1989/1
No.23
1. 台湾音響学会 2. 理事就任にあたって -五十嵐先生と私と台湾- 3. 騒 音 計 4. 新装された模型実験室 5. 発音・発語訓練装置の開発(その2)
      
 理事就任にあたって
     ―五十嵐先生と私と台湾―

理 事(リオン株式会社社長) 笠 原 健 明

 私が、五十嵐先生と親しくお話しする機会を得ましたのは、昭和57年夏、リオンの新館建設計画に関することでした。何かと気楽にご相談できるきっかけとなりましたのは、その以前に先生の台湾出張に同行、ご案内したことによるような気がいたします。
 私自身、長い間リオンに勤務しながら、研究所と直接関係のある仕事に携わる機会がないまま、先生と会社構内でお遭いしても、簡単なご挨拶程度で、また、先生が54年6月リオンの取締役に就任されてからも、仕事上のちょっとした言葉を交わす程度のように記憶しております。
 リオンは、54年7月に台湾の台北市郊外に、現地資本と合弁で、主として発展途上国向け輸出用補聴器の組立会社を設立し、今日に至っております。
 リオンの台湾駐在員の業務は、工場経営に当たるかたわら、台湾の総代理店に対する販売援助活動があります。  当時の台湾は、経済活動が漸く活発化し始めた頃で、バスは馬力が低下するとマフラーをはずして、爆音高く街中を走り回り、また、タクシーもその大方はメータ類も壊れ、ワイパーすらない車が、夕立の中をハンドル、アクセル、ブレーキのみで突っ走るという神業であり、その間を突き刺さるように走るオートバイも含めて、信号無視も甚だしく道路横断は、青信号でも足が竦むという状態でした。
 無論、町中はガーンという騒音の渦で、駐在員としては、何とか騒音計を中心とした音響計測器を関係筋に売り込めないかという時代でもありました。
 衛生思想の普及と、ゴミ処理を中心とした台湾政府の行政担当も漸く環境保全対策に御輿を上げ始めた頃で、三澤会長(当時社長)の同窓がこの方面の行政責任者(大臣)でもありました。
 その縁で行政担当官が来日の折り面談し、小生は「騒音問題は日本は先進国であり、小林理学研究所はその対策の中心であり、研究所の五十嵐理事長は、政府委員としてその対策に活躍されております。」と話をいたしました。
 また、この時期に、台湾大学造船工学研究所のエンジンテスト用防音室建設計画の話が駐在員から伝えられたのを機会に、三澤会長の要請で、57年3月五十嵐先生に訪台して戴くことになり、小生がご案内致すことになりました。
 現地の代理店、また、関係者にとって先生の訪台は、百万の味方を得たに等しいものでありました。しかし、私は、先生のお人柄を充分存じておらぬ不安から、どうしたらよいかと、一抹の不安を持ちながらの出発でした。
 3月18日台北行き中華航空18便に搭乗しました。座席はエコノミーで誠に申しわけなく思う小生を尻目に、先生は何の屈託もなく話かけてくださいました。少し緊張が解けるころ、桃源空港に着陸。初めて台湾を訪問する先生は、機外の風景を珍しそうに眺めておられました。
 私は、商用の補聴器をサンプルとして持参しましたが、その補聴器が税関で検査に引っ掛かりました。検査官は私の提示した無税証明にも耳を傾けず、1時間近くのやりとりがありました。
 先生は、無税と判るまで嫌な顔一つ見せず見守っておられました。
 更に、現地の案内で、台北市内に食事へ出向いた折りも、ゴミゴミした町の通りでも平気な顔で歩かれ、また、現地社員と談笑を交わされる姿に傍の私は意外な感じでお供いたしました。
 翌19日、台湾国内聴覚関係第一人者の台湾師範大学王老得教授(台湾音響学会創立者・初代会長)黄乾全教授(第2代会長)を訪問し、帰途五十嵐先生より「あの方の研究に、リオンの騒音暴露計があると大変研究が進みますよ」と、学者らしい、さり気ない心遣いで話されました。それがきっかけで暴露計を1台お贈りし、大変喜ばれたことがあります。
 午後は政府の担当官を表敬訪問し、小林理学研究所、五十嵐先生のお人柄、また当社技術力等が政府担当官の信頼を得、以来今日まで友好関係が続いていることは、リオン及び、現地側双方にとって有意義な出会いであったと思っております。
 20日には台湾大学を訪問し、小林理学研究所が、我が国一級の音響学の研究機関、また、先生のバックグランドの広さ、深さが評価を受け、3ヶ月後、当社は防音室の発注の連絡を受け、研究所あげての応援を戴きながら完成をみたことは、大変幸いでした。
 その夜、明朝の帰国を前に、駐在員と現地社員の案内で土産物屋を覗くことになりました。先生も現地側の誠意ある対応と目的を達成したことからか、嬉しそうに色々の品物を手に取られておりました。
 初めて経験される中国人との遣り取りでは、中国流のディスカウントの大きさに驚きの顔を見せられながらも、ご家族の方々、知人の方々へと、お土産が盛り沢山となり、相手は上客の来訪とばかり次々と品物を並べ始めました。
 一つ一つ楽しそうに手を取られるのを見ていた私は「先生いい顔をなさっておられると、お金をみんな巻き上げられますよ」と申したところ、「今まで外国に出掛けても、何一つ土産を買ったことはない。買ったとしても空港でちょっとした物程度、今日は安心して買い物ができます。今まで何もしてやれなかった家族に、今日はお金全部置いていきますよ」と、ニコニコされながら知人に、家族の方々に財布をはたかれはじめました。
 この出張期間中、どのスナップ写真も、先生は終始にこやかに写っておりました。この台湾訪問が先生と私の距離を大きく縮めさせて戴く機会になりました。同時に、小林理学研究所及び、リオンと台湾諸関係機関との距離を狭め、永く友好関係を保ち今日に至るきっかけにもなりました。
 台湾音響学会設立には、王老得教授の要請で、五十嵐先生をはじめ、小林理学研究所に多くの援助を戴き、五十嵐先生の記念講演をもって漸く発会式に漕ぎ着けました。
 その王老得教授も昨年11月の第1回音響学会開催日を待たず、8月急逝されました。教授の葬儀参列のため、先生と共に急遽台北を訪問いたしました。台北郊外陽明山大屯山に囲まれた山の中腹、夕焼けの真っ赤な太陽が東支那海に沈む薄暮の北海公園墓地に埋葬される柩を、先生と共に直立不動で見守った光景は、終生忘れ難いものがあります。
 11月の台湾第1回音響学会に出席していただき、故王老得教授との約束も果たされ、また、今後の協力体制も一歩前進したことは、リオンにとっても有難いことです。
 今回私は、三澤会長の後任として、小林理学研究所理事の末席に名を連ねることになりました。研究所発展のために何かのお役に立てば幸甚に思います。

大会における黄乾全理事長の挨拶

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