2022/10
No.158
1. 巻頭言 2. 時田先生を偲ぶ 3. inter-noise2022
4. 軟骨伝導補聴器の開発(第2報)

       
  時田先生を偲ぶ


  協力研究員  落 合  博 明

 時田保夫先生(当所名誉研究員)が2022年5月9日、97歳でご逝去されたとの連絡を受けた時は大変驚きました。先生はこれまで週に1回程度小林理研に来られていましたが、2020年春頃から流行り出した新型コロナウィルス感染防止のため、ここ2年ほどはお見えになっていませんでした。しばらくご無沙汰していましたので、どうされているか気に掛かっていた矢先の訃報でした。

● 時田先生との出会い
 時田先生に初めてお会いしたのは、私が1972年に大学の卒業研究で外部研究室のある小林理研を訪れた時だったと思います。私は子安 勝先生が室長をされていた音響関係の研究室に配属されましたが、時田先生は振動関係 の研究室の室長をされていました。同室の清水和男さん、沖山文敏さん(当時川崎市)、塩田正純さん(当時飛島建設)らと顔を突き合わせて振動に関する研究結果について議論をされていたのをうっすらと覚えています。

● 環境庁の受託調査研究
 1970年代中頃からは工場、道路高架橋、ダムなどの大型施設から発生する低周波音(当時は低周波空気振動と呼ばれた)による問題が発生し、時田先生は低周波音に関する研究を始められました。1976年度から環境庁(当時)からの委託で低周波音に関する総合的な調査研究が行われ、先生は受託側の責任者として全体の取りまとめをされました。私は1975年に小林理研に入所し、現場測定や住民アンケート調査、実験などに参加しました。調査結果は1984 年12 月に「低周波空気振動調査結果報告書─低周波空気振動の実態と影響─」として環境庁より公表され、今でも貴重な資料として利用されています。
 この頃までは所属する研究室が異なっていたこともあり、先生に直接ご指導いただく機会はほとんどありませんでした。機会が増えたのは1990年に日本制御工学会の低周波音分科会に参加するようになってからです。写真1は私が初めて参加した低周波音分科会の懇親会です。

写真1 低周波音分科会の懇親会
(1990 年5月 前列中央が時田先生)

● 環境庁;低周波音検討調査委員会
 低周波音の対策が進み、苦情は一旦治まっていましたが、新幹線の高速化に伴う低周波音苦情が1993 年頃から問題となり、1994 年度から環境庁による調査研究が再開しました。私も検討会の委員に加わることになり、先生とご一緒することとなりました。
 環境庁は1996 年度から低周波音のガイドライン策定に向けた検討を開始し、2000 年12 月に「低周波音の測定方法に関するマニュアル」を公表しました。また、この頃から近隣の住宅や店舗に設置された室外機等から発生する低周波音によると思われる不快感や体調不良等の心身に係る苦情が増加しました。環境省では2002 年度から地方公共団体職員向けの低周波音苦情への対応マニュアルの検討を開始し、2004年6月に「低周波音問題対応の手引書」を公表しました。先生は、両検討会の委員長として取りまとめに尽力されました。

● 「低周波音問題対応の手引書」と参照値
 「低周波音問題対応の手引書」の取りまとめにあたり、先生が特に苦慮されたのが指針となる値の名称でした。
 寄せられる「低周波音苦情」には、低周波音や騒音・振動以外が原因と思われる苦情も多く含まれていました。これら苦情は、一部のマスコミやインターネット等からの誤った情報により、自身の体調不良を低周波音によるものと判断したり、耳鳴りを低周波音と誤解したことによる苦情と考えられました。「低周波音苦情」の解決にあたっては、原因が低周波音・騒音あるいは振動である場合とそれ以外の場合とをいかに切り分けるかが重要となりました。「手引書」では、発生源の稼働状況と苦情者の体感との対応関係(関連性)に着目し、両者の間に対応があれば低周波音・騒音・振動に起因する苦情であると考えました。対応関係がある場合に、苦情の原因が低周波音・騒音・振動のいずれであるかを判定するのに用いたのが「参照値」です。
 この判定する際の名称をどのようにするかを決めるにあたり、委員から「指針値」、「基準値」、「評価値」、「目標値」、「参照値」、「目安値」といった案が候補として挙がりました。先生は、じっと考えられた末、苦情の原因が低周波音であるか否かを判断する目安となる値という意味を込めて「参照値」という言葉を選ばれました。
 このように、委員長としての先生は、ご自身の意見を強く主張されるのではなく、委員の意見を一通り聞かれた後、全体の意見を包括するようにうまくまとめられることが多かったように思います。

● 低周波音苦情対応のためのサポート体制の整備
 低周波音苦情への対応マニュアルに関する検討会では、低周波音苦情者や地方公共団体のためのサポート体制についても議論され、報告書に提言が取りまとめられました。この中で、地方公共団体、環境省に専門家を加えたサポートシステムの体系案が示されました。サポート体制の整備に関しては、先生の思い入れが詰まった内容となっています。
 残念ながら、公表された「低周波音問題対応の手引書」には苦情対応のためのサポート体制の整備までは盛り込まれませんでしたが、騒音制御30 巻1号(2006.2)に先生が執筆された「低周波音問題対応の手引書 取り纏めの方針、考え方」に詳しく述べられています。
 専門家によるサポートに関しては、2003 年11 月に山田伸志先生(山梨大)、犬飼幸男先生(当時産総研)に加えて、瀬林 伝さん(当時神戸市)、高木公明さん(当時松戸市)ら地方公共団体に所属されていた方々を中心に設立されたNPO 法人「住環境の騒音・振動・低周波音を考える会」が、時田先生の思いを引き継いでいるようにも思います。

 最後に時田先生の小林理研における普段の生活についていくつかご紹介します。

● コントラクトブリッジ
 1980 年頃、先生に教えていただいて、昼休みは毎日コントラクトブリッジをしていました。同じ手札でも札の出し方によって結果が大きく変わるのがとても面白く、昼休みが終わるのも忘れるほど没頭していましたが、今となってはすっかり忘れてしまいました。

● 鴨汁そば
 国分寺駅の南口から小林理研へ向かう道を入ったところに、一乃屋かずのや という蕎麦屋がありました。気風のいい女将さんがいる店で、冷たい蕎麦を鴨肉とネギの入った甘辛な温かい汁につけて食べる鴨汁そばが名物でした。2000年頃からでしょうか、先生は航空環境研究センター所長を退任され、毎週金曜日に小林理研にいらしていたのですが、一乃屋での昼食を楽しみにされていて、五十嵐寿一先生、山本現理事長、同期の木村和則君、私の5名で足繁く通っていました。その一乃屋も2007 年10 月末をもって閉店してしまいました。

● 3時のおはなし
 私が2016 年に小林理研を退職し協力研究員となってから、所内では時田先生、深田栄一先生と同室となりました(写真2)。3時のお茶の時間には、時田先生からいろいろなお話を伺いました。郷里の北海道余市郊外にあったという時田山でスキーをした話、海軍兵学校で飛行機の操縦をした話、最近では、地元の自治会の人にコントラクトブリッジを教えている話など、大変興味深く拝聴しました。

写真2 深田栄一先生と
(2019 年6月 提供:深田先生)

 小林理研ニュース149 号(2020.7)に寄稿された「小林理研との繋がり」の最後に、ご自身の100 歳を小林理研創立85年と共にお祝いしたいと書かれていましたが、思いが叶わず誠に残念です。

 時田先生には大変お世話になりました。心からご冥福をお祈り申し上げます。

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