1985/6
No.9
1. 21世紀への序走

2. 低周波領域におけるマスキングについて

3. ダンピング試験について  4. 鼻の呼吸障害と疾患の診断について 5. 米国の音響に関する規格(ANSI)
       <研究紹介> 
      ―低周波シリーズ4―

 低周波領域におけるマスキングについて

騒音振動第一研究室 木 村 和 則

1. まえがき
 低周波領域における各種の評価実験などを行なうために当研究所は、昭和55年に内装空間2.1×2.8×2.2m、38pのスピーカを16個天井に配置した低周波音暴露実験室を建設し、様々な実験を行ってきた。いままでに、純音を用いた感覚閾値・等感曲線の究明(図1)、睡眠時における低周波音の影響などの各種評価実験を行ってきた。

図1 純音を用いた感覚閾値と等感曲線

 一般住環境に存在する低周波音は騒音(可聴音)と混在して発生している場合が多く、低周波音だけが存在することはまれである。都市部において、特に道路端では、高いレベルの低周波音が存在していても騒音の方だけを聴いて"うるさい"と感じる場合が多い。家屋内において、戸・障子などが風もないのに"がたつく"などの物的な現象が現れてはじめて低周波音の存在に気付き、低周波域における人間の生理的な感覚としてしばしば論議される"振動感"、"圧迫感"などを直接感じる場合は少ない。
 低周波領域の音を評価するさいの表現の代表的なものとしては"振動感"、"圧迫感"などがある。一方、可聴域の音については"音の大きさ"などが評価の中心であり、低周波域の代表的な評価項目である"振動感"が可聴域を評価する場合に考慮されることは少ない。この様に評価の方法が異なる低周波域の音と可聴域の音とが混在する場合には、低周波域の音に対する"振動感"、"圧迫感"などの評価が可聴音があることによって影響を受け、低周波音だけの場合と異なった評価をすることが考えられる。これらのことについて、被験者を用いた試聴実験を行って検討したので紹介する。

2. 試験音
 実験には低周波領域の音と可聴領域の音を混在させた信号(混在音)を用いた。混在音の構成には、低周波域の音として4、8、16、32Hzの純音、可聴域の音として中心周波数が500、1kHzの1/3オクターブ・バンドの雑音を用いた。これらの中から、低周波音の1種類と可聴音の1種類とが混ざり合った音を試験音として作成し、被験者に聞かせた。表1に調査に用いた試験音の構成を示す。低周波域の音は常に同じ周波数、同じ音圧レベルとし、可聴域の音は1/3オクターブ・バンド中心周波数および音圧レベルを変化させた混在者を1つのグループとしてこれらのグループ内で実験を実施した。測定は4つのグループで行なった。各グルーブでは可聴域の音を固定して、低周波域の音を4Hz 110dB、 8Hz 110dB、16Hz 100dBおよび32Hz 80dBと変化させた。

表1 実験に用いた試験音

3. 測定方法
 被験者は健康な20才台の男性14名、女性8名の合計22名である。
 実験は一対比較法を用いた。一対比較法とは、二つの試験音を被験者に聞かせ、二つの試験音の各評価に対する大小関係の判断に基づいて試験音間の尺度値を求める方法である。被験者に提示する試験音対は、7種類の試験音を用いて作成することができる可能なすべての組合わせについて行った。
 一対の試験音を提示する場合に前の音と後の音を聞いてどちらの音が大きいかを判断させる場合、同じ音あるいは前後の音に少しの差しかない場合には後の方を大きいと指摘する場合が多く、試験音の提示順序によって結果に影響が現われる。これを時間順序効果という。この様に、被験者が2つの試験音の大小関係を判断する時に、2つの試験音のどちらを先に提示するかによって結果に影響が現われる時間順序効果を無くするために、同じ組み合わせの試験音対の提示順序を逆にした場合についても実験を行った。したがって、今回の実験では49の組合せを1つのグループで行なったことになる。
 実験に用いた評価項目は、"振動感"、"わずらわしさ"および"音の大きさ"の3種類とした。被験者には、提示された試験音対のどちらの方が各評価項目でより大きいかを回答用紙に書きこむように指示した。前後の音が同じであると判断した場合でも前後のどちらかに必ず印をつけなくてはならないとしたため、同じ大きさであるという回答は無い。
 試験音の提示は、図2に示す様に、10秒提示、5秒休み、10秒提示という方法で行い、次の試験音対が提示されるまでの15秒間の休みの間に各々の評価項目についての大小関係の判断の結果を回答用紙に書きこませた。

