2006/10
No.94
1. “中庸の精神”の功用

2. WESPAC \ 2006 SEOUL

3. 汽車の汽笛・鐘 4. 精密騒音計(1/3オクターブ分析機能付) NA-28
      <会議報告>       
 WESPAC IX 2006 SEOUL

山 本 貢 平、豊 田 恵 美

 WESPAC IX 2006 SEOUL (The 9th Western Pacific Acoustics Conference)は、韓国ソウル市郊外のGrand Hilton Seoulを会場として、6月26日から28日の3日間に渡って開催された。今回は第9回目の開催である。小林理研からは私と建築音響第二研究室の豊田副研究員が参加した。
 今回、ソウルまでは成田から仁川(Incheon)ではなく、羽田から金浦(Gimpo)までの航空便を利用した。金浦空港は仁川空港よりもソウル市内に近いのである。飛行時間も2時間足らずであるので、羽田から国内便で移動するような気安さがあった。金浦国際空港に到着したのは6月25日(日)の夕刻であったが、日本との時差もなく、また東京と同じ蒸し暑い気候であったので海外に来たという印象は薄い。違いといえば空港ターミナルに漂うニンニクの香りと、至る所に見られる案内板のハングル文字であった。それ以外は地方都市の空港に降り立ったのと同じである。入国後は、日本語を流暢に話すドライバーの車に乗ってホテルに到着し、チェックインを済ませた。

WESPAC IX 2006の会場

 翌朝は8時に参加登録を済ませ、10時半からのオープニングセレモニに出席した。まず、Conference PresidentのJungyul Na(漢陽大学校教授 羅貞烈)氏から、開会と歓迎の挨拶があり、続いてWESPAC理事Renhe Zhang氏の挨拶があった。今回のテーマは「Better Life through Acoustics」である。会議には496件の論文が投稿され、そのうち374件が口頭発表、122件がポスターに振り分けられた。発表会場は8つ用意されており、第一日目の午前8時から、すなわちオープニングの前から研究発表が開始されていた。研究分野は日本の音響学会と同様の超音波、音声、聴覚、電気音響、音楽音響、建築音響、騒音、振動などであるが、境界領域も多いためそれぞれ特色のあるセッション名が付けられている。騒音分野ではEnvironmental Noise and Regulations(環境騒音と法制化)というセッションが特徴的であった。しかし、その内容は騒音の測定から予測、評価までさまざまなものが混在していた。
 一方、機器展示には13社が参加した。展示企業は01dB-MatrabやB&K社など欧米系とその韓国代理店がほとんどであった。日本企業も代理店が参加した。
 会議3日間にはそれぞれPlenary Lectureが用意されていた。第一日目はRonald A Roy氏(USA)による「Better Life through Bubbles and Biomedical Ultrasound」があった。高密度焦点式超音波技術(HIFU)により発生するマイクロバブルが、腫瘍治療など医療面で目覚しい活躍をしていると述べられた。二日目はSang-Chul Lee氏(Korea)による「Korea’s IT: A New Social Infrastructure」の講演があり、2002年以来韓国でIT技術が目覚しく発展してきたことが紹介された。三日目はHideki Kawahara氏(Japan)により「A Precursor to Ecologically Relevant Speech Science」という講演があり、人の感情を表す音声の分析・合成技術の話があった。Plenary Lectureはいずれも興味深い内容であった。このほか、Keynote Sessionが一日目と二日目の夕方に合計9件行われている。騒音分野ではDietrich Schwela氏(UK)による「Noise Problems and Policies in Developing Countries」という講演があった。それによれば、開発途上国には大音量を発生させるお祭りや宗教行事があり、それらは騒音とも考えられるが一つの文化の音(Sound of Culture)であるとしている。
 研究発表会以外では第一日目の晩はReceptionが、第二日の晩にはバンケットがあった。バンケットでは韓国の民族音楽と民族舞踊が披露され、参加者を魅了していた。
 なお、日本からの参加者は160人もあったと韓国音響学会から喜びの報告があったことを付け加える。  (所長 山本貢平)

