2013/10
No.122
1. 巻頭言 2. マレーシア・マラヤ大学滞在記 3. 日 時 計 4. シリコンエレクトレットマイクロホン
   

 
  仏僧と物理学


所 長   山 本 貢 平

 「私は中学の頃、僧になりたいと考えていた」と小林采男氏は語り始めた。リオン創立30周年の翌年の年頭のことである。三澤社長の要請に応えて、小林氏は創業に至る思い出を振り返った。続けて、「自分は釈迦の悟りの古い伝統に立って人を指導するよりも、科学が重んじられる時代に生まれたので、理論物理学によって物質的な世界を極めてから僧になっても遅くないだろうと思うようになった」と語る。しかし、進むべき道の選択に際し、理想と現実のギャップに苦悩の日々を送ることになる。大正8年に東大を卒業後、自分自身の理想から外れて農商務省に入省し、資源局を経て朝鮮総督府の官僚になったと語る。昭和4年には、亡父の後を継いで実業家として鉱山の経営を始める。この頃、僧侶という聖職者の理想の世界と、実業家という現実の世界(堕落の世界)のなかで、「人に奉仕したい」という志をどのように実現できるかに心を悩ませたのであった。もともと、小林氏は弘法大師の信奉者であった。「もし、大師が今の時代の自分と同じ立場であったら、どのような解決策を見出したであろうか?」。長い時間考えた末のある日、大師信仰の聖地「高野山 奥の院」で、突然啓示を受ける。33歳の時である。その時、自分の人格が変わったと表現している。そして、「大師が今の時代に生まれていれば、大実業家となって、事業から得られた利益を浄財と見なし、その浄財を世のために布施しながら、人々に道を説くのではないか」と語る。さらに「事業は寺院であり、大きな寺院を建てて浄財を集め、人々と共にいっそう立派な人間になるように努力しなければならない」とする。ここに「創業の心」が明確に示されている。

 実業家としての小林氏は、朝鮮の鉱山経営から大きな利益を得た。その浄財を使い、若い頃からの思いを実現するために、優秀な若い研究者を集めて物理学の研究所を設立した。昭和15年8月24日のことである。設立式典に際し、次のようなことを述べている。「この研究所は、物質現象を研究するためだけに作ったのではない。それも大事だが、ある段階に入ったら物理学者として、生命現象の研究に取り組んでもらいたい。究極的には、人の心や魂といった心霊現象(オカルトではない)を物理学者が物理学的な方法によって極めていただきたい」。当時の日本は大東亜戦争に向かっていた。技術力を発展させて国力を増すためにも基礎科学の充実が重要であった。その一方、大師からの啓示を体験し、また、仏教に造詣の深い小林氏は、生命に宿る不思議な精神現象を、仏教哲学とは対極の理論物理学で説明することに興味を持ったのである。心や魂の存在と現象は、質量を持つ物質の現象で説明できるのであろうか?

 最後に三澤社長に対して、事業所としてのリオンは寺院であると述べる。寺院は自分の理想とした研究所を支え、研究所は立派な研究者を生み出し、その研究をリオンで事業化して社会に奉仕して欲しいといって言葉を閉じている。明治という維新の時代に生まれ「人への奉仕」という理想を実現するために努力した大きな器が我々の創設者である。

 

−先頭へ戻る−