図2 試験音の提示方法

4. 実験結果
 一対比較法で得られた結果をThurstoneの比較判断の法則(ケースV)に基づいて尺度化を行った。図3に各評価項目の結果を示す。グループ内の最も小さく感じた試験音が尺度値0であり、尺度値が大きいほど被験者はその評価項目を大きく感じていることになる。

図3 各試験音の尺度値

 評価項目"振動感"では、低周波音が4Hz 110dBの場合、可聴音の音圧レベルが大きくなるに伴なう尺度値の上昇傾向が他の低周波域の試験音に比べて大きく観測された。これは、感覚閾値の調査結果(図1)より、4Hz 110dBは人間が聞くことが出来る限界付近であるため、被験者は"振動感"を感じずに可聴域の音を聞いて"振動感"を判断していると思える。今回の調査では試験音対の内で同じ程度の大きさと判断してもどちらかに印をつけなくてはならないと指示したので、このため、音圧の大きい方に印をつけたと思える。
 低周波領域の周波数が高くなるにしたがって、4Hzの場合と異なった傾向が現われた。低周波音8Hzの試験音の場合では、可聴音50、60dBで低周波音だけの試験音の方が"振動感"があるという結果が得られた。これは、低周波領域の評価項目である"振動感"が低周波音だけが存在する時に比べて可聴音が混在した音の方が振動感が薄らぐ、つまりマスキングの効果が認められた。低周波音が16Hz、32Hzの場合のグループでは、すべての混在音と比べて、低周波領域だけの試験音の方が"振動感"があるという結果が得られた。今回の実験では低周波音の音圧レベルを一定にした条件に限った実験を行ったが、その結果、明らかに可聴音によるマスキングの効果が現われた。又、混在音の低周波領域の音の周波数が高くなるにしたがって可聴域の音圧レベルの上昇にともなう尺度値の傾きが小さくなる。これは低周波領域の音が振動感をもっているときには、可聴域の音は振動感をマスクする効果があり、可聴域の音が"振動感"を評価する対象とはならないことを示している。
 評価項目"わずらわしさ"では低周波音だけの試験音の場合との比較で、低周波音16Hz 10dB・可聴音500Hz50dBの場合だけが低周波音のみの場合に比べてわずらわしくなく、他の混在音はすべて低周波音だけの試験音の場合にもっとも小さな尺度値が得られている。一方、低周波音の周波数が高くなるにしたがって、混在音の尺度値の傾きが小さくなり、可聴領域の音圧レベルの50dBと70dBとの尺度値が接近してくる。つまり、低周波域の音も"わずらわしさ"の判断に寄与していることがわかる。これらのことより"わずらわしさ"は、低周波域の音および可聴域の音を聞いて試験音の大小関係を判断していることがわかる。
 評価項目"音の大きさ"では、低周波音のみの試験音が各グループで尺度値0となっている。又、低周波領域の音の種類が変わっても尺度値の頃きに変化は無く、"音の大きさ"を判断する場合に低周波音の影響は受けていない。

5. まとめ

 各種の評価項目で、低周波音に対して可聴域の音の存在がどの様な影響をおよぼしているかについて被験者による実験を行った。低周波領域の代表的な評価項目である"振動感"は、低周波音と可聴音とが混在した試験音に比べて低周波音のみの試験音の方が大きい、つまり、低周波音が大きい場合でも騒音が混在している時には振動感が減じて、音の大きさなどの方を気にすることが究められた。
 今回の調査は、低周波音の音源として純音を用いたが、現場音などを用いたマスキングの調査も今後計画している。

−先頭へ戻る−