1997/10
No.58
1. 交通騒音対策の21世紀にむけての課題 2. Active 97, Inter-Noise 97 in Budapest参加報告 Active 97編 3. Active 97, Inter-Noise 97 in Budapest参加報告 Inter-Noise97編 4. 医薬用微粒子計
       <会講報告>
 Active97, Inter‐Noise97 in Budapest参加報告
     −Active 97編−

騒音振動第一研究室 田 矢 晃 一

 平成9年8月21〜23日に、2年ごとに開催されているActive 97がハンガリーの首都ブダペストで開催された。今回は翌週に開催されたInter-Noise 97とタイアップして開催されたため、小林理研からも3名がActive 97に参加することができた。今回の参加者は、研究企画室長の山本と騒音振動第三研究室の廣江、並びに筆者である。筆者がActive 97、廣江がInter-Noise 97の会議報告を担当することになったが、Active 97に参加する前にドイツのアーヘン工科大学を訪問する機会を得たので、前半は会議に参加するまでの報告、後半はActive 97の会議報告をさせて頂くことにする。

 8月18日、12:00発のAF275便は定刻通りに成田を飛び立った。パリまで12時間20分のフライトである。狭い座席に苦しみながらもシベリアの荒涼とした大地を眼下にしながら胸を高鳴らせている内にやはり定刻通り現地時間で17時20分にシャルルドゴール空港に降り立つことができた。空港からは、スチュワーデスに聞いたルートを頼りにオペラ座に程近いホテルに何とか辿り着き、長い一日を終えた。翌日は、鉄道でドイツへ向かった。予約されていたパリ北駅を08:30に発車する列車はThalys(タリス)と呼ばれる赤い列車だった。TGVに乗ることを信じていた筆者らはやや不満に思ったが、乗務員に開いたところ、ThalysはTGVの新型車だそうである。列車がパリを出ると、すぐに広大な畑が広がる農村地帯になる。郊外の住宅地などはほとんど見当たらず、遮音壁なるものも極めて少なかった。フランスは広い国だなと思いつついつまでも続く田園風景に見入っていた。

 海外出張が多い山本は別格として、廣江と筆者は2回目のヨーロッパ訪問である。初めてとはまた異なった、どことなく余裕を持った心境で眼前の景色と記憶を交錯させながら車窓の旅を楽しんだ。かつて訪れたブリュッセルやルーベンを後にしてリエージェでユーロシティEC35に乗り換え、第一の目的地であるアーヘンに辿り着いた。ここまででフランス、ベルギー、ドイツと3ケ国を通過したことになるが、EC圏内ではイミングレーションの手続きはおろかパスポートの提示さえも必要ではなかった。

 アーヘン工科大学の音響研究所(ITA)を訪れると、留学中の知人とともに、フォーレンダー教授が出迎えてくれた。フォーレンダー教授は、建築音響の大家であるクットラッフ教授の後任の方で、30代にしてITAの主幹となった逸材である。ITAには10数名のマスターが在籍しているとのことだが、その数と同じ枚数の研究成果がパネルに収められ、廊下に飾られていた。いずれも昨年度の研究成果ということだが、教授は一つ一つその前に立ち丁寧に研究内容を説明してくれた。

 建築音響関連の研究が多い中で2点、音響インテンシティプローブの開発を取り上げていた。精密な4つのマイクロホンを用いる代りに廉価のマイクロホンを多数用いることによって精度を高める思想で、1点は外向き、1点は内向きに何れも球形に12本のマイクロホンが並べられているユニークな形をしていた。また、助手のベーラー氏に研究室を案内して頂いた。実験に用いる3wayのスピーカの周波数特性を完全に平坦に調整するためのオリジナルアンプが自信の一品で詳細な説明をしてくれた。あたかも既に製品化されているように瀟洒な作りになっていたが、まだITA内に数台あるのみだそうだ。

 さらに、サーフィスインテンシティの研究を行っているシュミッツ氏に現在の研究内容の話を聞き、同氏の案内で学生実験設備などの見学を行った。驚いたことに、ITAにはマイスターを擁する精密機械工場があり、実験に必要な器材は全て研究所内で製作できるようになっていた。垂直入射TL測定などを行うための音響管やダミーヘッドなどもすばらしい出来栄えのものが並んでいた。また、これらを使いこなしているところがすばらしい点であり、見習うべき点でもある。話を開いているうちに、以前訪問した九州芸術工科大学のことを思い出し、共通した思想だなと感じた。

