2017/1
No.1351. 巻頭言 2. オルゴール 3. Kids ほちょうき リオネットピクシーの開発
純粋物理学から生活物理学へ 平成29 年 元旦
理事長 山 本 貢 平小林理学研究所が旧文部省の認可を受け、物理学の研究所として出発したのは1940年8月のことです。今年の夏、創立77年目に入ります。創立当時のことはまさに時間の霧の向こうにあって、それを垣間見ることは大変難しいことです。しかし当時、中国大陸では様々な事変が発生し、まさに日本が太平洋戦争に突入するという不安な時代でし た。そのような中、小林采男氏が「我が国が世界に冠たる科学立国として生き延びていくためには、物理学の基礎研究が必要」と考え、物理学の研究所を作ろうという決心したのは勇気ある決断であったに違いありません。
一方、この研究所を実質的に運営するための研究組織を作り上げたのが佐藤孝二先生です。第二の創設者ともいうべき存在です。佐藤先生は小林氏の設立趣旨を踏まえて、優秀な人材を集めて研究所の組織を作りました。生体物質構造 の理論的研究に勢力を費やした岡研究室、X線及び陰極線による結晶並びに金属組織の研究を行った三宅研究室、超音波の研究を行った能本研究室、水中音響の研究を行った佐藤・小橋研究室、そしてロッセル塩の圧電気に関する研究を 行った河合研究室です。これらの中心人物は岡 小天先生、三宅静雄先生、能本乙彦先生、小橋 豊先生、河合平司先生といった当時の若手新鋭研究者たちです。その先駆的研究の成果は現在の学問の礎となっています。そして、これら の研究室がさらに多くの優秀な若手研究者を生みだし、各地の大学・研究機関に送り出しました。
太平洋戦争が終了した後、小林理研には困難な時代が訪れます。敗戦によりそれまでの財政的基盤を失い、研究分野も縮小せざるを得なくなったのです。そこで小林氏の後を継いだ佐藤先生は、物理学の中の音響学を主体とする研究 所に変えていきました。また、佐藤先生は日本音響学会の第四代会長を務めました。学会誌7巻第2号(1951年11月)の巻頭に「音響学は人生の安全と慰安に奉仕する学問である」と述べ、純粋物理学の一つである音響学を、社会に奉仕 するための生活物理学として位置付けました。そして時代は戦後復興の高度成長期に入ります。日本は環境汚染による深刻な公害問題に襲われました。研究所は、公害の一つである騒音・振動・低周波音といった音響・波動問題に取り組 むことになります。すなわち、音響・波動の計測センサー・装置の開発と計測手法の研究、音響・波動現象の発生メカニズムの究明、現象観測とその法則の一般化および予測モデル研究、さらに波動制御と評価手法の研究などです。これ ら一連の研究成果は、社会に貢献してきたことは間違いありません。生命現象との関わりをもつ純粋物理学から出発して、人への奉仕の生活物理学へ変遷してきました。いや、現在は生活物理音響学を通過中です。小林采男氏が創設時に 夢見た生命の精神現象の物理学までは道がまだ遠いかもしれません。小林理研は77年という長い時間を超えて、まだまだ遠い先にあるゴールに向かって、休みなくマラソンを続けて行きます。本年もどうぞよろしくお願いします。