1988/7
No.21
1. 晴天のショックウェーブ 2. 騒音環境基準の設定経過(その3) 3. 補 聴 器 4. 人の反応を見る 5. レーザー加速度計
        <研究紹介>
 
人の反応を観る

騒音振動第三研究室 加 来 治 郎

 出る杭が打たれるように、音や振動を出すものはその発生量が押えられます。では、その許される杭の高さはどのように決められたのでしょうか。環境基準設定の経過にもありました様に、実際に騒音や振動が発生している地域に住む人達を対象としたアンケート調査、および、聴感実験室の中で被験者を対象に行なわれた聴感実験、などで得られた結果をもとに基準値は決定されています。

 社会調査や聴感実験は、音や振動に対する人間の反応を解明しようとする調査研究ですから、純然たる物理現象を取り扱うそれとは別の意味での難しさがあります。

 ところで、私共の研究所においても、騒音、振動、さらには低周波音を対象にこのような調査を行なってきました。社会調査や聴感実験が一体どの様な内容の調査であるかを、当所が行なってきた調査の経験をもとに多少のエピソードを交えながら御紹介することにしましょう。

社会調査とは……門前払いをくわない騒音や振動について何らかの基準を決める場合、手っ取り早くしかも誰もが納得する方法は、それらが発生している所に出かけて行きそこに住む人達に騒音や振動に対する意見を聞くことでしょう。例えば、騒音に対する意識内容(通常は気になる程度等が尋ねられます)を調査し、一方で回答者が受ける騒音の大きさを測ることにより、騒音の大きさと気になる程度の関係を見出すことができます。

 もちろん、人の判断は千差万別、十人十色ですから、調査結果の信頼性を上げ、統計的な解析や評価を可能とするためには、それこそ数多くの標本(サンプル)を必要とします。鉄道の騒音、振動を対象に行なった最近の例では、線路のごく近くに住んでいながら慣れてしまって全く気にならないと答える人がいるかと思えば、注意しなければ列車の音を聞き逃してしまいそうな所に住んでいる人が非常に気になると答えるなど、この調査に予断は許されません。

 居住者の意識内容を調べるためのアンケート調査には、電話による聞き取り、調査票の郵送、調査員の訪門面接などいくつかの方法があげられますが、回答者の率直な意見を確実に把える方法としては訪問面接方式が最善と思われます。この方式は決められた範囲内の住戸を調査員がお邪魔し、調査票に従ってアンケートを行うものですが、必要なサンプル数を得るためには多くの場合取りこぼしは許されません。○△商法等の勧誘や訪問販売が社会問題として取上げられることの多い昨今では、回答者の確保こそがこの種の調査の最も難しい点であると言えるでしょう。男性調査員では、間に合っていますの一言で門前払いを受けることもしばしばです。

 調査票は10〜20分程度で調査が終るような数の質問で構成されています。調査の性格上その主旨を事前に明かすことはできません。先の鉄道に関する例では、先づ"このアンケートは生活環境についての調査です"と断りを入れ、最初の数問では買物の便利さ、緑の豊かさなどを型通り質問します。その後おもむろに近くを走る△△線の利用状況を尋ね、電車の音が聞こえるかどうか、電車の音が気になるかどうかまでを一気に続けます。"電車の音の気になる程度"が調査の主質問であり、この回答が得られれば先づは一安心といったところです。

 回答者に先入観を与えないために、質問の中では騒音という言葉は使用しません。また、公害振動や低周波音に関する調査では、これらの言葉そのものが一般の人にとって馴染みの薄いものですから、代わりに家の揺れ、窓や建具のがたつき、などといった表現を用います。さて、調査員の努力によって得られた回答結果は一つに集計され、総合的な解析を行うことになります。

 騒音や振動に対する人の判断には、騒音や振動の大きさだけでなく、性別、年齢、居住年数、家族構成、家屋構造、さらには音源に対する利害関係など極めて多くの要因が関与しています。騒音の大きさと気になる程度の関係を求めるだけでしたら、とくにこれらの要因を考慮する必要はないかもしれませんが、騒音源や振動源に対する評価方法を決めようとする場合は、どの要因も無視するわけにはいきません。例えば、騒音の大きさに騒音の発生回数や発生時間を考慮した評価指標の方が、住民の反応との対応が良くなることもあります。住民反応に与える回数や時間などの影響の程度、すなわち、要因の寄与度が知りたくなるところです。

 偏りのないように種々の条件の下で集められた膨大な数のサンプルから、一つ一つの要因について分析を行なっことは、一昔前まではそれこそ気の遠くなるような作業であったと思われます。ところが、電算機を用いた統計的な解析手法の開発が進み、最近ではどんなに大量のデータでも希望する結果が立ちどころに出てくるという誠に便利なご時勢になってきています。ただし、データを間違って入力したり、解析ソフトの使い方を誤っても、電算機はそれなりの結果を打ち出してきます。機械任せの恐ろしい点であり、結果を眺める上で多少なりとも経験の要求されるところかもしれません。

