2022/4
No.156
1. 巻頭言 2. コロナ照射法を用いたオキシ水酸アパタイトの電荷蓄積 3. ISO/IEC 17025 認定校正について
 

 
  眠れぬ夜のフリダヤ  


  理 事 長  山 本  貢 平

 欧州では交通騒音による健康への悪影響の一つとして虚血性心疾患が取り上げられている。しかし、力学的作用としての騒音と心臓冠動脈の狭窄や閉塞に起因する狭心症や心筋梗塞がどうしてもつながらない。研究者によれば、騒 音とこれらの疾患の間にはワンクッションが入るという。それは騒音による主観的ストレスであって、このストレスが生理学的興奮を誘引し、生物学的リスク要因となって高血圧など心血管系の疾患を引き起こすという(Babisch, 2006)。また、このストレスは騒音によるアノイアンスのみならず睡眠妨害によって引き起こされると説明する学者もいる。とりわけ夜間の睡眠妨害が問題であるとされている。

 眠れぬ夜というものを経験されたことがあるだろうか。私には、騒音によって睡眠が妨害されたという経験は数えるほどしかない。毎夜、電車のゴオーッという音に曝されてはいるが、それは年間を通じて毎日繰り返されているの でその騒音には慣れている。逆に電車の音が聞こえないと、どこかで事故が起こったのではないかと心配で眠れないことはある。騒音は大した問題ではない。むしろ眠れぬ夜の原因は、日中に経験した失敗や将来に対する不安が繰り返し脳内によみがえってくることにある。いわば、思い出したくない記憶が幾度となく蘇ってきて睡眠を妨害する。つまり、騒音ではなく雑念が脳を苦しめるのだ。私にとって雑念は睡眠を妨害する手強い敵だ。

 解決の方法は充満する雑念を脳から追い出すことである。雑念の代わりに別の無意味な情報を脳に満たしてやればよい。そうすれば雑念から解放されて眠りにつけるはずである。ではそのような意味のない情報が身の回りにあるだ ろうか。しばらく考えて思いついた。法事や葬儀の時によく聞くお経である。子供のころ、坊さんが合唱するお経とはなんだろうと思っていた。まったく意味の分からない異次元の言葉の羅列に思えたのだ。聞けばすぐに眠くなる!

 早速ネットで調べてある短いお経を見つけた。般若心経(玄奘訳)である。なんとたった270 文字だという。これなら暗記はできる。意味など考えなくてもよい。漢字にカナが振ってあるので簡単に発音ができ、暗記もたやすくできた。早速、本当に思い悩んで眠れぬ夜に試してみた。繰り返し心経の音を脳に注入した。すると雑念の居場所がなくなり頭の中は無意味な音で満たされた。そのうちに眠気が到来してついに深い睡眠に落ちることができた。

 何度か睡眠に成功するうち、ふと般若心経の意味を知りたくなった。そこで文庫本(般若心経、中村元著)を買い求め、日本語でその意味するところを調べてみた。きわめて難解であるが深い興味を覚えた。突き詰めるところ、我々の思い悩みは幻のように実態のないもの(空)であることを知りなさいということだ。それを知ればどのような苦しみにも耐えられるというものである。心経の「心」とはフリダヤ(心臓)と呼ばれ、一切の苦しみを鎮める真言だと いう。騒音に起因するといわれる虚血性心疾患は、フリダヤによって予防することができるであろう。

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