1998/1
No.59
1. 謹賀新年 2. 音の形と相 3. 高速移動体上の騒音発生源の同定 4. 携帯の美学 ポケット蓄音機 5. 積分型普通騒音計 NL-06 6. ISO NEWS
 
 音の形と相

所 長 山 田 一 郎

 年頭にあたり、謹んでお祝い申しあげます。

 旧年中は皆様から多大なご支援を腸り、本当に有難うございました。お陰様で滞りなく業務を遂行することができました。本年もお引き立て下さるよう宜しくお願いします。

 今年の干支は戊寅、六十花甲子の十五番目です[1]。寅は「動く」で草木の発生する状態、戊は「茂る」で草木が繁茂して盛大になる様子を意味するそうです。五行配当表をみると戊には五気の「土」、五方位の「中央」、五事の「思」、五音の「歌」が当てられています。身体の真ん中であるお腹で思い、歌うということでしょうか。一方、寅には「木」、「東」、「貌」、「呼」が当てられています。東は朝日が昇る方位、貌は姿形のことです。芽生えた生命に姿形を整えるよう呼びかけるといった感じでしょうか。

 貌といえば、音に形はあるでしょうか。板の上に砂をまき、振動させると節線となる位置に砂が集まり、振動数に応じて様々な図形が描かれます。これをクラドウニの図形といい、振動モードを調べるために使われてきたようです。この可視化の技術を音に適用し、音のモードを調べた図形を音の形ということができるかも知れません。しかし、私たち人間が感覚的に提える音の形は必ずしもそれと対応するものではありません。実際、音に関係する表現を調べてみると、直線的な音、鋭い音、丸い音、童厚な音、高い音、大きい音、それらしい表現を拾うことはできますが、端的に形を表す表現は見つかりません。音に明確な形がないとすると、それでは、音は固体でなく液体か気体なのでしょうか。そう考えてみると、音が弾む、音が突き刺さるなど、音を固体とみる表現もありますが、音が溢れる、音が漏れる、音が流れ出す音が湧き上がる、音が抜ける、音を注ぎ込む、音で満たす、音に浸る、音の洪水、音を液体とみる感覚で表現することが多いようです。

 この液体的表現は何に由来するのでしょうか。喜び溢れる、幸福に浸る、愛に溺れる、愛情を注ぐ、愛情が湧く、胸一杯、心に浮かぶ、激情に流される、心を汲む。このように感情や心情を表す表現が液体的であって[2]、音の場合と似ています。憶測に過ぎませんが、音が物事に対する感情や心情と重なって提えられ、表現されるためではないでしょうか。

 感情は物事に対する意識のうち喜怒哀楽や好悪、快不快の状態や価値づけの過程であると考えられますが、音に接し、感知するときも同じ過程を経るからではないでしょうか。

 感情は心、人間の精神活動の一つです。心は意識とともにあり、意識が心を形作る・・・、難しい問題です。通常は私たちが自分の心を意識することはありません。それは、意識が外界に向かって働くからであり、外界の物事を意識しているときは自分を意識しないのが普通です。これを外界投射というそうです。テーブルに置かれたリンゴを視るとき、実は網膜に映った像を感じているのですが、誰も像を視ているとは感じません。リンゴの形や色は意識しても「視る」目を自覚することはないのです。しかし、人が自分とテーブルのあいだを横切り、視線を遮ると、途端に「視る目」が気になり、視ることを妨げられたと感じます。これが「目障り」ということのようです。感情も同じです。通常は自分を意識することはありませんが、何かあると否応なしに自分を意識し、阻害されたと感じます。それが気障りです。外界の何かを意識する自分の行為に差し障りが生じるからでしょう。聴覚も同じです。音は耳で捉えますが、そうは感じず、外界に音があるように認知します。耳の存在を意識することはないのです。しかし、音が大きかったり、異様な音色だったりするとその存在を思いだして、耳障りと思うのでしょう。近頃、「耳触りがよい」という言葉の誤用があるそうですが、手触りや肌触りといった接触感覚は触った後に価値を判断するので触っただけでは良いも悪いもないのですが、視る・聴くという遠隔感覚で何かが触ったと感じるときは、それ自体が異常なことであり、不快なことなのでしょう[2]。騒音が耳障りなのもこれによるものでしょうか。このような遠隔感覚と先に述べた液体感覚とはどのように結び付くのでしょうか。次の機会に視覚のラティチュードと対比しそ音が耳に障らない範囲を論じてみたいと思います。

 干支の解釈から「貌」と「思」について思いがけぬ方向へと話を進めてしまいました。「木気」は五気のうち唯一の生命体です。勝手な解釈ですが、種子の中で責いて準備する段階(丁丑)だった昨年から一歩進み、芽が出て動き始める今年(戊寅)は二十一世紀に向けて活動開始する年でありたいものです。

参考文献

 [1] 吉野裕子、ダルマの民族学
   −陰陽五行から解く−      岩波新書 378
 [2] 国広哲弥、日本語誤用・慣用小辞典    講談社現代親書 1042

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