 社会調査の結果をもとに基準値が設定されたり、適切な評価方法が提案されます。社会調査の役割は、通常この辺りまでで、それ以上の分析、例えば特定の要因に着目して詳しい検討を行なおうとするような場合は、次にお話する聴感実験の守備範囲となります。

聴感実験とは……時間との闘い
 聴感実験は、特別な実験室の中に被験者を閉じ込め、音や振動の刺激を与えてそれに対する判断を求めるものです。周波数による聞こえ方の違い、音や振動を感じ始める大きさ、衝撃成分を含む音の大きさ、などはいずれも聴感実験により研究されてきたテーマです。

 ジェット機特有のキーンという金属音が人に与えるやかましさに着目し、プロペラ機との比較実験を行なった結果、K.D.KryterはPNLという新しい評価尺度を提案しました。1960年頃のことです。

 実験室という特殊な空間の中で、スピーカや加振合を用いて刺激を与えるということが、聴感実験を進める上での問題点であり、又、結果を考察する際に忘れてはならない点でしょう。以下では、実際に行なった聴感実験を紹介しながら、これらの問題点についてお話します。

 先のKryterが取り上げたジェット機は第一世代と呼ばれる初期のものです。低騒音化の進んだ最近のジェット機を対象にして行った実験では、必ずしもジェット機の方がプロペラ機よりもやかましいという結果は得られていません。この場合は、ジェット機とプロペラ機の間でのやかましさの比較ですから特に問題はなさそうです。

 同じ航空機騒音でもこれがヘリコプターとなると話は別です。騒音問題となるブレードスラップは、非常に低い周波数成分を有する衝撃的な音ですから、通常の再生装置では実際の音の忠実な再生が困難です。担当者は、装置の整備に実験の大半を費やすことになりました。

 試験音の再生という点でもっと難しい問題は低周波音の再生です。耳には聞こえない数Hzといった周波数の音を対象としますので、現用のスピーカではまず再生できません。結局、圧力変化を被験者に与えるという観点から低周波音専用の実験室を作った次第です。

 低周波音は、その存在と影響が指摘されたのが比較的最近のことですから、当所においてもたくさんの実験が行なわれました。中でも印象深いものは睡眠影響に関する実験です。これは、実験室の中に寝かせた被験者(もちろん夜です)に周波数や強さを変えて低周波音を与え、睡眠影響(睡眠深度及び覚醒)を観測するものです。被験者が予定通りに眠りに落ちてくれればよいのですが、いつもの室と違う実験室の中で体のあちらこちらにセンサーを貼られた被験者は、今か今かと待ち構える当番の者をいらいらさせるばかりです。かと思えば、たちまち夢の中に入って外からの刺激にほとんど反応を示さない豪傑もいます。被験者によって結果が変り得ますので、その選定にも格別の注意が必要です。

 聴感実験の中には、社会調査で得られた結果の確認を目的とするものもあります。

 新幹線騒音の環境基準の設定に当っては、東海道と山陽の2つの路線で行なわれたアンケート調査の結果が参考にされました。そこでは、運行本数の少ない山陽の方に高い反応が示されたわけですが、地域条件、騒音に対する慣れ、利便性など多くの要因が関与した結果であることはいうまでもありません。また、これらの要因は実験的に検討できるような内容のものでもありません。

 聴感実験で取り上げた要因は、列車の運行本数、すなわち騒音の発生回数とうるささの関係です。発生回数に比例してうるささも増すはずですが、ここでは、その増加していく傾向を調べようというものです。

 新幹線の運行本数(50〜200本/日の範囲)に対応させて試験音を発生させ、被験者の判断を求めます。もちろん、被験者を一日中拘束することは無理ですから、1日を大幅に短縮して実験を行います。具体的には、発生回数の異なる30分ものの試験テープをいくつか作成して被験者に与えることになります。

 さて、このような実験を行えば、騒音の発生回数とうるささとの間に何らかの関係を得ることができます。私共の実験でも、等エネルギーの仮定に基づく10logNに比例してうるささが増加する傾向が確認されています。ここで、Nは騒音の発生回数です。

 ここで注意すべきことは、実験室の中で確認されたことがそのまま社会反応にも適用できるかということです。人の判断は、たかだか30分ではなく、一日、一月、あるいは一年といった長い間に受けた騒音の暴露経験に基づいて形成されていると考えることもできるからです。したがって、聴感実験の結果は、社会調査の結果ともあわせて総合的な判断が必要になります。

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