2008/4
No.100
1. 巻頭言 2. エレクトレットコンデンサマイクロホンのロバスト化 3. 製図器械

4. 多チャンネル騒音振動計測システム

   
 
 <骨董品シリーズ その66>
     製 図 器 械

理事長  山 下 充 康

 物理工学系の学生たちはもとより、職場でも物作りには図面を描く勉強をするのが不可欠だった時代がある。 今日では設計図を描くためのコンピュータソフトがあって複雑な機械部品でも設計図を容易に描くことが出来るが、数年前までは硬いトレーシングペーパーの上に手描きで細かい線や数字や記号を書き込んだものである。製図用紙を製図版に固定して丁寧に仕上げられた設計図は美術品のように感じられた。図面を作成するのに活躍したのが、製図用具である。製図用具は、寸法を特定するためのデバイダー、円周を辿るコンパス、様々な太さの線を描くためのカラスグチ・・・製図に使われるこれらの用具がセットにされて大切に使われていた。

 今回は今ではほとんど使われなくなった製図用具のセットを紹介する(図1)。
図1 製図用具セット

 

 デバイダーやコンパスは脚の長いのや短いの、脚につぎ足してさらに長い半径の円周を描くための継ぎ手、複数のカラスグチ・・・これらがラシャ布に内張りされた箱に整然と並べられている。然るべき位置に然るべく納められて金属の鈍い輝きを放っているサマは心に沁みるものがある。中でもカラスグチは機能的にも視覚的にも優れた用具であることを感じさせる。装飾を施された白いもち手の軸は象牙などの材料で軽く造られている(図2)。
図2 大小のカラスグチ

 

 均等な太さの線を描くために使われたのがカラスグチで、先端の形状が「鴉の嘴」に似ていることからそのような名前がつけられたのであろう。螺子で規定の太さ(幅)に調整した二枚の刃先の間隙にインクや墨汁をたらして製図用紙に線を描く。これは図面の仕上げ段階での作業で、「墨入れ」と呼ばれていた。万年筆のような姿をしたドイツ製の製図用ペンが市場に出回ってからというものカラスグチは無用のものとなってしまったが、当時は貴重な製図用具であった。一枚の設計図に複数の太さの線を描かなければならなかったから製図用具セットにカラスグチが沢山備わっているのにはそれなりの理由があるのである。

 製図用具セットにオイルストンが備えられている。いわゆる油砥石である。これはカラスグチの先端を鋭く研ぎ出すための役割を果たしていた。製図に使われるトレーシングペーパーの表面は鑢のようでカラスグチの先端は使っているうちに磨り減ってしまったものである。

 小林理学研究所の職員たちも試作機を作ったり、実験道具を作ったりする際には設計図を自分たちで描かなければならなかった。工作室に旋盤やフライス盤があってそれぞれに名人を自称する機械工たちが居た。作ってもらいたい物を設計図にして持ち込んだものである。大概は「こんな図面で物が作れるものか!」と叱られた。工作室の名人たちに引き受けてもらえるようになるまで図面を幾度も描きなおしたものである。

 使われなくなった製図用具の仲間に「雲形定規」という珍品がある(図3)。これは木製の小型の定規で、様々な「R」の曲線が隠されている。雲形定規を使うと該当する曲線部分を利用して任意の曲線を仕上げることが出来る。場合によっては定規を紙鑢などで削って自分で求める曲線を作り出すこともある。ここに紹介したのはポケット型の小さいものであるが、セルロイドやプラスティックで作られた数10 cmのものから、長刀のように大きな寸法の定規(木製で道路や鉄道の現場事務所では実際に長刀と呼ばれていた)も使われていた。
図3 小型の雲形定規

 

 製図用具は研究者たちにとって大切な道具だったから、机の引き出しの奥に丁寧にしまいこんだことであった。自分で図面を引いては工作室の名人たちに叱られながら実験道具や試作機を作るような苦労は遠い昔のこととして記憶の中に残されているだけで、今ではコンピュータのモニター画面の前でさしたる苦労もなく、見事な設計図を描くことが出来るようになった。能率は良いけれど物を作り出す喜びは薄れてしまったように感じる。

 

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