2025/ 1
No.1671. 巻頭言 2. 面ずり圧電を発現する生体高分子とその応用 3. 振動レベル計 VM-57 4. 時間の拡大装置
トロイの木馬
理事長 山 本 貢 平2025 年を迎えて21 世紀は四半世紀を過ぎようとしています。今世紀の始まりは東西冷戦終結後の平和な時代だったはずですが、いま再び戦争という不安定な状態が発生しています。それらは2022 ~ 2023 年に始まったロシアとウクライナの戦争とイスラエルと周辺諸国の戦闘のことですが、多くの一般市民が犠牲になっていると伝えられていることに大変心が痛みます。新たな時代を迎えてこれらの戦争が早く終結し、再び平和な時代が到来することを祈ります。
しかし、人類は長い歴史の中で多くの戦争を経験してきました。その反省を基に戦争の抑止が求められてきたにも拘わらず、いつの世にも独裁者や好戦的な支配者が出現して、懲りることなく戦争が繰り返されるは残念なことです。そして、戦争の多くは記録として歴史に刻まれ、また、時には英雄物語として人間の記憶に残されています。
古代の戦争記録として有名なのはホメロスの「イリアス」です。これは、「トロイア戦争」を題材にした「英雄たちの戦いと死」を描いた一大叙事詩です。この戦争が「史実」なのか「神話」なのかは不明ですが、盲目の詩人ホメロスが、エーゲ海を挟む町々で聞き取った伝説を基に、紀元前8世紀ころ創作した物語と解釈されています。イリアスには一人の王妃の奪還をめぐっての争いが描かれており、ギリシア軍とトロイア軍の間で英雄たちが激しい戦いを繰り広げます。10 年にわたる長い戦争を終結させたのが有名な「トロイの木馬」でした(ホメロス著「オデッセウス」で回想)。この木馬は馬の形をした巨大なオブジェで、これをギリシア軍はトロイアの街に潜入させますが、トロイア軍はそれを不審物とは思いませんでした。しかし、木馬の中には英雄オデッセウスと多数の兵士が潜んでいて、人々が寝静まった夜間に飛び出してトロイアをついに陥落させたのです。長期の戦争はこれで終結となりました。
トロイの木馬は、「無害な物体を装う悪意のある兵器」であることが特徴です。文字通りの木馬を現代の戦争に使うことはできないにしても、その考え方を持った兵器は大きな脅威です。実際、兵士の携帯した普通の通信機が、実は敵が制御する爆弾兵器だったという事件が中東でありました。これは実例の一つです。
一方「トロイの木馬」という名称は、コンピュータ・マルウェア(Malicious Software /悪意のあるソフト)としてよく知られています。感染すると自分のコンピュータが知らぬ間に、悪意を持つ他者に乗っ取られてしまう怖いソフトです。さらに近年のサイレント・インベージョン(Silent Invasion)もトロイの木馬と同類です。こちらは善意を装う他者によって知らぬ間に経済的、文化的、政治的な侵略を受け、いつのまにか組織や国が乗っ取られてしまうことです。このような悪意を隠したステルスは今後増えると思われます。特に高度なAI 技術は善意を装う偽情報を創造して、人類を知らぬ間に侵略するかも知れません。私たちは次の四半世紀に向かって、善に潜む悪を見抜く能力を身に備える必要があります。古代の伝説は時代を超えて人類に忍び寄る悪への警鐘を鳴らしてくれています。