2014/4
No.1241. 巻頭言 2. シリコンエレクトレットマイクロホンの温度特性 3. 鈴 4. パワータイプの防水型補聴器HB-W1RA
ラ・ディビナ・コメディア
所 長 山 本 貢 平「最近の若いやつらは〜で困ったもんだ」酒の席ではしばしばこのような話題で盛り上がる。ここで決して「最近の年寄り連中は」とはならない。どうも盛り上がりに欠けるからだ。あるとき、大学生が「最近の若者は」と口にするのを聞いて爆笑した。君が若者の代表じゃないのといいたくなる。「最近の小学生らは」とでもいいたいのであろうか。
酒席からは離れるが、実際に私から見て、若者が精神的に脆弱で困ったものだと思うことがある。これは最近に始まったことではない。今でも時折報道で取り上げられることのある1995 年の地下鉄サリン事件がきっかけだ。
この事件に関して当時から不思議に思っていることがある。それは事件を起こした犯人たちの多くが理工系の出身者であったことである。それも一流、名門と評されている大学の理工系学部で高度な教育を受けており、新進の研究者や技術者になるはずだった。なのに一体、何が彼らをそうさせたのか?あれから19 年の歳月が過ぎ、さまざまなことが解明されてきている。ある宗教の信者であったこと、そしてその教義から出発してあまりにも幼稚な発想で事件を起こしていることである。優秀な若者たちが、そんなにも簡単に洗脳されてしまうのであろうか?そして、理工系の若者の精神構造というものはそんなに免疫のないものなのであろうか?この疑問は今でも続いているが、一方で理工系の極めて優秀な若者ほど脆弱だという印象もまた持っている。その理由の一つは理工系の大学では科学や技術の教育が中心に行われていることであろう。言い換えれば、冷徹な客観性というものは教わるが、主観に根ざす世界の価値観というものは教わらない。したがって、彼らは人生観、世界観、宇宙観といった価値の世界には疎いのではないだろうか。
ラ・ディビナ・コメディア。直訳すると「神の喜劇」であり、13 世紀から14 世紀に活動したイタリア文学最大の詩人ダンテの作品である。この作品は当時の大学で教えられた文学、歴史、神学、哲学、美学、科学などに根付いて圧倒的な価値観を示したもので、人類に対する深い愛情をもって書かれたものとされている。しかし、人間にとっては決して喜劇ではない。罪と罰、悔いと戒心、善と福という3つのテーマで一つの人生観、世界観、宇宙観を示したもので、決して客観性だけを重視する科学・技術に偏ったものではない。しかしながら、16世紀の哲学者デカルトの「自我の発見」に始まる二元論、すなわち客観と主観、没価値と価値、物質と精神のように分離・対比される思想が、現在の科学・技術の発展に大きく寄与してきたことは否めない。また、科学・技術が私たちの生活の質を大きく変えてきたことも事実であり、そして若き科学者・技術者の養成は今でも国家戦略の一つとして重視されているのもまた事実である。しかし、優秀な若者の免疫のない脆弱な精神構造が、サリン事件とまではいかなくとも社会の脅威となるような事件を今後起こす危険性が存在することも我々は十分に覚悟しなければならない。望まれるのは、科学・技術のような客観世界の偏重教育ではなく、中世ヨーロッパの大学が重視してきた価値世界の教育ではなかろうか。