バンケットでの民族舞踊

 今回のWESPAC \は、私にとっては初めての国際会議参加であり、また初めての英語での口頭発表の機会でもあった。小心者の私には、不安な要素はそれだけで十分であったのに、さらに追い討ちをかけるように共著者の同行は一人もなしという、なんとも心細い初舞台となった。
  出発前日までできる限りの発表準備をして、いざ空港へ向かったものの、羽田空港から出国するためか、どうも海外へ旅立つという気がしない。実際に韓国に到着しても、ソウル市内の印象は日本の街中と大差なく、ホテル内も日本語がおおむね通じる。部屋のテレビをつければNHKが映る。変に身構えていた私は、それだけで少し気が楽になり、考えていたよりはるかに身近な国だということを肌で感じた。4日後に帰国するまでの間、この印象は変わらなかった。
  会場となったGrand Hilton Seoulというホテルは、市街地から少し離れた所にあり、高台の広い敷地内に立派なコンベンションセンターが併設された高級ホテルであった。ホテルの中央部分は、観葉植物が生い茂る開放感ある吹き抜け構造となっており、4, 5階程度の高さはあろうその吹き抜けの最上階部分が発表会場のあるフロアーであった。韓国滞在中は、普段なら縁もないであろうこの素敵なホテルに宿泊することができ、贅沢な気分を味わった。
  私の発表は初日の午後からのセッションであった。そのため初日の午前中は極度の緊張のため、落ち着いて他の発表を聞く余裕もなく、会場のフロアー内を上の空で歩き回っていた。発表会場や機器展示の他には、インターネットラウンジや発表者のプレゼン確認用のプレビュールームなどが設置されていた。少しでも緊張が和らぐことを期待して自分が発表する会場を下見に行くと、そこは天井の高い大変立派な宴会場をパーティションで3分割したうちのGrand Ballroom Cという名の一部屋で、150席は十分ある大空間であった。緊張が和らぐどころか拍車がかかったところで、さらに思いがけない知らせが舞い込んだ。私の発表するセッションのChairmanは、学生時代の恩師である橘 秀樹先生の予定であったのだが、プログラムのミスで急遽変更になったというのだ。そんなアクシデントのおかげで、せっかくのランチもあまり喉を通らず、空腹で本番を迎えることとなった。
  発表中は、Oral paperの朗読にならないよう、できる限り視線を会場の方へ向けてゆっくり話すということだけ心がけ、無事終えることができた。あっという間の15分間だったとほっとしたのもつかの間、一番恐れていた質疑応答が待っている。結論からいうと、恥ずかしながら、2つ頂いた質問に対し、その意味すらよく理解できず、答えることができなかった。ある程度質問事項を予想して望んだにもかかわらず、全て空振りであった。ひとつだけ言い訳をさせて頂ければ、今回の発表会場は非常に明瞭度が悪く、英語力以前の問題で、質問者の声が聞き取りにくかった。他の発表者の質疑応答を見ていても、上手くコミュニケーションが取れていないような印象を受けた(音響学の国際会議が、こんなことではいけないのではないか?)。
  初日の晩のレセプションでは、私の発表に興味を持ったと、何人かの研究者が(わかりやすい英語で)話しかけて下さった。落ち込んでいた私にとって、それは非常にうれしく、また良い経験となった。
  残りの2日は、国際学会の雰囲気を吸収して帰ろうと、色々なセッションを見て回った。東アジア系の発表者が多く、会場はブロークンイングリッシュの応酬である。そこで嫌というほど自分のヒアリング力のなさを痛感し、質疑応答の惨憺たる結果を会場のせいにしたことを後悔することとなった。   (建築音響第二研究室 豊田恵美)

発表会場の様子

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