1989/10
No.26
1. 能舞台の床下大カメ(甕)の音 2. 13th ICA in BELGRADE 3. 音叉と音棒 4. Aモード超音波副鼻腔診断装置 UM-02 5. Noise and Vibration Control
       <会議報告>
 13th ICA in BELGRADE

騒音振動第三研究室室長 加 来 治 郎

 第13回国際音響学会議(13th ICA)が1989年8月の24日から31日までユーゴスラビアの首都ベオグラードで開催された。音響学全般を対象にして3年毎に行われるこの会議に、今回当研究所より山下所長と私が出席した。我々の行動を振り返りながら会議の模様と社会主議国ユーゴの現況を報告する。

 成田からの20時間以上にもわたる長い空の旅の後、8月23日の正午、残暑未だ厳しいベオグラード国際空港に到着した。途中、乗継ぎ地のフランクフルトからはアーヘン工科大学のKuttruff教授と同じ便に乗り合わせる。山下所長から紹介され、貴方の著書(Room Acoustics)を教科書にして所内で輪講をやっていますと言おうとしたが、"輪講"の単語に詰まってしまい、いきなり語学力のなさを露呈してしまう。

 およそ国際空港らしからぬ空港出口では、一見して白タクの運転手と分る大柄な男達の誘いに不安になる。運よく日本からの参加者のチャーターしたバスに便乗させていただき、会場へ向かうことができた。空港から市内までは車で20分足らずであるが、沿道に人家らしきものは見あたらず、広大な畑や広葉樹の森が道路両側に展開している。局層アパートが建ち並び始めたかと思えば、もう市内である。道路とアパートとの間にはたっぷりとしたスペースが確保されている。もちろん、防音塀のような無粋なものは立っていない。

 会場に当てられたサバセンターに到着すると、正面入口前でB&K社の展示車が早々と店開きをしている。国の威信をかけて建設された国際会議場の玄関前に堂々と駐車場を確保するとは流石である。

 美人でとても親切な受付嬢を悩ませながらも何とか会議への登録を済ませた後、センター内の銀行で両替を行った。こちらの200$に対して540万ディナール程の札束を渡され、思わず今のは200$ですよと念を押してしまう。2年前発行の旅行案内書に記された為替レートとは一桁以上も違っており、噂に違わぬすさまじいインフレにただ驚くばかりである。

 さて、大半の日本からの参加者が利用するというサバセンターに併設された豪華なホテルを尻目に、我々は事務局を通して予約した少々割安のホテルに向う。ホテルの受付は各国からの会議参加者でごった返し、パスポートと引き換えに自分の室の鍵を手にするまで小一時間を要した。アパートのような外観に心配した通り、室の中はこれでもホテル? と思わず絶句。懲りない人達でさえもう少しましな部屋に住んでいるのではないかと思う。飛行機をビジネスクラスにしたつけが回ってきたものと観念したが、それにしても大勢の外国人を泊めるのであれば多少の配慮があってもしかるべきではと考えてしまった。郷に入りては何とか、とにかく腹を決めてかかる。

 明けて8月24日、いよいよ13th ICAのスタートである。午前中の開会式では、組織委員長Pravica教授の司会のもと、ベオグラード市長の歓迎の辞や大会会長Kurtovic教授の挨拶等があった。式の終わりにヴァイオリンとソプラノの演奏が披露されたが、会議場の響きの薄さが演奏者に気の毒であった。

 今大会の論文発表は446件と、最近のICAでは比較的少ない方になる。日本からの発表は59件で、フランスの60件に次いで多く、この方面での進出も著しい。その他では、開催国ユーゴ、アメリカ、西ドイツがそれぞれ40件前後であった。

