近年耳にする機会の多い「バグダッド」。バグダッドの遺跡から二千年ほど前の電池が発掘され「バグダッド電池」と名付けられた。電気メッキに使われた装置であると推測されているが、本体は陶器の壷である。中から銅製の筒と棒状の鉄片が発見された。電解液として古くなったワインが使われて起電力を得たらしい。
二種類の金属を電解液に浸すと電位差が生じて起電力を得ることができるという現象はやがて「Allessandro Volta(18世紀・イタリア)」の発明による「ボルタの電池」を経て「鉛蓄電池」の開発に至る。今回の骨董品シリーズでは初期の市販品の鉛蓄電池を紹介させていただくことにした。古色蒼然とした木箱入りの鉛電池である(昭和の初期に製造されたものと推定される)。
木箱(20cm×30cm×高さ15cm)の中に48本(6本×8列)の化学実験に使われる試験管のようなガラス容器が整然と収められている。木箱の板や運搬用の持ち手は電解液(希硫酸)のために腐食している。出力ターミナル部分は欠損しているが、24ボルトと123ボルトの直流を得ることができた蓄電池である。
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図1 鉛蓄電池
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ところで、直流は物理実験に不可欠な電源で、数十年前までは研究室に電灯用の交流100ボルト電源、三相200ボルト電源に加えて直流の高圧電源の配電器が設置されていた。小林理研の旧本館にも一階の片隅に直流電源用の蓄電池室が設けられていた。薄暗い室内では巨大な水銀整流器が四六時中青白く発光し、床一面に多数の鉛電池が並べられていた。むせかえるような希硫酸の匂いが立ち込めていて過充電時に発生する酸素と水素の引火を怖れて火気厳禁であった。この部屋から約300ボルトの直流が各研究室に送電されていて電気回路の高圧電源用などに手軽に利用することができたものである。余談になるが、当時の研究者たちは不注意に高電圧の直流に触れてしばしば指先を火傷したものである。感電のショックもさることながら直流電源による火傷は100ボルトの交流による感電よりも体組織の深くまでおよんだ。
鉛蓄電池は自動車のバッテリとして眼にする機会が多いが、近年は電解液に混合する添加剤や電極の改良によって小型軽量で耐久性や機能性に優れたものとなり、取り扱いも容易で高性能なものになってきた。
さて、骨董品の鉛蓄電池であるが、原理的には鉛(Pb)と二酸化鉛(PbO
2)を極板とする逆U字型の金属部品を隣り合ったガラス管を跨ぐようにセットする(図2)。個々のガラス管には希硫酸(2H
2SO
4)を満たす。
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図2 ガラス管と電極金具(鉛と二酸化鉛) |
化学反応が進むと硫酸鉛(PbSO
4)と水(H
2O)が生成されて起電力が生じる(化学変化式を下記)。
PbO
2+2H
2SO
4+Pb
PbSO
4+2H
2O+PbSO
4
二酸化鉛+希硫酸+鉛 硫酸鉛+水+硫酸鉛
隣り合った電極金具がガラス管の中で接触するのを避けるために薄く削られた短冊状の木の板(経木に似ている)がガラス管に入れられている。希硫酸は干乾びてしまっているが硫酸特有の匂いは残されている。蓋の部分に取扱説明書が貼られていて電解液の補充時期や補充方法、起電力などが詳細に記述されている。移動時に電解液の希硫酸がガラス瓶からこぼれ出るのを防ぐために「パラフィン」油を10滴ほど(厚さ5o程度)滴下することを指示しているのが興味深い。
電極を構成する金具は鉛を基材としており梯子状にセルが穿かれていてここに電極となる金属が埋め込まれている。電極金属の一部は欠落してガラス瓶の底に落ちてしまっているが、希硫酸や蒸留水を注入しさえすれば今にも起電力を現しそうに見える(図3)。
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図3 二酸化鉛の欠落した電極金具
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木製の外箱の底に近い側面に化学反応に伴う発熱を処理するための通風用のスリットが切られている(図4)。
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図4 本体の側面の放熱スリットと把手
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ラジオ受信機や電話機をはじめ通信機類には直流電源が必需品であった。乾電池が開発される以前には直流を得るのに専ら蓄電池に頼らざるを得なかった。重くて大きくて使い勝手の良くない鉛蓄電池ではあったがエレクトロニクスの黎明期にあって大きな貢献をはたしたことであった。