1989/10
No.26
1. 能舞台の床下大カメ(甕)の音 2. 13th ICA in BELGRADE 3. 音叉と音棒 4. Aモード超音波副鼻腔診断装置 UM-02 5. Noise and Vibration Control
         
 能舞台の床下大カメ(甕)の音

所 長 山 下 充 康

 能舞台の床下を覗き見る機会を得た。話しに聞いていたように、床下には焼き物の大カメが並べられていた。薄暗い中に90cm程度の口径の幾つものカメが上向きに並んでいる光景は異様である。カメの深さは1メートル程度で、中はから。子供の体がすっぽり納まるほどの大きさである。

 丹波篠山の立杭には六古窯の一つである丹波焼の窯元が集まっているが、篠山城蹟の北にある春日神社には藩主青山忠良が寄進した能楽殿が残されている。青山藩は能楽への造詣が深く、そのためにこの地方には能が盛んで、町人にもその風潮が広がっていた。春日神社の能楽殿は神楽殿のように舞台だけの素朴な建物であるが、腰板の隙間から床下を覗くと半分土に埋もれた五つの大カメが置かれているのを見ることが出来る。丹波焼の大カメであろう、「立杭 釜屋村源助作 文久元年」の銘が記されている。

 文久元年と言えば1861年、今から130年ほど昔の時代である。この頃既に能舞台の床下にカメを据える習慣が定着していたものと推測される。青山藩の古文書には能舞台の設計図面があって、それには床下のカメの配置方法が詳細に記されていると聞いている。

 音響学のテキストには、ヘルムホルツの共鳴器をはじめ、劇場の音響条件を調整するために古代劇場の壁に埋め込まれた壺など、様々な壺が登場する。しかし、舞台の床下に壺を置くことの効果や、能舞台のカメについてはそれを論及したものは見当たらない。能楽の書物には「床下の地面に穴を掘ってその中にカラの壷を上向けて吊し、舞台の上で足拍子を踏むと、その音響が空壷の共鳴によってより強く響く(上野豊一:能の話)」と記述されている。

 能舞台の床下の大カメが実際にどのような音響的役割を果たしているのかは興味あるところである。

 ご自分で能舞台を所有しておられる能役者の方々にうかがうと、「昔から床下にカメを入れることになっているから、自分の舞台でもカメを置いたけれど、御利益のほどはわかりません」とのこと。

 能の仕草で足の運びは極めて重要な意味を持つ。磨かれた床板の上を滑るように移動する際の足運びに、様々な表現が含まれており、能が歩行の芸術と言われる所以になっている。足が「板につく」までには大層な修練が必要とされるそうである。舞いのクライマックスには足踏みの音が幽玄の世界にアクセントを添える。厚いヒノキの一枚板を踏み鳴らす音は実に見事なパフォーマンスとして舞いの中に組み入れられていて、床が楽器として使われているように感じる。

 床下のカメは、楽器としての床板の音を好ましい音とするために経験的に置かれたものであろう。ただ、カメは壺のように口がくびれておらず、開きっ放しのいわゆるカメであって、ヘルムホルツの共鳴器としての機能を考えると共鳴周波数は極端に低いことになりそうである。

 床下のカメの音響的な振る舞いについてはぜひ解明したいと希望していたところであるが、はからずも関係者の御好意によって、カメに蓋をしてしまうといった乱暴な実験の機会を得た。分析結果が楽しみである。

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