 本会議は、音響の各分野別に13のセッションに分れ、センター内の九つの会場を使って並行して進められた。また、各セッション毎に最近注目される話題を決めて、それに関連する発表を集めた特別プログラムが用意されている。例えば、
    建築音響……「単一指標による遮音性能評価」
    騒   音……「CECによる衝撃音の共同研究」と
             「各種音源周辺における騒音予測」
等であり、そのほか生理・心理音響のセッションでは大阪大学の難波先生を座長として「ラウドネスの時間変化」が組まれていた。個々の論文の詳細については、後日予定されている日本音響学会騒音研究会での会議報告を参照していただきたい。

 一般の論文発表には、原則として9:00-12:00と15:00-18:00の時間帯が当てられていたが、このほか全体会議と称する特別講演が毎日12:00と14:00からそれぞれ1時間ずつ行われる。特別講演で興味を持ったテーマは、
  (1)騒音伝搬に与える地表の影響(K.Attenborough)
  (2)都市計画による環境保全(J.Sadowski)
などであるが、これまでの研究の概要が報告されただけでとくに目新しい内容の発表はなかったように思えた。なお、8月30日の全体会議では講演に先立ち、ドイツBBMのKurze氏より元アメリカBBNのShultz氏の死去が伝えられ、氏の数々の功績を忍んで参加者全員で黙祷を捧げた。氏は本来建築音響の権威であるが、各国の社会調査の結果を整理して騒音レベルと住民反応の関係を一つの関数にまとめた論文('78)は、この分野におけるその後の研究に大きな波紋を投げかけている。5年前の当所での講演が懐かしく思い出された。

 ここで、少し私事を述べさせていただく。一般の論文発表は24日の15:00から始まったが、翌日の朝一番に自分の発表を抱えていることもあって、その日は講演どころでない。建築音響の会場を確認し、2、3の発表を聞いただけで早々と宿に戻る。その夜、山下所長より最後のチェックを受ける。

 翌朝少し早めに会場に到着すると、入口の扉には昨日のプログラムがそのまま貼ってあった。事務局の人に連絡するとすぐに取り外しはしたものの、新しいプログラムを貼る気配はない。そのためか会場は閑散としており、うれしいやら張合いがないやらで複雑な気分になる。ところが、定刻間際に座長が入室すると同時に人がどやどやと入ってきて、たちまち発表会場としての体裁が整ってしまった。

 座長に紹介され、自作の英文とはまるで思えない発表原稿を読み始める。定刻の5分前に終り、一番心配な質問を待つ。Kuttruff教授と座長を代行されたKurtovic教授から質問があったが、何れも予想されたもので牧田先生に作っていただいた想定問答集を思いだしながら答えることができた。席に戻ると横の外人から今の問題は面白い(interesting)と言われ、有難うと答える。とは言うものの、70余りの建築音響の発表の内、材料評価に係わる発表は自分を含めてわずか2件であり、いささか寂しい思いがする。建築音響に関しては、ホールの音響設計や音場評価の問題についての発表が多くみられた。

 会議も終わりに近づくにつれて英語にも慣れ、内容が何とか理解できる発表もでてくる。とは言うものの質問したり、討論の中に加わることなどは遠い先のことである。数ヵ国語を容易に話せるヨーロッパの人達が大変羨ましい。

 ところで、今回の会議でもご多分に漏れず発表の取消が相次ぎ、虫食い状態で進行する会場が散見された。私の知る限りでは、ソ連からの発表は全てキャンセルであったように思う。論文の掲載されることが重要と考える欧米の人達には、およそキャンセル等の考えられない我々日本人は不思議に映ったかもしれない。

 さて、当初長いと思われた8日間の全期もたちまちの内に過ぎ、31日にベオグラードを後にする。空港、ホテル、国営マーケット(品数と品質)、さらには猛烈なインフレなど、とにかく貴重な体験をすることができた。ユーゴの人達が物質的には恵まれていなくても、精神的には皆豊かであると考えたいが、いくら働いても給料は同じなんですよと答えてくれたホテルの受付で働く若者の声が気になってしかたがない。

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