2006/7
No.92
1. 五十嵐 寿一先生の思い出

2. 河合平司先生を偲ぶ

3. スキャニング法による音響パワーレベル測定 4. 骨 の 笛 5. 第26回ピエゾサロン 6. 耳管機能検査装置 JK-05
       
 
河合平司先生を偲ぶ

顧 問 深 田 栄 一

 平成18年 2月15日に、河合平司先生が95歳で逝去された。河合先生は、小林理学研究所、リオン株式会社、横浜市立大学に不朽の功績を残された方である。昭和8年(1933)東京大学理学部物理学科を卒業され、日本光学株式会社を経て、昭和17年(1942)に小林理学研究所に入所された。昭和21年(1946)から昭和45年(1970)定年まで、主任研究員として圧電材料学およびその音響学への応用について優れた研究業績を挙げられた。昭和30年(1955)から昭和43年(1968)までは、研究所の理事としてその運営に努力された。

 昭和19年(1944)に、研究所の関係会社として、小林理研製作所(現在のリオン株式会社)が設立されたとき、河合先生はその取締役に就任され、昭和45年(1970)の退職まで、製造部長、技術部長として、会社の発展のために努力された。また昭和28年(1953)から昭和38年(1963)まで学習院大学理学部教授を兼務された。

 河合先生は多くの研究業績を残されたが、その初期の重要な研究はロッシェル塩に関する研究である。ロッシェル塩は非常に感度の高い圧電結晶であるが、湿度に対して不安定であることが、実用化のための最大の問題であった。先生は1948年から1949年にわたって日本物理学会欧文誌に発表された5編の論文で、ロッシェル塩の圧電率、誘電率、弾性率、導電率などの湿度、温度および周波数などに対する依存性を定量的に詳細に研究された。その結果は、防湿処理を施したロッシェル塩結晶の工業的応用に大きく貢献した。

 戦時中は軍の要請により、小林理研でロッシェル塩単結晶の培養生産が行われ、対潜水艦用の水中聴音機に活用された。戦後小林理研の経営維持のために小林理研製作所が設立されたとき、最初の製品はロッシェル塩単結晶の圧電振動子であった。クリスタルピックアップ、クリスタルマイクロホン、クリスタルヘッドホン、クリスタルスピーカが次々に商品化されたが、防湿の技術をはじめとして、河合先生の技術指導がその中核となった。

 さらに昭和23年(1948)ごろに、クリスタルイアホンを用いた補聴器の試作が行われ、それを契機としてリオン株式会社の主要製品である補聴器の発展が開始された。その後、聴力計、振動計、粘度計などの製造開発を指導された。初期には研究所からリオンの技術部に異動された人も多く、河合先生は研究所とリオンの若い人々の指導者として敬愛された。

2000.6.17 河合先生90歳祝賀会
(写真右)左から山城知信氏(横浜市大)、小島謙一氏(横浜市大)、河合先生、伊部高由氏(リオン)

 河合先生は物理学者として、現象の真髄を見抜き、独創的アイディアに溢れる研究者であったが、同時に応用の才能に富む技術指導者としても高い評価を得ておられる。河合先生は主宰された圧電材料研究室で、多くの研究者を育てられた。圧電結晶とセラミックスの分野では、丸竹正一(電気通信大学教授)、池田拓郎(東北大学教授)、武田秋津(電気通信研究所)、浜野勝美(東京工業大学教授)、小川智哉(学習院大学教授)、高分子の分野では、時田 昇(米国Cabot研究所)、深田栄一(理化学研究所理事)などがある。小林理研の経済的維持の基礎がリオンの発展にあると考えておられた先生は、研究所で研究に費やす時間よりも、リオンで技術指導に費やす時間のほうが長かったようである。

 河合先生の物理学者としての最も独創的な研究成果は、定年の前5年間のお仕事であった。合成高分子の圧電性と強誘電性の発見である。その前から河合先生の指導のもとで、生体材料由来の高分子にずりの圧電性が見出され研究が行われていた。しかしセラミックや結晶の圧電体のように、電界を加えることによって、残留分極や誘電ヒステレシスを示すことはなかった。

 先生はまず実験装置の手造りから始められた。種々の合成高分子のフィルムを入手されて、すべて自分で実験された。高分子フィルムを数倍に引き伸ばして分子を平行に並べる。次に高い電圧をフィルムに加えて温度を上げる。この延伸分極操作によって、フィルムに圧電性が現れる。最も高い圧電率を示したものはポリフッカビニリデン(Polyvinylidene fluoride, 略称PVDF)である。炭素Cとフッ素FからなるCF2双極子が電界方向に配向し残留分極を形成するからである。

