2023/ 4
No.160
1. 巻頭言 2. 山下充康前理事長のご逝去を悼む 3. 光散乱式液中微粒子計測器 KS-20F

 
  模倣技術は憎らしい  


  理 事 長  山 本  貢 平

 自慢のお宝をプロの鑑定士に鑑定してもらうという番組がある。これが実に面白い。何が面白いかというと、鑑定結果が予想を裏切って視聴者をしばしば仰天させるからだ。例えば薄汚い壺や下手に見える絵に数百万円の高額鑑定結果が出たかと思うと、上品で美しい皿や綺麗に見える絵に数千円の安値が出ることがある。素人には有名作品の本物とニセモノを見分けるのは難しい。本物と信じて高額で手に入れた品が、ニセモノだと分かってガッカリする依頼人を気の毒に思う。しかし、ニセモノがそれほど上手に製作されていたということだろう。

 それにしてもニセモノを作る技術は大したものだ。ずいぶん昔に千円のニセ札紙幣が出回ったことがあった。本物と見分けるのが難しいほど精巧であったと聞いている。最近ではネット空間に本物そっくりのニセサイトが出回ることがある。私自身も見事に引っかかった。本物を騙る特殊詐欺も横行している。ニセモノ作りは一つの卓越した技なのかもしれないが、悪意をもって人を騙し、そのことで利益を得ることは犯罪行為であることには変わりがない。

 前記の番組で、鑑定士がニセモノと鑑定したものの、それが「悪質なニセモノ」としてではなく、一つの作品としてみた場合に「実に見事な出来栄えだ!」と褒めたことがあった。模倣品であっても、完成された作品として認められたわけだ。この「模倣」という言葉から、「もの真似」と呼ばれる芸を思い出す。それは有名歌手の歌い方や有名俳優のセリフの特徴を真似ることで視聴者を笑わせるというものだ。本物の歌声や喋り方の特徴を上手く抽出し、それを強調する方法で本物を模倣するところに独自性がある。ニセモノなのに本物だと思えるところが可笑しい。

 ここで模倣の対象をもう少し広げてみよう。例えば伝説的人物を対象として、それを小説や劇という媒体で模倣することもできる。このとき、本物の人物像は誰も知らないが、数少ない記録や伝承などの断片だけが残っている。模倣作者はそれらの断片をつなげて一人の人物像を新たに創造し、ドラマや映画という作品に仕上げることができる。その作品は多くの人々に悲しみや喜びのみならず感銘を与えることもあるだろう。そこに描かれているものは決して本物ではないが、創意工夫という模倣技術によって独自に創作された作品となっている。このような模倣技術を芸術と捉えた古代の思想家もいる(アリストテレス「詩学」)。

 模倣の対象をさらに広げてみよう。例えば天体の運動などの自然法則は数学を媒体として数式で模倣できる。また、化学反応は記号を媒体として化学式で模倣される。物理も化学も模倣技術である。さらに人間の形態や動作は、機械を媒体としてロボットで模倣できる。人間の脳は複雑な計算とネットワークを媒体として人工知能(AI)で模倣できる。模倣技術は人々を感動に導く芸術であり、人類の知恵を集積するサイエンスでありテクノロジーでもある。ニセモノの持つフォルムと美しさが、人々をして本物だと誤認せしめるところが憎らしい。

-先頭へ戻る-