1990/1
No.27
1. 温故知新 2. NCB曲線(Balanced Noise Criterion Curves)の応用 3. 蝋管式蓄音機 Edison Standard Phonograph 1903 4. 音響測定器に関する規格の動向 5. ディジアナ表示で小型軽量な新世代の振動レベル計VM-51
       <骨董品シリーズ その9>
 管式蓄音機
     Edison Standard Phonograph 1903

所 長 山 下 充 康

 エジソン(Thomas Alva Edison 1847〜1931)が初めて蓄音機を製作したのは1877年である。彼は電話用送話器の振動板を利用して、厚いワックスを塗り固めた紙のリボンの上に自分の声の波形を刻み込み、これを辿りかえすことによって音声を再生する実験に成功した。1887年7月のことである。

 ロンドンの科学博物館の資料に掲載されていたエジソンの録音再生装置を説明する挿絵を図1に示した。このエジソンの発想を受けて、同じ年の12月、John Kruesiが図2のような円筒形のドラムを備えた蓄音機を完成させる。最初に録音されたのは童謡の一節
"Mary had a Little lamb"
であった。

図1 エジソンのワックスコーティング紙のリボンを用いた実験
 
図2 円筒蓄音機第1号

 その後、次々に改良が加えられて、Talking Machineの名で家庭のなかに入り込む人気商品となっていく。

 今回の骨董品シリーズに登場させるのはワックスドラムの蓄音機である。

 1903年にイギリスで製作されたモデルで、時代を感じさせる木製のキャビネットに納められた黒光りのする機械は、一昔前の縫製用小型ミシンを連想させる。木箱の前面には飾り文字でEdison Standard Phonographと書かれており、金属部の台座には製造年、製造場所、数々のパテント番号と取得の年月日などが小さな文字で克明に彫刻された真鍮のプレートが貼りつけられている。

 かまぼこ型の上蓋に取っ手が付けられているから、ポータブル蓄音機であろう。

 図3は蓋を取り去って別添のホーンをセットした状態である。右側の頑丈なクランクハンドルでぜんまいを巻きあげて、手前の小さなレバーを左に倒すとワックスのドラムが滑らかに回転を始める。ドラムの左側にサウンドボックスを落とすと再生が始まるのだが、その音はホーンの正面にでも立とうものなら耳を痛めるほどの迫力である。さすがに音質はいかにもすり切れた溝からの音と言った感じではあるが、昔聞いたSPレコード盤の音と大差ない。

図3 エジソンスタンダードモデル(1903年)

 ワックスドラムはSP盤のように硬い材料でなく、しかも強い針圧で溝を引っ掻く訳ではないから、針の交換は不要らしい。円筒の表面に螺旋状に刻まれた音溝に沿ってホーンを取り付けたサウンドボックスは自動的に右に移動して行く。

 回転軸の右端の止め金をはずせば簡単にドラムの差し替えができるように工夫されている。ワックスドラムは厚紙で作られた円筒状のケースに入られている。一本のドラムの演奏時間は四分前後で、結構聞きでがある。最近、これを十本ほどまとめて手に入れる機会に恵まれた(図4)。行進曲、スコットランド民謡集、ジャズなどの他に、内容が理解できないが早口の英語でしゃべりまくっているのがある。落語か漫才のようなものらしく、まさにtalking machineである。

図4
  蝋管式蓄音機のソフト;10本のワックスドラム、米国製と英国製がある

 ところで、驚きを感じるのはこの蓄音機が作られてから九十年近く経ても、ぜんまいを巻けば全ての部品が立派に機能して、見事に音を再生することである。ワックスドラムに録音されている音はいかにも古めかしいが、音のことはさておき、この蓄音機のメカニズムをいじり回していると、各所に隠されている興味深い工夫を発見する。

 音溝を掃除するためにドラムの後ろに取付けられた小さなブラシ、ドラムの回転を一定に保つための遠心振り子、溝のピッチに同期させてサウンドボックスを移動させる送り振子、ワックスドラムをはめ込んで固定するための緩いテーパーのついた回転軸、オプションの大きなホーンを取り付けるための支柱用の孔などなど、誠に素朴なからくりが随所見られる。

 金属の鈍い光りを放ちながら回転する大小のグリスだらけの歯車は堅牢で、長い使用に耐えそうである。音の良し悪しは別にして、この蓄音機の作動する様子を見ていると、いかにも頼もしい機構に関心させられる。

 ワックスドラムを使用した蓄音機はホーンを大型化したり、機械を豪華な造りのキャビネットに納めたりして、1920年代までは様々な機種が市販されていたようである。しかし、その頃すでに、ドイツを中心にしてディスクに音溝を刻んだSP盤の原形となるレコード盤が実用化されつつあった。薄い円盤はシリンダに比べて取扱い方や保管が容易であったこと、また製造側でも大量生産が可能であるといった利点があったために、ワックスドラム蓄音機は急速に姿を消すことになる。一枚の円盤の両面に録音されていることも、当時の人々の関心を呼んだ様子で、図5のように両面録音をアピールした広告が残されている。

図5 当時の両面録音盤の広告

 エジソンが蝋管式蓄音機を発明した1877年は日本では西南の役、そしてここに在るモデルの造られた1903年の翌年には日露戦争が始まっている。手に入れたワックスドラムには1890年代の刻印を読み取ることが出来るものもある。

 今日では、録音された音楽を極めて容易に再生して楽しむことができるが、ワックスに刻まれた音波形にむかし録音された音を、むかしの機械で再生して聞いてみると、確かにむかしの音が聞こえてくる。ディジタル処理による高品質の録音再生技術では感じ得ない奇妙な親しみに包まれるのは不思議である。