2018/1
No.139
1. 巻頭言 2. inter-noise 2017 3. ISE16参加報告 4. 第8回欧州鋼・複合構造に関する国際会議 (EuroSteel 2017)を終えて
  5. リオネットシリーズ マキシエンス、マキシエンスV の開発

 
  夢 と 希 望  


理 事 長  山 本 貢 平

 正月を迎えると、「あなたの抱負と夢を述べなさい」と学校の先生から言われたものだ。この「夢」なるものには2種類ある。無意識の世界から発生するのものと、意識の世界から発生するものである。むろん自己流解釈である。

 少年期にしばしば怖い夢を見た(注:今でもたまに見ることがある)。何者か怖いものが、私を追いかけてくるのだ。逃げても、逃げても追ってくる。遂に逃げ場を失って「万事窮す!」の場面で、はっと目が覚める。怖いものとは、昔どこかで会ったことの見知り顔。逃げ回る場所は東京の下町なのだが、街角を曲がると大阪の寺町に居る。町の景色や色は夢とは思えぬほど鮮やかで美しい。この夢には時間にも空間にも連続性がなく、しかも論理的な繋がりも意味もない。なのに、その夢を見ている本人は、不思議とそれが幻であることに気づかない。

 幻の夢を分析した学者がいる。19世紀末の天才心理学者フロイトである。フロイトは精神的病理を持つ人をカウンセリングによって治療した。患者に、夜な夜な見る夢の内容を語らせ、その夢の持つ意味を解釈し、心の闇に潜む病巣を探求するのである。フロイトの夢の定義とは次のようなものだ。「夢とは過去の願望の変形されたものである」。

 ある夫人が、トンボに追いかけられて困ったという夢の話をした。フロイトは考えた挙句、トンボをシンボルとしての「男性自身」と解釈し、この夫人がある男性に好意を持たれたいと願っていたことを深層心理に見抜いたのである。追われたいという感情も願望の一種の変形と解釈もできる。映画インディージョーンズのように、未知のものに追われること自体が快感であり、逃げることは冒険の極みでもある。少年、いや男性にはスリルのある冒険に浸りたいという願望が無意識の中にあるのであろう。

 では、意識が作り出す夢とは何か?これは簡単である。「現在の願望であって、遠い未来に実現が期待されるもの」。つまり変形を受けない願望そのものだ。キング牧師が「私には夢がある」と語った演説を思い浮かべると良い。「無意識が作る夢」も「意識が作る夢」も、どちらも「願望」によって作り出されるという点が興味深い。

 これに対して、「希望」も願望の一つである。だがニュアンスは少し異なる。ギリシャ神話「パンドラの箱」は有名である。災いは世界に飛び出したが、箱の底にたった一つ残ったのが「希望」だった。つまり「希望」とは、絶望という暗闇の世界の中に居て、ふと見出された救いへのわずかな望みである。その望みは、希(まれ)に叶えられるのだ。それゆえ希望と呼ばれるのかもしれない。

 「将来に夢を持つことは大切だ。それは、自分自身の未来の姿を描くことでもある。夢のある生き方の中に生き甲斐が見つかるであろう。たまには夢破れて挫折を経験することもよい。その時こそ希望が登場する。夢と希望はあなたの未来を創る原動力だ・・・」と先生から説教されている。ここで、はっと目が覚めた。元日の翌朝だった。

 

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