 10数種の合成高分子について研究されたが、PVDF以外にも、極性を持つ高分子であるナイロン11やポリ塩化ビニルには小さい圧電性が現れるが、無極性の高分子であるポリエチレンやポリプロピレンには永続する圧電性は現れないことが結論された。河合先生が報告されたPVDFの圧電率は約5pC/Nであったが、後の研究によって約20 pC/Nに達することがわかった。

 薄く柔らかで加工が容易であり広い面積を覆うことが出来る圧電高分子フィルムの出現は画期的であった。高分子電気物性の基礎研究と圧電材料の技術的応用に全く新しい分野が開かれたのである。その後、国内国外を含めて多数の大学や研究所でPVDFとその関連分野での研究が隆盛となった。

 PVDFの圧電性の発見についての最初の論文は、日本応用物理学会の英文誌に1969年に発表された1)。また応用物理学会の和文誌に1969年から1970年にわたって3つの論文を発表され、圧電率が電歪率と残留分極の積によることや曲げによる圧電性について、実験と理論解析を詳細に論じられた。この1969年の最初の論文は、その後の圧電高分子に関する多数の研究論文に引用された。最近の文献調査によると、その引用回数は500編をはるかに超えるという。

 1995年には、South Dakoda UniversityのBrown教授の提唱によって、強誘電体に関する著名な国際雑誌Ferroelectricsに河合先生に捧げる特別号が刊行された。圧電高分子に関する世界各国からの研究論文の集録であった2)

1996.3.2 河合先生に捧げるFerroelectrics特別号の刊行祝賀会
左から山下充康氏、時田保夫氏、筆者、河合先生、伊部高由氏

 圧電高分子の企業での応用も世界中に広がった。米国PenwaltはPVDFを用いる水中受音用ソナーを大規模に開発した。欧州ではSolvey、日本ではクレハ、ダイキン、三菱化学などが、圧電高分子の生産と実用化を行った。1980年代にはパイオニアがPVDFを用いたヘッドホン、マイクロホン、スピーカを市場に出し、米国でも好評を博した。東レはPVDF共重合体フィルムを用いた超音波トランスデューサを市販している。その他、センサや音響振動機器の部品として無数の工業的応用が行われている。

 昭和45年(1970)に、河合先生は横浜市立大学文理学部物理学科の教授に招聘され5年間教育と研究に専念された。その間に高い人望を得られて、昭和53年(1978)には横浜市立大学の学長に推挙された。大学の将来計画の実現に向かって、河合先生の高い理念と人格は大きな貢献を果たされた。大学の医学部と病院の新しい敷地が設定されたこと、伝統ある木原生物学研究所が横浜市立大学の付置研究所となったことなどは特筆すべき功績である。学長を退任後、横浜市立大学の名誉教授の称号を贈られた。また横浜市の市議会の信任も厚く、横浜市の功労者となられた。

 晩年の先生は、小金井のお宅から散歩の途中によく小林理研やリオンに立ち寄られた。昔の弟子だった人たちを訪ねて研究と世間話に興じられた。曲げの圧電気の起源が、四重極モーメントにあるという説をくり返しておられたことが忘れられない。

1993.3.5 小林理研 圧電材料研究室
左から山城知信氏、小村英智氏(リオン)、山上洋之氏(リオン)、河合先生

 先生の脳裏には耳のマイクロフォニック効果の解明が常に存在していた。耳の聴力の機能はどんな高感度のマイクロホンよりも勝っている。先生が自ら研究し、また指導された多くの研究、ロッシェル塩、セラミック、生体高分子、合成高分子などの圧電性の研究の究極の目的は、聴覚の秘密を解き明かす方向に向いていたのではなかろうか。最近内耳の外有毛細胞に圧電性を持つ蛋白質が発見されたという。河合先生の夢が実現するのにはまだしばらくの時間がかかりそうである。

 先生は、独創的な基礎研究から始めて、それを応用研究に発展させ、社会の役に立つことが、研究の本道であることを説かれ、自らも実行された。先生はアイディアにあふれた物理学者であったが、同時に視野の広い人間性豊かな指導者であった。小林理研とリオンの重責を終えられた後、横浜市立大学で教育研究と大学の運営に専念された時代に、先生は最も輝いて居られたように思われる。学長時代の講演で、仕事にはしないではいられないものと、しなくてはならないものがある。物理の研究は前者であるが、今は後者の仕事である大学の発展のために全力を尽くしたいと述べておられる。

 最高の人生を終え天寿を全うされた先生のご冥福を心からお祈りする。

1. H. Kawai, The Piezoelectricity of Polyvynilidene  Fluoride, Jpn. J. Appl. Phys. Vol.8, p.975 (1969)
2. F. Bauer, L. F. Brown, and E. Fukada (Guest Editors),  Special Issue on Piezo/Pyro/Ferroelectric Polymers  dedicated to Heiji Kawai, Ferroelectrics, vol.171, No.1- 4 (1995), Gordon and Breach Publishers.

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