くにジョン・ウェイン空港があり、ロスアンゼルス国際空港からは飛行機で15分程度とのことである。「交通手段は、タクシーと飛行機のどちらにしますか?」といわれても戸惑うばかりである。我々は、乗り合いタクシーであるライトバン型のシャトルバンで会場となるニューポートビーチ・マリオットホテルに向かった。ホテルに到着し、早々に会議の参加の登録受け付けをして2冊の論文集、プログラムなどを受け取った。今回の論文集は従来のB5判とは異なりA4判となり文字も大きく読みやすくはなったが、ますます重量が増していた。また、論文集の掲載順が発表順になっておらずバラバラであった。同じセッションを連続して聴く場合にも2冊の論文集をもっていかなくてはならない。そのためだけでもないが、会場での論文集の持ち運こびはあきらめた。ホテルは会議前日ということもあり、ぞくぞくと会議参加者が到着していた。ホテルは、高級別荘(プール付き)地域の一角にあり、十分にその空気を吸える場所であった。ホテルのプールでは、デッキチェアーで読書をしている人、昼寝をしている人などがおり、私も早く発表を終わらせてプールサイドで読書でもしてリゾート気分を味わってみたいと思っていた。しかし、最後まで一度もデッキチェアーに腰を降ろすことはなかった。

 会議の1日目は、午前9時からオープニングセレモニーが行われた。この会議の組織委員長のH.Marsh氏の開会の辞などがあり、なごやかな中にも荘厳な雰囲気で進行していた。引き続いて行われた特別講演では、音響工学研究所所長の子安勝氏が"Applications of noise control engineering in Japan"という題で約1時間にわたり、カラーOHPなどを駆使して日本における騒音制御技術などについての講演を行った。11時からは、8つの会場に別れて各セッションでの講演が始まった。低周波音に関係した講演が2題あったので聴いたが、今までの研究成果の集成にとどまり新たな問題提起はなかった。低周波音に関係した発表が年々減っいるのは、少しでも低周波音に関わっているものにとってはさびしい。

 今回の会議は、29ケ国から325件の論文が集まった。日本からは43件の発表があり、66名の参加登録者があった。6年前に同じ会場で行われたインターノイズ89は日本から26件の発表、30名の参加登録者であった。それに比べると今回の日本からの規模はほぼ倍であった。前回のこの地での会議が好評であったことがうかがえる。

 我々研究所からの発表はすべて2日目に集中していた。私の発表は午後の後半であった。発表の持ち時間は、発表15分、質問5分であった。セッションの座長であるT.F.W.Embletom氏の前にはディジタル時計が会場のすべての人に見えるように置いてあり、私もこの時計を見ながら発表の進み具合を確認し無事時間内に発表を終えることができた。私の聴いた範囲では、持ち時間をこえてまで発表をつづけている人はいなかった。これは、各発表会場に設置されているディジタル時計が十分な威力を発揮していたためとも思われる。今回、私は、"なにがなんでも質問には答える"という目標をたてて発表にのぞんだ。どうにか目標をクリアーして発表を終えることができた。セッションが終了し会場を出ようとするとさきほど質問をした方が、時間があればもう少し質問をしたいといってきた。20分程話をしたが、私にとっても有効な時間を過ごすことができた。

 2日目のセッション終了後に食事とショーのツアーがあった。ホテルを出発したバスは海岸沿いを走り、芸術家の街といわれているラグナ・ビーチに到着した。食事は中華料理であった。たまたま、同じテーブルに米国在住の中国の方がいらして、運ばれてくる料理の食材の名前を説明してくれるなどなごやかな食事の時間をすごすことが出来た。中華料理なので紹興酒を頼んだがおいてないとのことでがっかりした。食事後に、歩いて"PAGENT OF THE MASTERS"というアート・フェスティバルが行われる会場に向かった。野外劇場で行われるショーの開演までに時間があったので、この会場で行われている地元の芸術家たちの作品の展示販売コーナーを見てまわった。展示品は、小物から部屋に飾るインテリアまで多岐にわたっており芸術性も高いが、価格も高かった。ショーの時間になり野外劇場に入った。事前にどのようなショーなのかの情報はほとんどなかった。舞台は広く、オーケストラボックスでは演奏者が事前の音あわせをしており、オペラかミュージカルが始まるのではないかと期待して開演を待った。かくして、オーケストラの演奏が始まりショーが開幕した。はじめの10分ぐらいは何をやっているのか全く理解できないまま過ごしていた。このショーは、過去の有名な絵画の背景を舞台に描き、人物の部分を本物の人間が扮装して静止し、その絵画を再現させるものであった。1枚の絵画ごとにナレーションが入るため絵の代わりに出演している人は2分ぐらいは不自由な姿勢でまばたきもせずに静止していなければならない。舞台ではつぎつぎに絵が変わり1時間半にわたるショ一も終了した。このようなショ一がなぜ人気があるのかは理解できないが、この時期に毎年開かれており有名とのことであった。まだ日本と米国には、文化・芸術という面で大きな隔たりがあるのではないかと考えさせられた。まさにカルチャーショックであった。この時期にロスアンゼルスに行く機会があったならば是非とも足をのばしてみる価値はあると思う。ホテルについたのは午後11時ごろであった。空腹を覚えたのでレストランを探したがどこもあいておらずそのまま寝てしまった。日本であれば、確実にコンビニで食料にありつけたと思った。

 3日目の午前中に鉄道騒音の制御などを聴いた後、ホテルで自転車を借りてビーチに行った。海沿いのビーチには、会員制のヨットハーバー、専用のヨットの係留場所付き住宅が所せましと並んでいた。インターノイズ95のシンボルマークとなっているバルボア・パビリオンを見ながら海岸沿いをサイクリングした。ところで、ホテル周辺には、徒歩の範囲内に5つのデパートと約200のショップが入ったショッピングゾーン、野うさぎがはねまわっている公園、ビーチバレーを楽しんでいる海岸などがあり、景色もよく、空気もおいしく、夜でもホテル周辺を散歩できるほど治安もよく、会議に集中しながら遊ぶこともできるという場所であった。また、ホテルの客室の窓からの眺めは各部屋で異なり海の見える側、プールが見える側、ホテルの付属設備であるゴルフ場が見える側があった。私の部屋は、海側の部屋だと思われるが1階であるため、窓から見えるのは駐車場だけであった。唯一の良い点と言えば、非常時にすぐ外に出る事ができるというだけであった。私が見たかぎりでもっとも眺めが良かったのは、手入れが行き届きグリーン一面に青々とした芝生を持ったゴルフ場であった。同じ会場でインターノイズ95に先立って開催されたアクティブ95の会議に参加した方の中には、ここでゴルフをした方があるとのこと、うらやましいことこのうえなかった。

 すべての講演が終了し、クロージングセレモニーでは次回インターノイズ96の開催地であるイギリスのリバプールの紹介をしていた。会議開催中にも、インターノイズ96のブースでは、ビートルズの等身大パネルが飾られており、ビートルズがプリントされた袋などが配られていた。インターノイズ96のレセプションでこの会議の幕を閉じた。

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