2005/10
No.90
1. 私の「イヤリング」

2. inter-noise 2005リオデジャネイロ報告

3. ロッセル塩によるクリスタルセンサ 4. 第25回ピエゾサロン 5. 防水型オーダーメイド補聴器HI-G4WE
      <骨董品シリーズ その57>
 ロッセル塩によるクリスタルセンサ

理事長 山 下 充 康

 バルト海から太平洋側(日本海側)の不凍港を求めてウラジオストック港に回航していた帝政ロシアの大艦隊(バルチック艦隊)を対馬海峡に待ち構えて東郷平八郎元帥率いる日本の連合艦隊が撃破したのが1905年。今年で丁度100年が過ぎたことになる。100年前に展開された日本海大海戦で旗艦として活躍した「軍艦三笠」は記念艦として横須賀港の一画に展示されている。帝政ロシアは朝鮮半島を始め中国大陸の東北部への進出を企んでいた。日本海の制海権をロシアに委ねることになると日本国は危機的な状況に陥る。
 ウラジオストック港にロシア艦隊が主力を置くことになれば日本海の制海権はロシアに奪われる。日本としてはこれをゆるすわけにはいかない。余談になったがこれが日本海大海戦の時代的背景である。
 旗艦三笠内の一部に当時の無線電信室が残されている。部屋の内部には頑強に造られた木製の机(台)に無線通信機が置かれていて、扉越しにこれを観ることができる。当時、電子技術は黎明期にあり、無線電信も実用化が始まったばかりで、通信機といっても無線電信の発明者「マルコーニ」の試作実験器具をそのまま再現したかのような不器用で大仰な装置である。旗艦三笠に展示されている通信機は「三六式無線電信機」と呼ばれ、大海戦の折にロシア艦隊に初めて遭遇した信濃丸が「敵艦見ユ」の有名な信号を発信したのもこの通信機であったと言う。

ロッセル塩結晶
(手前は人工水晶)

 海戦はもとより陸戦でも戦線ではいつの時代にあっても正確で速やかな情報の採取と連絡が不可欠である。太平洋戦争においても、今日の電子技術には及ばないまでも、センサ(電気音響変換器)を含む通信機器の発達は日露戦争当時とは比べようのないほどに進歩していた。
 太平洋戦争当時、小林理学研究所では軍からの強い要請を受けて、電子通信に係る研究開発が進められていた。
 研究分野の一つが「ロッセル塩結晶の圧電特性」を利用した高性能の電気音響変換器の開発と製造であった。ロッセル塩結晶の歴史的な位置付けについては小林理研ニュースの72号(2001年4月発行)に河合平司先生が「ロッセル塩結晶の生い立ちと圧電気」の中で詳しく述べられ、また五十嵐寿一先生が小林理研ニュースの28号(1990年4月)「創立50周年を迎えて」の中で太平洋戦争当時のロッセル塩結晶の研究について紹介されているのでご興味をお持ちの諸兄におかれてはこれらを参照されることをお奨めする。
 当研究所の顧問をお引き受けいただいている深田栄一先生はピエゾサロンを始め、圧電関連の研究について今日でも大いにご指導をいただいているところであるが、深田先生はロッセル塩研究に長く携ってこられた。深田先生の談によれば、
 「ロッセル塩結晶はワインの製造過程で出来る副産物の酒石酸の結晶体であることから質の良いロッセル塩結晶を生産するために小林理研には山梨の葡萄農家からワインが豊富に送り込まれた」とのことである。 
 軍は水中音響センサ(水中マイクロホン)のエレメントとして良質のロッセル塩結晶を切望していたのであった。「小林理研に行けば美味いワインにありつける・・・」これが戦時中にあって若い理学研究者たちの間で評判になっていて、勉強会と言っては小林理研に集まってワイングラスを傾けるというのが密かなお楽しみであったという。
 終戦を迎えてロッセル塩結晶に係る研究は軍需としての役割を終え、民需のマイクロホン、小型スピーカ、レコードピックアップカートリッジなどのオーディオ機器として利用される時期を迎えた。

リオン製クリスタルマイクロホン
M225型(左)
型式不明・自立型(右)

 マイクロホンは今日ではダイナミック型が普及してこれが主流となっているが、一時期は小型で取り扱いの容易なクリスタル型マイクロホンが広く使われていた。安価に製造できたことや耐久性の点でも機能が比較的安定していることがクリスタル型マイクロホンの長所であった。電気音響変換器として小型スピーカやイヤホン、小型マイクロホンなどがクリスタル型の製品として多様な機器が開発された。残念ながら周波数特性とダイナミックレンジ感度と諸特性の安定性に限界があったことから今日ではダイナミック型に取って代わられた。

クリスタルレシーバ
箱にRIONと株式会社小林理研製作所・東京 国分寺が併記されている
 
リオノコーダ付属のクリスタルピックアップカートリッジ

 1944年、財団法人小林理学研究所は研究開発の成果を世間に送り出すべく株式会社小林理研製作所を設立した。これが今日のリオン株式会社の前身である。1946年には日本初のクリスタルマイクロホンを発売した。観光バスのガイド嬢の手にクリスタルマイクロホンが握られていた光景が見られたものである。1948年には日本初の補聴器が発売された。イヤホンはクリスタル型であった。続いて1949年には世界初のクリスタルスピーカを発売、1952年には日本初のクリスタルカートリッジを発売、と言うように毎年のようにクリスタル型の音響製品を発売したのである。音響製品ではないが圧電素子をガスの点火装置に応用した製品を開発したのもこの時期であった。

 
クリスタルスピーカ裏面(上)
クリスタルスピーカ (下)

 ロッセル塩結晶を利用したクリスタル型音響製品の数例を図示した。製品のラベルに「RION」と「KOBAYASI」とが併記されているのが興味深い。レコードピックアップのカートリッジは「リオノコーダ(骨董品シリーズ35:レコード盤型録音機;ニュース66号1999年10月)」のパーツである。

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