1992/10
No.38
1. 拡声機騒音(暴騒音!?) 2. 遮音壁構造開発の最近の動向 3. 人工鼓膜の看板 4. インターノイズ’92に参加して
       
 拡声機騒音(暴騒音!?)

所 長 山 下 充 康

 昭和十三年一月、東京朝日新聞のコラム[槍騎兵]にこんな文章が掲載されている。

 「今年一月一日から實施されて好評を博して居るといはれている高音取締規則といふ名稱も頗る異なるものである。高音とは調子の高い音、かん高い音の意で女聲ソプラノ、芝居や能の囃に使はれる笛の音乃至は銀の鋸の目立ての音等であって、まさか警視廰で斯様な音を取締られるのではあるまい。此規則の目的とする所は近隣の勉學、安眠を妨害したり作業能率を低下させる様な強い音、大きい音を禁止するので、強音取締若しくは騒音取締でなくてはなるまい。

中略

 ラヂオのラウド・スピーカーは別に高い聲を出す器械ではないのに高聲器と云う名稱が廣く行はれて居る。これは擴聲器若しくは放聲器と呼ぶ事にしたい。聲ばかりに限ったものではないから放音器と云ふ方が至當であると云ふ御説は御尤ではあるが、放音器は語呂も聯想も面白くない。ラウド・スピーカーにもっと適當な譯は無いものであらうか。(原文のまま転記)」

 この論説記事の筆者は日本音響学会の胎動期に活躍された大先輩、小幡重一先生である。

 JR中央線中野駅近くの古本屋で偶然に発見した書物、小幡重一著「響」にこの文章が転載されていた。音についての随筆を編纂した書物である。

 音響研究者として、音の大小と音の高低を混同して使用されている点を指摘された内容の論説である。確かに、大きな音と言うべきところを高い音とするのは誤りである。とはいえ、日常的には「声高」とか「声が高い」といった使い方が無くはない。

 奥付によればこの本の発行は昭和十三年十一月。今から五十四年前に刊行された音響学の書物だから、記述の内容はいささか古臭いが、その時代、既に今日に共通する音に関する幾つかの重要な課題が取り上げられていることに驚かされた次第である。

 その一つが上記に紹介した朝日新聞のコラムである。これは今で言う生活騒音に係る問題提起であり、さらに今般東京都議会で大きな論議の対象とされた拡声機騒音の規制条例の先祖か元祖のような法律「高音取締規則」が実施されたという話は興味深い。

 当時、「夜間放歌高聲を發して安眠を妨害してはいかぬ」という當局からのお達しがあったようである。

 平成四年九月二十一日、第三回東京都議会定例会議において第二百十七号議案として提出されたのが「拡声機による暴騒音の規制に関する条例」である。

 提出議案は次のような文章で始まる。

 「近年、拡声機の性能の向上により、大きな音量による放送宣伝活動が可能になったことに伴い、一部に、拡声機を使用し、必要な音量を著しく超える音を発して、通常の政治活動、労働運動、企業活動等の諸活動を妨害し、又はひぼうする等の街頭宣伝を行う団体が少なからずみられるようになり、こうした街頭宣伝がこれら諸活動に重大な支障を及ぼすとともに、地域住民に対して勘え難い苦痛をもたらすという事態が生じている。こうした事態は、我が国の政治経済機能の集中する首都東京において最も顕著であり、都民の日常生活を脅かすこれらの騒音の発生を防止することが強く求められている。

 しかしながら、拡声機の使用は、政治活動等における表現の伝達等のための重要な手段でもあるのであって、法令及び健全な社会常識の範囲内で行われるものが不当に制限されることがあってはならないこともまた、言うを待たないところである。

 このような認識の下に、日本国憲法の保障する国民の自由と権利を不当に制約することがないように慎重に留意しつつ、拡声機によって発せられるいわば音の暴力ともいうべき騒音について規制を行うこととし、この条例を制定する。」

 持って回った文章であるが、この提出議案で言わんとするところは、スピーカーを搭載したトラックなどで喧しい音を撒き散らすなということであろう。

 この前文に続いて趣旨が述べられているが、その中にあって「暴騒音」という用語が登場している。

 「(定義)第三条

 この条例において『暴騒音』とは、東京都公安委員会規則で定めるところにより、当該音を生じさせる装置から十メートル以上離れた地点(当該装置が道路その他の公共の場所以外の場所において使用されている場合にあっては、当該場所の外の地点に限る。)において測定した場合における音量が八十五デシベルを超えることとなる音をいう。」

