2006/10
No.94
1. “中庸の精神”の功用

2. WESPAC \ 2006 SEOUL

3. 汽車の汽笛・鐘 4. 精密騒音計(1/3オクターブ分析機能付) NA-28
      <骨董品シリーズ その60>
 汽車の汽笛・鐘

理事長 山 下 充 康

 知人からワシトンDCのホワイトハウス近くにある骨董店で入手したという「東ペンシルバニア鉄道会社」発行の株券を贈られた。1875年に発行された一株50ドルの株券である。50ドルと言えばその当時の小学校教諭の1月分の給与に相当する金額。“4 SHARES”とあるので額面200ドル。かなりの高額の株券らしい(図1)。
 アメリカ大陸に大陸横断鉄道が敷設されたのは1869年、日本では明治2年。明治維新が1868年であるから徳川から明治に社会が大きく変わった、大政奉還直後の混沌の時代である。

図1 “East Pennsylvania Rail Road Company”株券

 アメリカ大陸東部のニューヨーク州から西海岸のカリフォルニア州までの大陸横断の超長距離幹線鉄道はアメリカの国力繁栄に大きく貢献してきたといえよう。今日では自動車や航空機の発展に押されて輸送機関としての鉄道には以前のような利便性が失われてしまった。
 アメリカ大陸の鉄道網は穀物や鉱石、家畜や石油などの大量輸送に不可欠な存在であった。ペンシルバニア鉄道会社はアメリカの鉄道事業の開祖的な企業で、1846年に州の認可を受けフィラデルフィア・ピッツバーグ間の路線を皮切りにペンシルバニア州を中心とした鉄道網の整備事業を展開した。前掲の「東ペンシルバニア鉄道会社」の株券には1875年と記されている。これはシカゴへの路線延伸が進められていた時期にあたる。鉄道建設の資金を補うために発行された株券であろうと推測する。
 この株券には当時使われていた機関車の姿が克明に描かれている。この時代は蒸気機関車が全盛であった。煙突からは石炭の黒い煙を吐き、水蒸気であろうか白煙が汽笛筒から吹き上がっている。燃料の石炭とボイラー用の水を補給するための鉄道施設に入線してきた列車が株券の中央に、左右の縁取り模様にも客車と貨物車を牽引する蒸気機関車が描かれている(図2)。

図2 株券に描かれている蒸気機関車

 描かれている機関車の先頭には牛除けの柵が取り付けられている。資料によれば株券に描かれている機関車の形式はアメリカで当時最も広く使われていた「4-4-0型」SLらしい。
 音響研究に携わる者として特に注意を引くのはボイラーの上に吊り下げられた大きな鐘と2本の汽笛筒である。鐘は列車の走行を知らせる信号用の鐘であり、汽笛は蒸気機関車に特有の音を響かせたものであろう。鐘を打つハンマーには紐がつけられて、この紐は運転席の窓に導かれている。資料によれば、この種の機関車の走行速度は時速24kmと今日の鉄道とは比べものにならないくらいに遅い。まさにノロノロの徐行運転である。発車時の合図などに紐を引いて鐘をハンマーで「カーン・カーン」と打ち鳴らした。ハリウッド映画にはしばしばこのような鉄道が登場する。牛の群れに行く手を阻まれて立ち往生したり、大きな旅行カバンを携えた乗客が乗り降りする駅の賑わいなど、アメリカ映画には鉄道が頻繁に使われている。蒸気機関車の姿と鐘や汽笛の音はハリウッド映画好みの道具立てかもしれない。
 興味深いのはボイラーの上に突き出した2本の汽笛筒である。先に述べたように汽笛はボイラーから蒸気を噴出すことによって笛を鳴らす仕組みである。汽笛が鳴らされると株券に描かれているように、水蒸気の白煙が噴き上がる。汽笛の発音メカニズムについてはガルトンパイプ(骨董品シリーズ その15「ガルトンの超音波笛」 小林理研ニュースNo.33 1991/7)の記事の中でドイツの汽笛製造会社製「エーデルマンパイプ」の音響実験用純音発生器で詳しく述べた(図3)。笛だから放射されるのは単一周波数の純音である。汽車には複数の汽笛筒が備えられていて個々に異なった周波数の純音が放射されるように工夫されている。周波数の異なる複数の純音から構成される音は蒸気機関車に特有の汽笛音となる。

図3 ガルトンの超音波笛

 図4はアメリカで入手した、汽車の汽笛の音を模した音を放射する玩具の笛である。3本の笛が合体していてこの笛では「ミ」・「#ファ」・「ラ」の三音から成る音が放射される。木製で、表面には「昔の汽車の汽笛(OLD TIME TRAIN WHISTLE)」と大書されている。吹くといかにもレトロな汽車の汽笛を思わせる独特の和音を聞くことが出来る(図5)。

図4 OLD TIME TRAIN WHISTLE
 
図5 OLD TIME TRAIN WHISTLEの和音

 東西を問わず蒸気機関車の汽笛の音は人々の心に沁みるらしい。環境庁(環境省の前身)が平成8年に展開した事業「残したい日本の音風景100選」の中でも蒸気機関車の汽笛の音が人気を呼んだ。具体的には静岡の大井川鉄道のSLと津和野まで走る山口線のSLの2つが選ばれている。山間を走るSLが煙を噴き上げながら鳴らす汽笛の音が山肌にこだまして聞こえる情景は想像するだけでも好ましい「音風景」であろう。
 今日では蒸気機関車を見かける機会が極端に少なくなったので汽笛の音や力強い走行の姿が珍しくて人気を呼んでいるが、実際には大量の黒煙と凄まじい機関音と振動を鉄道沿線地域に撒き散らすので環境保全の面からは迷惑な存在であったに違いない。
 「お山の中行く汽車ポッポ、・・・」、「汽車汽車シュッポ・シュッポ・シュッポ・シュッポ・シュッポッポ・・・」童謡唱歌に歌われ愛されてきた機関車が公園の遊具になって眠っている姿をしばしば見かける。公園に飾られている機関車を見て鉄路を爆走していた勇壮な姿を懐かしむ諸兄も少なくないものと感じる次第である。

−先頭へ戻る−