 ITAへのことを書き始めると枚挙に暇がないので話を進めることにする。フォーレンダー教授にインターノイズ会場での再会を約束した後、筆者らはケルンで宿泊し、翌朝、Active 97の開催地であるハンガリーの首都ブダペストまで直行するユーロシティEC25を利用して移動した。到着まで13時間の長旅である。しかし、途中から同席したルーマニア人のご夫妻に話を聞くと、ウィーンで乗り換えてルーマニアの首都ブカレストまで延々29時間の旅を敢行している最中であった。上には上がいるものである。

 前置きが長くなったが、ここからActive 97の話に入る。Active 97は、ブダペスト工科大学(TUB)の施設であるユースホステルを会場として開催された。名前の通り、この施設は安価な宿泊施設であり、夏期休暇中は学生がよく利用しているとのことである。小高い丘の上に建てられた二棟の建物は、威厳のある石造りの建物が立ち並ぶブダペストの町並みには珍しく、アルミフレームとガラス張りの直方体の建物であった。 Active 97に出席して最初に予稿集に驚いた。A4大の予稿集は厚みが8cmほどあり、とても重い。しかし驚いたのはその大きさではなく中身だ。アクティブの予稿は、偶数ページという制限があるだけで、何ページでもよいそうだ。標準は8ページで、中には16ページにも及ぶ予稿があった。これを15分の発表時間でどのように説明するのか人事ながら少々心配になってしまった。本大会では参加者は、参加者名簿によると総勢215名で、国別では、日本34名、フランス22名、イギリス20名、アメリカ19名となっており、ホスト国のハンガリーは7名とやや寂しい状況だった。

 実行委員長であるTUBのアウグスチノビッチ教授の開会宣言により3日間の会議が始まった。今回の講演数は、本会譲と称する招侍講演が5件、一般講演は103件で、これらが3会場で平行して進められた。招待公演では、アクティブコントロールの歴史、理論、応用などが解説的に講演された。この中では、京都大学の小堀教授の代役で講演された鹿島建設の高橋氏の発表が印象に残っている。表題は、"Structural Control of Building Under Earthquakes And Strong Winds"で、高層ビルの振動防止技術としてのAVCを解説した内容で、ややPRがきつかったが、AVCのチュートリアルとして理解を深められた。

  一般講演の部では、大別して、(1)ANCの理論、(2)トランスデューサ、(3)ANCの応用技術、に分けられた発表があった。応用技術では、ANCとAVCがあり、ANCにはさらに、Open AirとEnclosureに関する発表があった。この中で、以下の2編を紹介したい。一つは、AVCの応用で、ドイツのR. Schirmacher氏の"Active Noise and Vibration Control for a High Speed Railcar:"である。筆者らも乗ってきたInter-city Expressの車内環境改善の内容で、最近の鉄道車両は気密性があり、透過音については優れた遮音性能を得る事ができるが、ボギーパーツからの固体音が問題になっている。そこで、サスペンションにAVC技術を加え、車内騒音を低減させようということらしく、現在はまだ実験段階だが、相当の効果が認められるらしい。同様の発表がスウェーデンからも出されていた。このような技術が実用になればより乗り心地がよくなりすばらしいことだと思った。

 もう一編は、L. A. Blondel氏の"The active control of human snoring: An experimental study"である。表題の通り、いびきをアクティブコントロールによって低減させようとした実験的研究の内容だったが、ルパン3世に似た風貌の発表者は、会場内を動き回り、OHPに、そして聴衆に目を向けながら、はっきりとした口調で流暢に、にこやかに説明を展開していった。会場は一つにまとまり、皆その説明に釘付けになっていた。まさにこれがプレゼンテーションの理想形だと感動した。発表後は矢継ぎ早に質問が飛び出し、満場の拍手で終了したことは言うまでもない。

 全体に発表者はプレゼンテーションがうまく、会議はスムーズに進行していったが、気を利かしたつもりの終了音楽が意味不明になり、終了時刻から次の発表が開始され、発表の最中に会場移動者が次々に入場し座長が困惑している場面がしばしば見られた。また、クロージングセレモニーが発表のキャンセルがあったため予定よりも40分程先に行われ、その間時間債しをしていた筆者らが会場に帰ってきた時にはすでに会場には鍵が掛かりひっそりとしていたことなど、日本人には違和感のあることも印象に残った。

 次回の会議(Active 99)は1999年12月2日〜4日に米国フロリダ州マイアミのマリオットホテルで開催されるそうである。最後に、Active 97のシンポルとなった国会議事堂を見つけたので、その前での記念写真を紹介する。



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