 法律の文章だから厳密な記述なのかもしれないが、内容の理解に苦しむ。どうやら、十メートル以上の距離で騒音レベルが八十五デシベルを超えると、これを「暴騒音」と呼ぶことにするらしい。

 屋外に置かれた無指向性音源を考えた場合、10メートルで85dBだとすると、パワーレベル(PWL)は113dBということになる。トラックに搭載されているスピーカーはおおかたトランペット型だから、無指向性ではなさそうである。単一指向性だとしても、パワーレベルは相当なものであろう。

 横断歩道で信号待ちをしている時などに、車の屋根に取り付けられたスピーカーの真正面に立たされてガンガンやられると堪ったものではない。まさに暴力的騒音を感じさせられる。そんな経験からは「暴騒音」と名付けられたことにうなずけなくはないが、これを音響用語として考えると、いささか抵抗を感じさせられる。

 冒頭に紹介した「高声取締規則」の「高声」に対して音響用語としての不合理性を述べられている小幡重一先生が「暴騒音」という用語を目にされたとしたら、おそらくただでは済まないように想像する。

 「そもそも騒音は、大小にかかわらずおしなべて暴力的な存在であろう。取り立てて、暴騒音といふ用語を新造するのは甚だ異なるものである。大なる音に対しては、轟音、爆音、烈音、激音、号音、強音等が日本語として通用している。暴騒音を俗語として用ひるのならば、一向に差支へないが、法令の文章に明記し、なかんずく、十メートル以上の距離にて八十五デシベルを超える音などと定義付けるのは困ったものである。

 さらに、この条例を適用せんとする場合、具体的な音量測定方法がどのやうに為されるべきであるかは、すこぶる暖味である。実際の取締に當ってニッチもサッチもいかなくなる事は明らかである。(不明氏、出典未定)」

 暴騒音を欧米に紹介するとしたら、どんな用語を使うのが妥当だろうか。暴騒音などという用語は、国語辞典はもとより、無論、和英辞典に収められてはいるまい。この用語が、将来、国語辞典などにどの様に収められるか楽しみである。

 東京・渋谷駅前の広場で某政治団体が宣伝カーを使っていた。道路脇に停めた宣伝カーの屋根にマイクロホンを手にした男性が立ち、熱っぽい口調で演説している。スピーカーからの音をハチ公の銅像の位置で測ったら、九十デシベル前後の騒音レベルであった。宣伝カーからハチ公までの距離は二十メートルほどだから、これは暴騒音に該当するに違いない。

 ところがである、ハチ公の銅像前は渋谷駅前の待ち合わせ場所の代表のようなもので、実際にそこに立ってみると分かるのだが、雑踏の真っ直中であり、人声が渦巻いていて夥しい騒がしさ。宣伝カーのスピーカーからの音は聞こえるものの、周囲の喧騒にマスクされて演説の内容は余程意識をそれに集中しないと理解することができない状況である。

 普通、宣伝カーはハチ公前広場のような人が集まる場所で使われることか多い。そんな場所は静かな環境であるはずがない。そうだとすると、周囲の喧騒に負けずとばかりにスピーカーの音量を強めたくなる。スピーカーの音が大きいから人々の間で交わされる会話の声も大声にならざるを得ない。

 「遅刻してゴメンナサイ。お待たせしましたッ。」
  「私も遅くなって、さっき来たところデスッ。」
  「お元気そうで車を待たせてありますから明治通りのまいりましょうかッ。」

 マイクロホンの近くで交わされるそんな会話は宣伝カーの暴騒音のレベルを上回ってしまう。

 十メートルで八十五デシベルを超えないような音量で街頭演説をしても、渋谷の駅前では殆ど内容を聞き取ることができそうにない。もっとも、この時に演説に聞き入っているらしい聴衆は見当たらなかったから、演説の内容には大した意味がないのかもしれない。

 この都条例に関しては、各方面で様々な是非論が展開されているように聞くが、道路を歩いている折りに軍歌をまじえた難解な内容の演説を大音量 のスピーカーで叩き付けられるのには閉口するので、この種の暴力的な音が無くなるとすれば、それは大歓迎である。

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