1988/4
No.20
1. 巻 頭 言 2. 環境基準(騒音)の設定経過(その2) 3. WECPNLについて 4. 水鉄砲形周波数分析器 5. 透光性強誘電体セラミックス(BCN-PZT)の物性
       <骨董品シリーズ その2>      
 
水鉄砲形周波数分析器

所 長 山 下 充 康

 レーリィ板による音の強さの計測方法を前回のニュースで紹介させていただいた。これに引き続いて今回は音響研究に不可欠とされる周波数分析器を取り上げることとした。

 ヘルムホルツ著「聴覚の研究」をこの誌上で御紹介した折にヘルムホルツの共鳴器についても簡単に記述した。音の高低は音の強弱とともに研究者の強い関心の対象とされていたことは言うまでもないが、これを定量的に捕らえるには大層な苦労が伴ったようである。

 今回ここに登場する音響計測器の骨董品は図1に見られるような古ぼけたアルミニウムの筒と聴診器の耳当てである。現役で使われていた時分にはゴムのチューブがこの二つの部品を繋いでいたのであろうが、今では金属の接続部にポロポロの粉になってこびり付いているチューブの痕跡を残すのみである。

図1 竹の水鉄砲のような周波数分析器

 アルミニウムの筒(長さ45cm、太さ4cm程度)にセルロイドの白いスケールと真ちゅうのチューブが差し込まれている。聴診器の耳あてにつながるゴムのチューブは失われている。アルミニウムの筒は二重になっていて倍の長さにまで延長することが出来るように工夫されている。

 アルミニウムの筒の一端は真ちゅうの円盤で閉じられていて、円盤の中央に穿かれた孔に白いセルロイドで作られたスケールの付いた細い管が差し込まれている。この管がセルロイドのスケールと一緒になって筒から出入りするように工夫されていて、アルミニウムの筒の中では管に固定された円盤がピストンのように前後に動くようになっている。大きさと言い形と言い、子供の頃に手にした竹筒の水鉄砲を思い起こす代物である。

 構造を分かり易く絵にすると図2のようになる。音を聴きながらピストンを筒の中で前後させながら共鳴点を探り出し、目盛りによってその周波数を知ろうとする装置で、以前に紹介したヘルムホルツの共鳴器の延長上に位置付けられるものである。

図2 水鉄砲型周波数分析器の構造

 スケールには2列の目盛(100〜200, 200〜3000)が刻まれている。これは周波数目盛で、音を聴きながらピストンを調整して共鳴する長さ(1/4波長で共鳴)を捕らえれば、これによってその音の周波数を知ることができる(管端補正を含めて目盛られている)。アルミの筒を引き伸ばして使用する場合には小さい方の数字を読む。

 医者の聴診器のようなチューブを耳に差し込んでアルミニウムの筒を片手にあれこれと音を聴きわけている音響研究者の振る舞いは、それを知らない人の目にどのように映ったことだろうか。ちなみに理事長の五十嵐先生は懐かしげに使い方を説明して下さった。われわれが日常利用している周波数分析器と比べると操作性や性能の点でかなり見劣りのする計測器である。  

 NHKのディレクタのY氏から茶の間向けの科学番組で放送を計画している音声関係の実験についての相談を受けた。具体的な内容は、日本人には聞き取りも発音も苦手と言われるRとLを視覚的に区別する実験をしたいというもので、Y氏は参考としてソナグラフの分析結果を持ち込んで来られた。
 right-light, rice-lice, grass-glass, …………

 米国人のM氏の発音によるこれらの周波数構成には《r》と《l》とで明らかな差異が認められた。番組でリアルタイムスペクトルアナライザによる周波数分析の様子を見せたらどうかと言うのがY氏の考えであったのだが、色々と相談しているうちに茶の間のブラウン管に映し出すにしてはいかにも堅苦しい映像になってしまうことが問題となった。rとlの周波数構成の違いを視覚的にもっと解り易く見せることが出来ないだろうか。あれこれ考える内に目に止まったのが部屋の片隅に並べられた備前焼きの壺である。これまでに少しずつ手に入れたコレクションであるこれらの大小様々な寸法の壺たち…。これらを共鳴器として利用することが出来れば面白い。

 これらの壺をずjらりと並べておいて実験を試みた。壺の口に薄いアルミホイルを乗せておくと、共鳴周波数で激しく振動する。ア・イ・ウ・エ・オと発声するとホルマントに対応する共鳴周波数の壼のアルミホイルがビリビリと振動してその上にマッチの軸でも置いておけばそれが面白いように跳ね回る。これは絵になる。

 結局はこれが更に発展して蝋燭の登場となる。即ち、共鳴する壼の口では粒子速度が極端に速いはずだからここに蝋燭を立てておけば炎が揺らいで視覚的に理解しやすいだろうと言うことになった。昔の音響研究書に登場する《踊る炎》がヒントである。発声に伴う息の影響を避けるためにラウドスピーカからの声で実験をすることにした。
図3ヘルムホルツの共鳴器をまねた備前焼の花器と蝋燭
 横に倒した共鳴器の口に蝋燭を立てる。共鳴周波数では炎は風に吹かれたように激しく揺れる。炎が生じる上昇気流と共鳴器の口での空気振動とが炎を揺らす。

 本番では、中に水を入れることによって容積を少しずつ変え、共鳴周波数を調整した広口のガラス瓶を横倒しにして一列に並べ、各々の口にカラフルな蝋燭を立てて実験する様子を放送した。rとlとで異なった色の蝋燭が揺らぐ状況は、構成周波数の差異を解り易く説明する画像になったものと思う。

 直接見えない空気の振動である《音》を視覚的に捕らえることにわれらが先人たちは知恵をしぼり、様々な工夫をしている。今日ではエレクトロニクスの進歩によって音を記録したり分析したりする技術を思いのままに利用することが出来るようになっているが、こうして昔の研究者たちの実験道具を手にすると当時の苦労が偲ばれる。しかしそこには苦労と同時に研究対象との間に直接的で暖かな触れ合いが存在していたような気がする。これは骨董品に感じるノスタルジアと言うのではなく、ハイテク時代にともすると忘れがちな自然科学者の基本的な心意気であるように思えるのである。
図4 テレビで放映したガラス瓶と蝋燭の炎
 風で炎が揺れないように無響室の中で実験された。発声に伴う息で炎が揺れることを避けるためにラウンドスピーカを通して〔R〕と〔L〕の発音をテストした。瓶の共鳴周波数は左から右に少しずつ高く設定してある。

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